享保6年(1721)に建てられた、年代がわかるものとしては埼玉県で一番古い民家で国の重要文化財である吉田家住宅(小川町)。訪れる人は文化財を見学するだけでなく、囲炉裏を囲んでうどんや団子を食べたり、様々なイベントにも利用できる。当主の吉田辰己さん、静代さんご夫妻は、自由にマイペースで貴重な建物を守り続けている。
(以下の記事は「東上沿線物語」第8号=2007年12月の吉田辰己さんインタビュー記事=担当岩瀬翠に、2023年6月の取材を加えて構成しました)
歴史の重みと現代が融合(2007年12月)
入館料無料、誰でも使用可の自由空間。これが吉田家住宅の現況。時の流れが縦糸、利用する人々が、横糸となって新たな歴史を日々紡いでいる。
壊そうと調べたら古い棟札を発見
―この家を守ることになったきっかけは。
吉田 父親が高齢で実家に戻ることになりましてね。そのままでは家族が住めないから改装しようということになりまして。私自身が内装業をやってたもんで、見積もりを出してみたんですよ。そうしたら改装費が4、5千万もかかることがわかって、壊そうかという話になったんですよ。
父親から300年ぐらい経った家だと聞かされていたから、その前に一度調べて見ようということになりました。それで文化庁に連絡したんですよ。調べてみると「享保六丑歳霜月吉祥日」と書いた棟札が見つかったというわけです。なんでも実年代が分かるものは、全国でも珍しいそうですよ。
―文化財の指定を受けたのは。
吉田 平成元年です。阪神淡路大震災があったので、解体修理が始まったのは平成8年です。
名主だった吉田家
―吉田家の歴史を聞かせてください。
吉田 推定ですが、私で17、8代目ではないかと思います。お寺さんが燃えちゃって過去帳や文献は残ってないけど、専門の研究家の話では、この家ができた享保の頃は名主をやっていたようです。
それと同時に「背負い(しょい)屋、今でいう運送業も営んでいたということです。二階は人足たちが寝泊りしていたところだったようです。江戸末期から明治には和紙をやっていて、現金収入を得るために養蚕もやっていたそうです。
開放された重要文化財:展覧会、うどん、だんご
―文化財を使用する場合の制約はありますか。
吉田 建物を傷つけたりしなければ、運営は個人の自由です。
―ここを開放することになったきっかけは。
吉田 オープンの時にリチャード・フレィビンさん(2020年死去)という版画家から、ここを開放して皆で使えるような場にしては、という意見が出て、それに惹かれちゃったんですよね。小川町の作家さんが集まって、展示即売の春芸展というイベントを開いたのが始まりかな。オープンの翌年だったと思いますよ。それがきっかけで作家さんから作家さんへと広がってゆきました。
―軽食ができるようになったのは。
吉田 最初の頃に、ここに絵を描きにきた人がいて、近くで食事をするところがあるかと聞かれたんですよ。だけど、この辺には何もないですよね。たまたま家内が、昼食用に造った手打ちうどんを、分けてあげたんです。で、その人においしいからここで作れば、と言われてその気になっちゃったのが始まりでしたね。
あれをやろうこれをやろうと言う目的意識があったわけでもなく、お客さんに乗せられて、いろいろ始めてしまったということですかね。
お茶を出しているのも、囲炉裏があって、お湯が沸くから。お茶だけではさみしいと言われおだんごができ、ちょっと違った雰囲気でコーヒーを楽しみたいと言われ、コーヒーも用意した。まぁ、こんな風に自然発生的な流れでやってきました。
結婚式も
―ここで結婚式ができるんですか。
吉田 以前に音楽会をした方がここの雰囲気が気に入って、結婚式と立食式の披露宴をやったんですよ。娘もここで結婚式をやりまして、その時、古代発火法で点けた火でキャンドルサービスをしたんです。これが意外に好評でした。
―開催中のイベントはどのようなものですか。
吉田 今までは場所を貸しているだけだったんですが、今回はうちのほうから作家さんたちに出展をお願いして、開催した初めてのイベントです。
古い家を宣伝するって結構大変なんですよね。興味のある人は自分で調べてきてくれるけど、本当に知って欲しいのは、全然知らない人、興味のない人たちなんですよ。その人たちに気がついて欲しいですよね。そのためには、くちこみやホームページなどで、イベントを知ってもらい、ここに来てもらうことなんです。
◇
古くても立派に使える家がここにある。何百年も続いた歴史の重さと、豊かな里山の自然が織り成す憩いの空間だ。ここに集う人々によって新たな命を与えられつつ、この家はこれからもずっと生き続けるのだ。(岩瀬翠)
楽しみながら守り続ける(2023年6月吉田辰己さんインタビュー)
-こちらは県で一番古い古民家ですね。
吉田 建築年代のわかる古民家ではです。なかなか年代まではわからない。うちは享保6年(1721)とはっきりしています。全国でも民家では珍しいようです。
-ご主人はいつからこちらに。
吉田 自分はまだ5年くらいです。それまで本業(内装業)をやっていたので、女房(静代さん)がほとんど一人でやっていました。
-今おいくつですか。
吉田 70歳です。年をとってやることないですから、ここで番人をしています。
-このような大きな建物を維持していくのは大変ですね。
吉田 維持しようとか経費をあげようとか思ったらできません。趣味、遊びだと考えないと。だから全国で文化財持っている人達はみんな万歳状態です。
-行政から補助は。
吉田 修繕費だけです。
自分の家であり、自分達で自由に使い方を決めていこうという感覚
-楽しみというのは。
吉田 ものの考え方です。自分の家であり、自分達で自由に使い方を決めていこうという感覚で。それでお客さんもいらしてくれるならうれしいです。
-このような不便な場所で結構お客さんが来られている。
吉田 土日は来られますが、あまりたくさんでも困ります。ほどほどがいいですね。