滑川町にある国営武蔵丘陵森林公園。広大な丘陵地を歩くと、ところどころに沼を見かける。実はこれらの沼は、農業用水確保のため人工的に作られたため池である。滑川町とその周辺の比企丘陵には、古くからのこうしたため池(谷津沼)が数多く広がり、そこから水を引く水田(谷津田)での稲作が地域を支えてきた。滑川町はため池が多くあり日本一の密度を誇る町である。ため池は現在でも使われ、地域の農業、人々の生活に不可欠だ。滑川町と周辺地域では、伝統的なため池で稲作を行う里山農業を日本農業遺産・世界農業遺産に認定する運動を進めている。滑川町農業委員会事務局長・産業振興課長の服部進也さんにお聞きした。
ため池(谷津沼)の下流部に田んぼ(谷津田)を作る
-谷津田とは。
服部 当地域では丘陵地の細長い谷を谷津と呼びますが、その谷津の途中に堤防を築くことで、最上流部にため池(谷津沼)ができます。この谷津沼の下流部に田んぼ(谷津田)を作り、沼の水を使いながら稲作を行う。これが谷津田の農業システムであり、天水頼りの「ため池稲作農法」です。いわゆる斜面に築かれる「棚田」とは違う独自の農法です。
-稲作の水源として川は使えないということですか。
服部 丘陵地なので河川はあってもかなり下で、水を上げることはできません。苦肉の策として人為的に堤防を作り、地形を利用してため池を作ったわけです。小さなダムのような感じです。
-いつ頃からこのようなシステムができたのでしょうか。
服部 この周辺の沼づくりは古くは古墳時代に始まったと考えられます。遅くとも江戸時代の初め頃には現在のシステムが出来上がっていたようです。
滑川町周辺は現在関東一沼が多い
-この周辺にはこのように人工的にできたため池が多いのですか。
服部 関東の近辺でも昔はかなりため池がありました。しかしその多くは開発されて住宅地などに変わりました。こちらは古くからのまま残っており、滑川町周辺は現在関東一沼が多い地域です。ため池の密度(市町村の面積あたり沼の比率)では滑川が全国一位です。
-谷津沼はどのあたりまで分布しているのですか。
服部 滑川を中心に、東は吉見町から東松山市、熊谷市、嵐山町、小川町、寄居町まで。
-いくつくらいあるのですか。
服部 農林水産省のため池データベースにある総貯水量1,000t以上の谷津沼はおよそ110くらいです。滑川町では昔から大小200と言われてきました。
-森林公園内の沼もため池なのですか。
服部 そうです。園内のため池も人工的に作った沼です。
-ため池の大きさは。
服部 大小様々ですが、滑川町にあるため池の平均は3000平米くらいです。
-今でも農業に使われているのでしょうか。
服部 ほとんどが使われています。いまでも実際に使われているということで、農業遺産としての価値があると考えています。
谷津でとれたコメ、谷津田米をブランド化
-この谷津田農業システムは他と何が違うということでしょうか。
服部 雨水、つまり天水頼みということです。他地域の多くは、川から直接取水したり、調整池(ため池)を経由して用水を供給していますが、当地では天水頼みの貴重な水を大事に配分てきました。
-作物は。
服部 谷津田部分はほとんどコメです。ため池の水量の確保が困難なため果樹や転作作物に切り替わった例もありますが。
-コメの味に特徴が出ますか。
服部 ため池の水には周囲の斜面林から入ってくる落ち葉などの有機的成分が含まれます。 フルボ酸という有機質の含有が多いと聞いています。
-谷津でとれたコメをブランド化しようとしているのですか。
服部 滑川町では農業遺産認定申請と併せ、以前からある谷津田米生産者組合と連携し、ため池農法による谷津田米をブランド化する事業に取り組んでいます。食味計による分析では、良食味の判定が出ており、購入者からもおいしいコメとの高い評価を得ています。
ため池ごとに地域コミュニティを形成
-ため池農法は人々の生活にも深く関わってきたわけですね。
服部 ため池を管理し、効果的に使うために、ため池ごとに「沼下」という組合ができています。 この「沼下」が水の管理をし、地域コミュニティを形成しています。沼は稲作だけでなく、防災などの用水にも使われ、生活の一部になっています。
-それぞれ何軒くらいの家が。
服部 小さいところでは2、3軒からはじまり、10数軒までで、平均すると7、8軒です。昔の「村」の成り立ちは、ため池が複数集まって「小字」になり、さらに「村」になったようです。
-共同作業があった。
服部 沼の底さらい、沼普請と呼ばれる補修作業は、昭和40年代まではやっていましたが、今はみんなで作業はできなくなってきている。そのため、沼の底は少し土が堆積してきているようです。
-信仰にも関わっている。
服部 ため池は雨水頼みですので、雨乞いの儀式を伴い、近くに必ず神社があります。滑川町では各字にそのような神社がありました。
-農家が減ってきてため池はどうなのですか。
服部 滑川ではため池がある風景が普通です。ため池の近くに人家があり、沼はいろいろな面で密接、不可欠であり、昔からずっと守ってきました。農家が兼業になっても同じように守っています。
比企丘陵農業遺産推進協議会
-農業遺産の申請とはどういうことなのですか。
服部 比企丘陵地域の里山農業の一部である「ため池稲作農法」は独自の農法であり、社会システムでもあり、地域の資産です。これを将来に継承していくため平成29年に関係市町とJAによる比企丘陵農業遺産推進協議会(事務局滑川町)を設立しました。協議会は、平成30年度と令和2年度に、日本農業遺産・世界農業遺産の認定の申請を行いました。
-日本農業遺産と世界農業遺産の申請を同時に行ったということですか。
服部 日本農業遺産は農水省、世界農業遺産はFAO(国連食糧農業機関)が主宰しています。審査基準が重複しており、せっかくなら一緒に申請しようということで。
-結果は。
服部 平成30年度の1回目の申請は一次の書類審査の段階で落ちてしまいました。令和2年度の再チャレンジ申請では一次審査を通過し、現地調査もしていただいたのですが、二次審査で落選しました。
-今はどういう段階ですか。
服部 前回ある程度の評価をいただいたので、もう1回令和4年度の申請に向けて動き始めています。
農業遺産認定は地域の誇り
-農業遺産の認定はどのような意義が見込めますか。
服部 地域の誇りという部分があります。今後も農業を続けていこうという意識が高まるでしょう。観光誘客や活性化を促すような効果も見込めると思います。地元ではため池のある景色が当たり前過ぎてその良さがわからない。景色もいいし、谷津田米などの特産品もある。東京から近い。観光的要素が今はまだまとまりになっていないが、農業遺産というくくりの中でPRしていきたい。
比企尼の館跡
-NHKの大河ドラマで滑川が舞台になるのですか。
服部 来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で比企一族が登場します。源頼朝の乳母で旗揚げまでのめんどうをみた比企尼の館、三門の跡が滑川町にあります。滑川の米、谷津田米が頼朝に送られていたのではないかと考えられるわけです。
(取材2021年5月)
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