喧噪の池袋のほど近く、鬼子母神を中心にホッと落ちついて歩ける豊島区雑司が谷。郷土史家の矢島勝昭さん(1929-2023)は、雑司が谷で生まれ育ち、昔の郷土の風景を描き、玩具を復元し、歴史を今に伝えた。同区南長崎の「トキワ荘通り昭和レトロ館」には「矢島勝昭 くらしギャラリー」という一室がある。矢島さんはどんな人だったのか、どんな仕事を残したのか、展示に携わった豊島区立郷土資料館の秋山伸一さんにお尋ねした。
幼少期に遊んだ記憶を描く
―矢島さんはどういう方だったのですか。
秋山 昭和4年に当時の高田町大字雑司ヶ谷(現豊島区南池袋二丁目)で生まれ、晩年までそこで暮らしていました。幼少期に遊んだ、トンボとり、紙芝居、張り板を使った滑り台など子どもの頃のいろいろな遊び、行事、防空壕での体験などを絵に描いています。特に近くにあった東武鉄道の根津嘉一郎が所有していたとされる根津山(ねづやま)という場所が遊び場の一つで、その根津山での思い出の絵が多く見られます。
―絵は小さい時に描いたのですか。
秋山 いいえ、大人になって小さい頃の体験を思い出しながら描いたものです。
―絵を売っていたのですか。
秋山 販売するためではなく、後生に残していくことを意識して描いていたと考えています。多くは水彩画です。
『雑司が谷いろはかるた』
―矢島さんはどのようなお仕事をなさっていたのですか。
秋山 戦後昭和21年に逓信省所管の通信事業会社(現在のNTT)に入社し昭和62年まで勤めています。得意な絵を活かして社内報のイラストなども描いていたようです。
―退職後、本格的に絵や郷土史に取り組むわけですね。
秋山 むしろ郷土史家として活躍されました。著書もいろいろありますが、いずれも雑司が谷地域にこだわった内容のものが多いです。
―著書の代表作は。
秋山 『雑司が谷いろはかるた』、画文集『二十世紀の情景/池袋・雑司が谷』でしょうか。『雑司が谷いろはかるた』の絵は、池袋駅南側の高架下のビックリガードの側面に壁画として描かれています。
モチの木工房
―郷土史についてまとめるだけでなく、昔の郷土玩具も作ってもいるのですね。
秋山 ご自宅の2階を作業場(モチの木工房)にして地元に残る民話を紙芝居にしたり、『江戸名所図会』絵の挿絵に描かれている風車や角兵衛獅子を見て再現して、鬼子母神参道にある雑司が谷案内処で販売していました。モチの木工房で使っていたおもな道具類などをここ(昭和レトロ館)に持ってきて展示しています。
―モチの木工房は今は。
秋山 ありませんし後継者もいません。作品、資料の多くは豊島区へ寄贈されています。
城北大空襲の体験
―矢島さんは今年亡くなった。
秋山 数年前から具合が悪く、高齢者施設に入られていましたが、2023年2月に亡くなりました。94歳でした。
―地域にとってどういう方だったと思われますか。
秋山 豊島区にとって著名な郷土史家で、雑司が谷とはこういうところだったと世の中に啓蒙していくような貢献をされた方でした。我々もいろいろとお世話になったので残念です。
―お会いされた印象は。
秋山 穏やかですけどやはり芯は一本通っていました。今回展示はしていませんが、戦時中の体験を描いたシリーズがあり、昭和20年4月13日深夜の城北大空襲とその後の悲惨な状況の記憶は青年期の矢島さんにとって強烈で決して忘れることができないものだったと思います。
―雑司が谷で矢島さんのちなみの場所は。
秋山 やはり鬼子母神堂もそうですし、今参道にある雑司が谷案内処も矢島さんが開設に尽力されたゆかりの場所と言ってよいと思います。
(取材2023年10月)