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空想の動物、虫たちを彫る 石彫作家田中毅さん (伊佐沼工房:川越市)

川越市の伊佐沼のほとり、森の中の伊佐沼工房に近づくと、石を削る音が聞こえる。黙々とノミをふるうのは、石彫作家の田中毅(つよし)さんだ。周辺には、見る人の心を惹き付ける不思議な動物や生きものの石像が並ぶ。田中さんに造形の面白さ、日本を代表する石彫作家に至るまでの道のりについてうかがった。

石を彫る田中毅さん
田中毅さん

「よわむし」・「つよむし」

―田中さんの彫刻は石彫ですか。

田中 ほとんどそうです。

―動物が多いですか。

田中 動物とか虫とか人とか。ただ動物とか虫たちは架空のものも多いです。実際にいるものも作っているけれど、こういうのがいたら面白いなと勝手に作っている。

工房周辺に置かれた田中毅さん作品
動物のような、妖精のような、田中毅さん作品

―自分で空想して作り出すということですか。

田中 毎朝起きて飯を食べた後、机に座って、アイデアがある時はそれをデッサンして、 出ない時も何か描きます。そのデッサンから次に彫るものを決めていきます。

―面白い形がいろいろ出てきますね。

田中 あまり出てこないです。年とるとなおさら出てこない。

―作品名の「よわむし」・「つよむし」とは。

田中 僕の名前は「つよし」なんですが、子どもの頃あだなが「よわし」と言われていました。

田中毅さん作品石像「つよむし」
つよむし
田中毅さん作品石像「よわむし」
よわむし

黒御影石をノミで彫る

―石は何の石ですか。

田中 ほとんどは黒御影石です。磨けば黒くなる。大理石もあります。 

公園内に置かれた田中毅さん作品の石像
工房近くに置かれた田中毅さん作品

―道具は何を。

田中 僕はノミが多い。昔のノミは鉄を焼き入れていましたが、今はタンガロイと言う合金が入っている。タンガロイは硬くて減りが少ないです。 

―機械も使いますか。

田中 機械はダイヤモンドカッターが多い。ダイヤモンドの入ったカッターをグラインダーにつけて切ります。

―時間はどれくらいかかりますか。

田中 小さいものなら2週間に1個くらいです。

―大きいものもあるのですか。

田中 普段作っているのは注文でないからあまり大きくない。注文が来たら場所に合わせて大きさを決めます。

―発表の場は。

田中 今は年に1回個展をやるのでそれに合わせて彫っています。三島(静岡県)で2年に1回、新井薬師(東京)で2年に1回。 

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宮崎県の青島出身、東京芸大へ

―生まれは。

田中 1951年、71歳です。

―ご出身は。

田中 宮崎県の青島です。

―東京芸大で彫刻を専攻されたのですね。

田中 そうです。高校の時芸術か体育の道に行こうと思ったのですが、体育は肩の骨を痛めて、芸術にした。音楽はピアノひけないので美術に、誰もやっていないから彫刻だなと。宮崎あたりに彫刻やっている人いなかった。

―どうして石彫を。

田中 授業では粘土から木彫から金属、石もやります。結局自分の性格に会っていたのかもしれません。

―彫刻が好きになったということですか。。

田中 入った時は自分が彫刻を好きだとは言えなかったです。3年くらいになってようやく好きになり始めた。

―彫刻の面白さは何だと言ったらよいですか。

田中 彫っていて面白いです。バーバラ・ヘップワースという女性の彫刻家が「ノミを打つたびに悩みが一つずつ消えていく」と言っています。

川越青年会議所のイベント参加がきっかけで川越へ

―卒業して作家として独立されたのですか。

田中 大学院の時は高校の非常勤の先生をやっていました。大学院を出る時、専任になってくれないかと打診があったのですが、ちょうど川越で青年会議所が企画した彫刻のイベントがあった。川越の西口の前で飯場みたいな小屋建てて何人かの彫刻家が雑魚寝で4ヶ月か5ヶ月、石を彫りました。 

伊佐沼公園内に設置された、田中毅さんが川越青年会議所のイベントで制作したモニュメント
川越青年会議所のイベントで制作したモニュメント(伊佐沼公園)

―それがきっかけで独立された。

田中 美術の先生をやりながらでは生徒が心配になり彫刻家にはなれないから、自分の人生だから彫刻家で好きな道に行かせてもらおう、食えなければ仕方がないだろうと、学校はおことわりすることに決めました。

―それから川越が拠点に。

田中 しばらくは青年会議所のイベントの実行委員長だった三上工務所の社長のところに土方に行って働いて、卒業してから川越に住み始めました。

―アトリエは川越のどこに。

田中 制作の場は転々と変わりましたが、2000年くらいから自分のアトリエを持ちました。それから伊佐沼工房に移りました。

―それからはいろいろ賞も取られて(1985年神戸具象彫刻大賞展大賞、1994 第6回現代日本具象彫刻展大賞など)有名になりました。

田中 彫刻だけで食えるようになったのは32、3くらいからです。

東京(新井薬師)と三島で個展

―今、何に取り組んでいますか。

田中 あまり考えていません。いつ死ぬかわかりませんから。個展だけは東京と三島で2年に1回。今年は4月に三島と、川越でもう1回入っていますのでが、それに合わせて彫っています。

田中毅石彫展の案内
田中毅石彫展2023年4月

―注文は公共施設からが多いですか。

田中 昔は公共施設が多かったですが、今は財政が厳しいから彫刻は置かなくなりました。 今は企業、お店、個人が多いです。

―この近辺で作品はどこに行けば見られるますか。

田中 ここ(伊佐沼工房)はありますけど、他で少し数があるのは、ふじみ野市苗間の道路沿いに3、4カ所、東秩父村和紙の里の彫刻公園などです。 

田中毅さんの作品の設置場所を示したパンフレット
田中毅さんの作品マップ(川越市内、川越市立美術館制作)

埼玉はだだっ広くていやだったが、今は好きに

―川越の印象はいかがですか。

田中 来た時は高いビルもなくてえらいさみしいような感じでした。だんだんと蔵づくりの町で有名になり、今は人気の町です。私は青島出身で、前は海で後ろは山で変化に富んでいたから埼玉はだだっ広くていやだったのですが、今は好きになりました。

伊佐沼工房前に座った田中毅さん
田中毅さん(伊佐沼工房前)

                          (取材2023年2月)

伊佐沼工房紹介記事はこちら

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