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「東の田園調布」板橋区常盤台 曲線が美しい街並み

東上線ときわ台駅北口を降り、しばらく進むと閑静な住宅地が広がる。ここは東武鉄道が戦前、東急沿線の田園調布にならって造成した高級住宅地「常盤台住宅」で、「東の田園調布」と呼ばれた。単なるお屋敷町でなく、曲線を多用した街の設計はユニークで、実に面白い。ただ近年は、敷地の細分化や新しい建物の建設が進み、街の姿が変化してきている。街の景観を守る活動をしている「NPO法人ときわ台しゃれ街協議会」の野崎淑子理事長に、街の成り立ち、特徴、協議会の活動などについてうかがった。

板橋区常盤台住宅
常盤台住宅の街並み

幻の西板線用の土地

―ここに高級住宅地が造られたのはどういう経緯だったのでしょうか。

野崎 もともとここは野原でした。東武鉄道が伊勢崎線西新井から上板橋まで東西を結ぶ鉄道(西板線)を計画し、途中まで土地を買収したが、買収しきれなかったことと関東大震災もあり断念しました。その時、買った常盤台の車両基地用の土地をどうするかで、根津嘉一郎社長が親交のあった東京横浜電鉄(現在の東急)の五島慶太に相談、すでに鉄道と住宅地開発を行っていた五島慶太に「(東急が造った)田園調布のように新しい住宅地を作ったらどうか」と言われて計画したのが「常磐台住宅」だったそうです。

―いつのことですか。

野崎 昭和10年に武蔵常盤駅(今のときわ台駅)を開設し、昭和11年から住宅の分譲を始めています。

―区域は。

野崎 今の常盤台1丁目、2丁目で、当時は24㌶程度でした。

常盤台住宅案内図
常盤台住宅案内図(ときわ台駅掲示)

―高級住宅地というコンセプトだったのですか。

野崎 そうではなく、中流サラリーマンを対象とした、「健康住宅」という、道路面より1㍍ほど高く敷地を造り、水はけのよい住宅という発想でした。

常盤台住宅チラシ
常盤台住宅販売時のチラシ

―それでも広い家が多かった。

野崎 当時の中流階級を対象としていたので、敷地は戸当たり100坪くらい。区画は約600くらいでした。ただ実際に購入したのは資産家が多かったので2区画とか3区画とまとめて買ったようです。当時の一流建設会社が、赤字を覚悟で粋を凝らして建てた「建売住宅」が65戸ありました、現在、多少増改築されていますがその内の3戸が残っています。

楕円形の並木道プロムナード

―街路の設計が面白いですね。

野崎 東京大学の建築学科を卒業して内務省に入った小宮賢一さんという若い方が欧米の田園都市を参考に設計された曲線を取り入れた計画で、根津さんは碁盤の目状でない住宅地を望んでいたので、その設計が気に入り、そのままその計画を採用したそうです。

―確かに曲線が多いですね。

野崎 駅前から南北に放射状に3本の幹線道路と住宅地の中央に東西に弓なりに延びる1本の幹線道路があります。その道は他の道に接続していないので、通り抜けの要素が無く、街の交通量が多くならない静かな住宅地にしています。また楕円形の並木道(プロムナード)が配置されていることが大きな特徴です。プロムナードは道路中央にプラタナスや栃の木の植樹帯が有るので道幅がそれほど広くはないですが、それがかえって車のスピード制御になっています。静かで気持ちのよい道で、歩くと1周30分くらいで、犬の散歩に適していて、常盤台以外の地域からの方もいらして、犬談議に花を咲かせているようです。

常盤台住宅プロムナード
中央に植樹帯があるプロムナード

―曲線が多いことはどういう効果があるのでしょうか。

野崎 小宮さんが構想した日本でも珍しい街づくりだと思います。道もなんとなく曲がっているので目線が通らない、迷路のような意外性や変化に富んだ楽しさがあります。車もスピードが出せないので今の常磐台の落ち着いた静かな雰囲気につながっていると思います。

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クルドサック、フットパス

―クルドサックとは。

野崎 袋小路になっていて車が回れる、小さなロータリーのような場所で、5カ所あります。 それにフットパスという、人とか自転車が通り抜けられる細い通路がついています、それは反対側に出られる意外性のある面白い設計で一瞬何処にいるのか分からなくなります。

クルドサック
フットパス
フットパス

―ロードベイとは。

野崎 道路と道路に挟まれた島のような緩衝地帯で、現在は一丁目児童遊園になっています。

相続で土地が細分化

―時がたち街は変化しているのではないですか。

野崎 最初の世代は代替わりし、2代替わっているお宅もあります。相続により様々な事情で、敷地を分割したり、手放したり、集合住宅を建てたりと変化しています。土地を分割すると細長い旗竿敷地ができます。すると道路に沿って樹木を植えて下さいとお願いしても、植える余裕ができません。

―それで協議会ができたのですか。

野崎 石原都知事の時代に「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」が制定され、常盤台は「街並み景観重点地区保存型」の第1号に選ばれました。2004年に「ときわ台しゃれ街準備協議会」が発足、住民へのアンケート調査などに基づき、「ときわ台景観ガイドライン」を07年に策定、「NPO法人ときわ台しゃれ街協議会」が発足、08年から協議を開始しました。道路に面する植栽のお願いは、しゃれ街協議会ガイドラインによるものです。

ときわ台景観ガイドライン
ときわ台景観ガイドライン(一部)

―ガイドラインの内容は。

野崎 ガイドラインは常盤台1丁目・2丁目約39㌶、約2千数百戸を対象とし、基本方針は、豊かな緑・街並みの調和・安全です。建築物の外観、形態、色彩等に関する基準を設けており、敷地の分割、建物の解体、新築や増・改築、営業用駐車場設置を行う場合は協議を行います。

これまで380件の協議

―具体的にどのような基準ですか。

野崎 協議は対面形式で、道路から見える場所にできるだけ植栽をして下さい、建築物の高さ、外壁・屋根の形状・色彩・隣地との離れなど環境・景観との調和を図って下さいとお願いしています。対象地域の一部に、住民の3分の2以上の賛成を得た地域があります。地域独自の基準を設けており、この地域については、たとえば第一種中高層住居専用地域では3階建てまで、商業地域は高さ20m以下になどと厳しい基準になっています。

―基準に強制力はあるのですか。

野崎 これは条例なのであくまでお願い止まりではあります。協議が成立した場合は同意書を出しますので、建てる方はそれを添えて役所に申請することになります。最近は同意できない案件が増えています。

―これまでどれくらいの協議件数がありましたか。

野崎 協議会の活動が始まって丸15年、380件以上の協議をしています、その8割が住宅です。月2件ほどのペースで協議があります。

―何が一番困りますか。

野崎 やはり高い建物を建てられることです。

―駅前に11階建ての高層マンションがあります。

野崎 建ったのは協議会ができる前です。裁判にもなりました。これがなければ駅から街が見通せたのに残念です。それに倣ってもう一軒11階建てのマンションが出来てしまいました。

―それでも景観は維持されています。

野崎 協議に参加された多くの家は、多少敷地は狭くなっていますが、道路に面しての植栽には協力を得ています。歩いていてまずまず緑があるなと感じられると思います。

ときわ台住宅地を散歩する

―ときわ台住宅地を散歩する人のために見どころのガイドをお願いできますか。

野崎 駅からスタートし、プロムナード沿いに歩かれるのがよいと思います。途中、クルドサックとフットパス、分譲当初から残っている建売住宅など古い住宅も見ることができます。

   お散歩マップ

 まず、ときわ台駅の駅舎。昭和10年開業で現存する東上線の駅舎では最も古いものです。元は南宇都宮駅の駅舎を模しており、壁面は大谷石、屋根瓦はブルーです。レールを使った装飾もユニークです。駅舎は2018年に改装されましたが、建設当時の特徴を踏襲しています。駅外側の壁面には、歴史などを説明するパネルが設置されています。 

ときわ台駅舎
ときわ台駅舎
ときわ台駅前ロータリー
ときわ台駅前ロータリー

 駅前ロータリーにはケヤキとヒマラヤ杉の大木が植わっています。ヒマラヤ杉は近くの常盤台小学校の第一期生が植えたものです。

 最初のクルドサックのある日本書道美術館は、日本で唯一の書道美術館です。故小山天舟理事長は、宮内庁で書道の指導をされていたので、以前はよく皇族の方がみえていました。 クルドサックの植栽は、書道美術館が、和風の植栽にし、管理しています。

常盤台の日本書道美術館入口
日本書道美術館
常盤台の帝都幼稚園
帝都幼稚園

 帝都幼稚園は、昭和11年に開設された帝都学園女子校の建物の一部を引き継いでいいます。門柱は、近くに住んでいた童画家武井武雄が設計にあたり卒園生が寄贈したもので、板橋区の文化財になっています。

常盤台住宅斯波家
斯波家住宅
常盤台住宅の戦前からの住宅
戦前からの住宅

 斯波家住宅も、4部屋と2階部分が残り区の文化財に指定されています。建設当時から見ると規模が縮小していますが、常盤台住宅当初の姿をとどめています。近くには「建売住宅」として最初に販売された宮沢邸も残っています。

野崎理事長

          ときわ台しゃれ街協議会ホームページ

                      (取材2023年7月)

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