朝霞市岡の坂上から斜面にかけて広い境内林が広がる朝霞市内最古の古刹東圓寺(とうえんじ)。本尊薬師瑠璃光如来は古来より病魔退散、特に眼病平癒に霊験があり、かの太田道灌が城内に安置しようと持ち帰ったが、夢枕に薬師如来があらわれ、寺院に戻せとのお告げがあり、太田道灌は再び東圓寺に安置したとの言い伝えがある。境内奥の院不動堂脇の弘法大師御杖掘の霊泉(不動の瀧)は千年以上の時が経った現在も枯れず湧いている。不動堂では衆生(人々)の願いを叶える為、真言密教の秘法、護摩にて祈願の法要が厳修されている。東武鉄道の根津嘉一郎氏が深く信心し、寺を東武東上線沿線の観光名所にしようとの計画もあった。東圓寺の歴史について、朝霞市会議員もつとめる陶山憲雅(すやま・けんが)住職にお話をうかがった。
平安時代 永慶という僧が再興
―こちらの寺は何宗ですか。
陶山 当山は松光山薬王院東圓寺と号し、京都の智積院を総本山とする真言宗智山派に所属しており、宗祖は弘法大師空海です。また、古来の山号は松光山ではなく薬王山でした。
―いつ頃創建されたのですか。
陶山 現存の記録、言い伝えでは、現在の境内の東に薬師堂があり、人々の信仰を集めておりましたがいつしか衰退し、平安時代の寛弘年間(1004~12)に永慶という僧が再興。幾度かの栄枯盛衰、寄進を受け、現在に至っております。再興前の記録は残っておりませんが、弘法大師空海の布教時代を考慮すると、再興の約百年前から薬師堂があったとみられ、開基は現在から1100~1200年ほど前ということになります。
本尊の薬師如来像は太田道灌が一度持ち出す
―本尊は。
陶山 御本尊様は薬師瑠璃光如来様で、その御姿像は運慶の作と伝えられています。
―本尊の薬師如来像は戦国武将である太田道灌と関わりがあったのですか。
陶山 太田道灌は、当山に深い信仰があり、側室の眼病平癒の為、薬師仏を城の方に持っていかれたが枕元に薬師如来が現れ、寺に戻せと告げられ、東圓寺に戻したと言われています。そのお城が近隣なのか江戸方面なのかはわかりません。
―薬師如来は霊験があるとされていたのですね。
陶山 健康、病魔退散、特に眼病に効くという伝承があり、現在も身体健全、病魔退散、眼病平癒の祈願で参拝される方がおられます。
―薬師如来像は公開されているのですか。
陶山 古来よりの秘仏にて住職の私も拝見したことはありません。
霊泉不動の瀧 不動明王をまつる
―弘法大師が掘ったという霊泉があるのですか。
陶山 年代まではわかりませんが、霊験あらたかなお薬師さんとの話を聞き、弘法大師空海がこちらに来訪され、お持ちであった錫杖で地を掘り、水を湧かせたという言い伝えがあります。そこに堂宇が建立され、不動明王が祀られて不動堂となっております。
―不動堂に向う道沿いに多くの石像が並んでいます。
陶山 当山の不動明王様を信仰していた方々が建てたものです。以前は講が多数あり、近隣、都内を含め、私の知る限り30講以上はありました。
土岐氏の菩提寺
―常陸の国(現在の茨城県)を本拠とする土岐氏の菩提寺なのですか。
陶山 当山第十二世法印永繁が土岐氏の出身で、江戸時代中期に高家である土岐大膳太夫から多大な庇護を受け、それを機に土岐家の菩提寺になったとのことです。
東武鉄道社長だった根津嘉一郎氏が信心
―東武鉄道社長だった根津嘉一郎氏(1860~1940)がこちらのお寺を大事にされていたということです。
陶山 根津氏はお薬師さんとお不動さんを信心されていたようです。当時の住職とお知り合いで、こちらに来て霊験があるいうことで信者になられよく来山されていたとのことです。
―東圓寺を観光地として売りだそうという計画もあったのですね。
陶山 お薬師さん、お不動さんの参詣に加えて、サツマイモ掘りで東上線沿線の名所、町興しをしようというお話があったようです。東上線から分岐する観光路線を敷き近隣地に東圓寺という駅を造る計画もあったとのことですが、地理的に坂、傾斜が多く計画は取りやめになったとのことです。
―昔はお寺がにぎやかだったのですね。
陶山 町内の交流場として不動堂の前の広場では盆踊り、またサーカスなどが開催され賑わいがあったようです。
いろいろな方が集まるマルシェ、寺市を年2~3回開く
―今でもいろいろ催しをされている。
陶山 定期的な法要以外に、今も町内と共催で盆踊りを開きます。また5年ほど前から年に2~3回、境内でマルシェ、名称は「TERAICHI」を開催し好評をいただいております。
―お寺では護摩も焚くのですか。
陶山 お薬師さんの本堂では主に滅罪の御供養を勤めますが。奥の院不動堂では祈願法要にて護摩を焚きます。
陶山住職は智積院職員を経て、昨年市議に当選
―住職は代々陶山家が務められているのですか。
陶山 陶山家世襲は曾祖父からで、私は4代目になります。
―ご経歴は。
陶山 私は大学を卒業、修行後、僧侶となってから一昨年までの20数年間総本山智積院(京都)と総本山東京別院の職員として奉職し、先代遷化からは住職と両立し法務を勤めてまいりました。
また、地域の役職としては、昨年12月の朝霞市議会議員選挙に立候補し、当選、信任をいただき、市議会議員としての重責を担っております。
―市議になる前から地域活動はされていた。
陶山 自治会活動や保護司、法務省の人権擁護委員を務めておりました。
―政治への思いは。
陶山 お寺ですから基本的に地域の役に立ちたいという思いを持っています。
―選挙では具体的に何を訴えたのですか。
陶山 まずは安心なまちづくり、すべての人が安全で安心に暮らせる地域にしたいということです。
(取材2024年9月)