より強く、よく生きるための実践的な方法、心身統一法を生み出し、多くの人を幸福に導いた巨人、中村天風。この世を去って50年になるが、今も教えを請う人が多く、公益財団法人天風会が教義を伝え、広める活動を継続している。天風はどのような人で、心身統一法とは何か、天風会はどのような活動をしているのか。天風会の勝倉孝事務局長にお聞きした。
中村天風(なかむら てんぷう) 明治9年(1876)~昭和43年(1968)
本名:中村三郎。日露戦争の軍事探偵として満蒙で活躍。帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病し、心身とも弱くなったことから人生を深く考え、人生の真理を求めて欧米を遍歴する。一流の哲学者、宗教家を訪ねるが、望む答えを得られず、失意のなか帰国を決意。その帰路、奇遇にもヨガの聖者、カリアッパと出会い、ヒマラヤの麓で3年余指導を受け、「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在だ」という真理を悟ることで、病を克服し運命を切り拓く。帰国後は実業界で活躍するが、大正8年、病や煩悶や貧乏などに悩まされている人々を救おうと、自らの体験から“人間の命”の本来の在り方を研究、「心身統一法」を創見し講演活動を始める。この教えに感銘を受けた政財界など各界の有力者の支持を受け、「天風会」を設立。その後50年にわたり、教えを説く。東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗など、その影響を受けた人々は多様で、自らの人生、事業経営に天風哲学を活かしている。(天風会資料より)
ヨガの聖者の教えを受ける
―中村天風とは、どんな人だったのですか。
勝倉 日露戦争時、軍事探偵をしている時に、コサックにつかまり死刑の宣告を受けたが、執行直前まで死に対する不安は全くなかったそうです。銃殺刑でしたが、「目隠しをしなくてよい、体に弾が当たる瞬間まで見ておきたい」と告げたほど。結果的には仲間が助けにきて、処刑寸前で救われました。それほど強い心を持っていたのに、帰国後結核になったら、血を吐くたびに不安が強まりました、日本、さらに米国、欧州に渡り、著名な医者や宗教者にも会ったが納得する答えが得られず、日本へ帰ろうと船に乗ったら、途中のスエズで船が座礁。ホテルでたまたまカリアッパというヨガの聖人と出会います。「お前は右の胸に病を持っている」と見抜かれ、「まだ死ぬ運命ではないから俺についてこい」ということで、ヨガの里(今のネパール)に入り、3年余りヨガの教えを受け、結核が治りました。
日本に帰り、銀行などいろいろな事業をしたが、実業では満足が得られないということで、すべての仕事を投げ打ち、自分が授かった、強い心を作る方法を、困っている人たちに教えたいと、教育活動を始めました。
―それが、天風会創設につながったわけですね。
勝倉 辻説法をしている姿を、原敬(元首相)が見て、「こんなりっぱな人を、こんなところでしゃべらせていてはいかん」と、支援を申し出たそうです。政治家を含めいろいろな方の助力で、天風会が発足、発展していきます。私たちは、天風先生が辻説法を始めた大正8年6月を天風会の発祥としています。あと3年で100年になります。
―その間、いろいろな人に影響を与えてきたわけですね。
勝倉 当時は、後藤新平(満鉄初代総裁・東京市長)とか尾崎行雄(「憲政の神様」と称される政治家)とか、東郷平八郎(日露戦争日本海海戦司令官)、経済人では松下幸之助(パナソニック創業者)、力士では双葉山、作家の宇野千代とかが集まり、天風の教えを、政治なり、事業なりの中に生かされていきました。教えを求める人が増えて、天風の教えを受けた人は、数十万人とも百万人とも言われました。
―松下幸之助の成功にも天風の教えが影響しているのでしょうか。
勝倉 天風は、松下幸之助が講演を聞きに来ていたのはわかった。聞く姿勢が違っていたと、言っています。
非常に具体的な心身統一法
―天風の教えは一言で言うと。
勝倉 ハワイ大学の女性教授は、天風の教えには、日本の神道、西洋の思想とヨガと、世界の思想が融合されていると言っていました。そうした思想を元に、人生を幸せに生きるための条件を整える方法を教えるのが、天風の教義です。人間として幸せに生きるためにはどうあるべきか、そのための条件、方法を示します。
―どういう方法ですか。
勝倉 皆さんは自分の体が自分だと思っているが、天風に言わせると、体も心も道具であり、根源に万物を作り出した命のエネルギーがあります。心の態度を積極化し、体を健全に保つことで、そのエネルギーが充分に活性化し、健康で幸福な人生を歩むことができると説きます。そのための具体的方法を、心身統一法として組み立てています。
―具体的には。
勝倉 観念要素の更改法、積極観念の養成法、神経反射の調節法が体系化され、呼吸、運動、坐禅(安定打坐法)、などの方法があります。また、住まい、食べ物、睡眠など生活に関する指示もあります。
―方法論として非常に具体的なのですね。
勝倉 哲学があるから、具体的な方法論も構築できたということです。人間は明るく前向きでなければいけないと言っている学者なり宗教家は多いですが、それを実現するにはどうしたらよいかを教えているのは私だけだと、天風は言っています。だから日常生活の方法まできちんと述べているのです。
修練会が天風会の最大の行事
―天風会はどんな団体ですか。
勝倉 最初は昭和37年に財団法人天風会になり、平成23年に公益財団法人天風会になりました。
―護国寺の天風会館はいつできたのですか。
勝倉 昭和43年です。天風が亡くなった年です。戦後は、いろいろなところで講習・修練を行っていましたが、縁あって、護国寺の当時の貫首様と天風が意気投合し、月光殿という、現在国宝になっている建物を借りて始めました。会館は皆さんの寄付と天風の私財で建てました。
―会はどんな活動をされているのですか。
勝倉 天風会は、中村天風の創見である心身統一法という教えを教えています。毎月定例の講習会を護国寺の会館で、夜間、3日間開いています。主な内容は、観念要素の更改法、積極観念の養成法、神経反射の調節法(ヨガの秘法:クンバハカ)。それと、全国に20ヵ所の賛助会がありますので、それぞれ定期的に講習会を開催しています。
定例の講習会の他に、呼吸法や運動法、坐禅などの実習を中心とした行修会というものも全国で活発に実施しています。また、天風会に入会していないが興味のある方のために天風メソッド紹介講座という講座も開いています。
最大の行事は、夏に開く修練会です。4~5日間、心身強化法や安定打坐法、真理瞑想行などを実際に体験して習得する、集中講座です。毎年300人ほどが参加されます。各賛助会が主催する修練会も、毎年、鎌倉、神戸、多武峰(奈良県)で開かれます。
―修練会に出れば、心身統一法を一通り体験できるわけですね。
勝倉 修練会に出るには、講習会である程度理論的なことをご理解していただき、実践していただくのが望ましいです。
―講師は。
勝倉 天風会が講師として認定し、委託をしている方々です。現在40名ほどいます。
会員でなくても参加できる
―行事には会員でなければ参加できないのですか。
勝倉 会員でなくても参加できます。定例講習会は1日目は、非会員も無料、2日目、3日目は1000円、会員は無料です。修練会は、非会員7万円、会員4万円です。
―会員になるには。
勝倉 入会金が1万円。年間の賛助金が3万円です。うちでは賛助会費というかたちで、寄付をいただいて、会の運営を支援頂いております。
―天風の代表的な著作は何でしょう。
勝倉 『真人生の探究』(天風会発行、2880円)です。天風自身は、元々は本は書かないという主義でした。教えを進化させていましたし、講演会に来てもらい直接人格と触れ合って、初めてこの教えは伝わると言っていました。ただ、戦後多くの要望があり、書いたのがこの本です。
他では、講演を収録した『成功の実現』(日本経営合理化協会発行)、『天風先生座談』(宇野千代著、二見書房)も天風哲学を知るのによい本です。尾身幸次前理事長(現最高顧問、元自民党衆議院議員・財務相などを歴任)は、『天風哲学実践記』、(PHP研究所発行)、『成功への実践』(日本経営合理化協会発行)を著しています。書籍から天風哲学を勉強されている方は多いです。
本物の教えだから会が継続
―会がここまで続いているのはすばらしいですね。
勝倉 弟子たちが、「こんなに素晴らしい教えを絶やすことはもったいない、伝えていきたい」と会を続けて、50年になります。なぜ続いたのか。私が思うには、やはり教えが本物だったからです。いろいろな教えがありますが、本物もあれば偽物もある。この教えは、宇宙真理に基づいた本物の教えです。
―若いメンバーもいますが、天風をどこで知るのでしょうか。
勝倉 昭和63年に出版された『成功の実現』は、1万円しますが、今141刷、10万冊以上売れています。28年たっても、増刷している本は珍しいと思います。去年も市川海老蔵が読んで感激したと言ったら、若い人達にも知られるところとなりました。本を読むなり、何かのきっかけで天風を知り、ここに来てくれる若い人もいるのだと思います。
―今後の会の運営について。
勝倉 今までは知る人ぞ知るという天風の教えだったものを公益財団として不特定多数に一人でも多くの人に、教えを広めていきたい。どう広げるかが課題かと。
天風メソッド実践で病気が治る例も
―天風メソッドで救われる人もいるわけですね。
勝倉 今日も、息子がパニック症候群になったが、天風会で修練すればよくなるかという問い合わせがありました。ここに来たから治るとは言い切れませんが、病いには原因があり、そこに天風の教えがはまればよくなる方もいます。
尾身前理事長は、天風と同じ病気である結核にかかり、天風会での実践で健康を回復され、政治家としても活躍されました。福井県の難病で寝たきりの女性が、3年ほど前にこちらに来られ、当時は立ち上がれず寝たまま話を聞かれていました。今は、その人は歩き、話もできるようになりました。心のあり方を見直し、心と体を統一することで、自然治癒力が増し、医者が見放した病も治った実例も数多くあります。
―勝倉さんはいつから事務局長を。
勝倉 2年前から。それまで損害保険会社におりましたが、こちらを手伝ってほしいと言われまして。
―会員だったのですか。
勝倉 平成5年から会員に。『成功の実現』を読み、その後会社の同僚に講演会に誘われ、入会。その後毎年修練会に出ています。
5年前に妻がガンで亡くなったのですが、その少し前に、修練会に出ていたら胸が締めつけられるように痛くなりました。後から思うと、妻の苦痛を時空を超えて感じたようです。その時から、心身統一法に開眼し、世の中のために天風の教えを伝える仕事に気持ちが向くようになりました。
―勝倉さんの経験で、天風メソッドで一番有効なのは。
勝倉 安定打坐法という瞑想法、天風式座禅法です。もちろん、それぞれの方法が有効で、必要ですが、全部がわかった上でこの瞑想ができると、天風教義がしっかり身につくと思います。
―習得にどのくらい時間がかかりますか。
勝倉 1年、2年ではなかなか難しいと思いますが、私の場合は継続の必要性を感じながら続けてきたことが良かったと考えています。この教えに卒業はないと思いますし、今は死ぬまで続けていく覚悟でおります。
(取材2016年4月)
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