広告

静岡に家康ゆかりの地を訪ねる 墓所のある久能山

3月31日に、日帰りバス旅行で静岡市に出かけた。NHK大河ドラマ(「どうする家康」)で徳川家康が取り上げられており、家康ゆかりの久能山東照宮、静岡浅間神社、駿府城を見て回った。一番興味を引かれたのは、久能山の立地である。

絶景の日本平

 バス旅行はクラブツーリズム主催で乗車地は東上線坂戸駅前。関越道、圏央道を経て東名の清水インターで下りる。清水(今は静岡市)の市街地を抜け、日本平パークウェイを上り、日本平に到着。日本平は日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説に由来する景勝の地、ここからロープウェイで久能山に渡る。

静岡市日本平からの眺望
日本平から駿河湾を望む

 私はそもそもなぜロープウェイがあるのかよくわかっていなかった。わずか1㌔、5分の距離だが、久能山には車が走れる道路が通じていないのである。ロープウェイがなければ1159段の石段を上らなければならない。日本平は標高307m、久能山は216m、ロープウェイは下っていく。

日本平ロープウェイ
日本平ロープウェイ 前方の尾根が久能山
久能山の説明板
久能山説明

「久能山に遺体を納める」家康の遺言

 駿河湾を見下ろす急峻な崖上である。資料によると推古天皇の時代7世紀に久能寺が開かれ、永禄年間当地を支配した武田信玄が久能城を築いた。武田氏が滅びた後は徳川氏のものとなり、元和2年(1616)家康が亡くなると、「久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て勧請せよ」との遺言に従い、遺骸が久能山に埋葬された。最初は小さな社だったが、2代将軍秀忠、3代家光によって東照宮が造営された。

久能山東照宮全景説明板
久能山東照宮境内図
久能山東照宮社殿
久能山東照宮社殿

 狭い急斜面にきらびやかな社殿が並ぶ。階段の段差が大きく、年寄りにはこたえる。一番上に家康の遺体が納められているという神廟がある。遺体は一周忌の後日光に改葬されたというのが通説(途中立ち寄った川越にも仙波東照宮だ造営された)が、実際はどうなのか論争があるとのこと。いずれにせよ、最初にここに納められたことは確かで、家康が日頃久能山を特別な場所と考えていたということであろう。

久能山東照宮神廟
久能山東照宮神廟
広告

静岡浅間神社

 ツァーの第2の訪問場所は静岡浅間神社。神部(かんべ)神社と浅間(あさま)神社の総称で駿府の総氏神さま。家康が今川の人質時代に元服式を行ったこともあり、徳川家があつく崇敬し幕府の祈願所でもあった。社殿は豪壮な造りで、特に大拝殿は高さ25m、神社建築として最大級という。

静岡浅間神社社殿
静岡浅間神社大拝殿

駿府城址

 第3の訪問地が駿府城址。駿府城は元々今川氏の館があった場所に天正13年(1585)家康が築城。その後家康は関東移封に伴い駿府を離れるが、秀忠に将軍職を譲って大御所として再び(今川の人質時代を含めると3度目)駿府に戻り、城を大改修した。明治になり、城は破壊され、公園、公共施設などに転用。平成になり、巽櫓、東御門などが復元されている。この日、駿府城公園では静岡まつりが開かれ、にぎわっていた。人混みを避け、紅葉山公園を散策した。

駿府城の濠
駿府城

 帰りは、東名が渋滞予想で、中央高速富士吉田線経由で,富士山が間近に見えた。

タイトルとURLをコピーしました