ふじみ野市苗間にある神明神社。境内の一角に、煉瓦造りのしゃれた建造物がひっそりと建つ。周囲を照らす燈明台だ。明治期、地元の名士であった神木三郎兵衛が献納した。神社、仏閣に、煉瓦造りの燈明台は例がなく、建築技術は高度で手が込んでいる。ただ、場所がわかりにくく、注目度は低い。建築士の梶芳晴(富士見市)さんは、燈明台を詳しく調べた。地域の貴重な文化財として、もっと評価し、保存に力を入れるべきだと訴える。
高さ5.6メートル、灯台のような役割
-これは燈明台というものですか。
梶 常夜燈ともいいます。夜、神社の境内を照らそうというランプの役割です。
-いつできたのですか。
梶 明治20年頃と伝えられています。一般に電気が供給されるのは大正10年代以降で、当時はランプが普及し始めた頃でした。夜は暗く、昔は周りは何もなく、遠くからも見えるシンボルや目印だったかもしれません。灯台のようなものです。
-どのような構造ですか。
梶 現場には梯子を持ってきて実測しました。高さ5.6メートル、土台は1.3メートル四方。屋根(金属)以外はすべて煉瓦造りです。
中台部はなだらかな曲線で構成され、非常に高い技術を用いています。また、中台上部の飾りのデザインが、のこぎり型、くし型で非常に美しい。2年前、漏水があって屋根修繕工事が行われています。
日本煉瓦製造会社から取り寄せる?
-煉瓦造りは珍しいのですか。
梶 通常は神社に煉瓦造りの建造物があることは考えられません。煉瓦は主に西洋建築の材料です。神社やお寺は、通常は石造りの灯ろうです。私の知る限り、煉瓦製は、これ限りです。
-煉瓦は深谷で製造したのでしょうか。
梶 ちょうど同じ頃に、深谷に日本煉瓦製造会社が設立され、製造を始めています。ただ、記録はなく、調査で刻印なども見つかりませんでした。
-灯りは何でとったのでしょうか。
梶 氏子さんから聞いたら、ガスではなく、ロウソクではないかと。現在は電灯が灯っています。
新河岸川舟運で財をなした神木三郎兵衛、縁者が浅草に銀行経営
-誰が建てたのですか。
梶 旧大井村役場の文化財資料では、献納したのは、神木三郎兵衛です。神木家は、地元では昔から神木大尽と言われ、新河岸川の舟運で発展し、旧苗間村の名主も務めています。三郎兵衛は神木家8代目、福岡河岸の回漕問屋福田屋の星野仙蔵と同時代の人で、明治22年には大井村初代村長、その後県議としても活躍。また醤油醸造、製茶、質屋など幅広く事業を営んでいたようです。
私が注目するのは、新河岸川舟運の終点である浅草・花川戸にあった神木銀行です。代表者は台東区図書館資料では神木治三郎とされています。治三郎は神木家の出です(※)。私は神木銀行のあった場所を確認しました。現在の松屋デパートの向かいの墨田川べり、染谷という草履屋さんが隣が銀行だったと教えてくれました。
※神木家11代目の神木彩子さんによると、神木家5代目の時、浅草花川戸に店を出したという。その子孫が治三郎とみられる。沢村貞子のエッセイ『私の浅草』 (2010)に、神木銀行に触れたくだりがある。
梶 明治期までの回漕問屋は、それだけ羽振りがよかったのです。
周囲の景観が弱いので埋もれている
-燈明台は場所がわかりにくいですね。
梶 地元の人でも意識をもって見られるロケーションではないのが、残念です。
広島に鞆の浦常夜灯という港町のシンボルがあります。港の風景と溶け込み、評価されていますが、ここは辺の景観が弱いので埋もれています。本来はもっと脚光を浴びてもよいはずで、誰かが発信する必要があります。
-文化財指定は。
梶 市の指定にはなっていますが。
深谷商校舎の復元も手がける
-今回の調査はどのような目的で行ったのですか。
梶 埼玉建築士会に、ヘリテージ(遺産)マネージャー制度といって、歴史的建造物の保全・活用に貢献できる人材を育成する制度があります。同制度で、去年から6人がグループで勉強会、調査を行い、最後に演習として煉瓦に関係する8カ所を取り上げました。
-梶さんは以前から文化財保全の活動を。
梶 私はふじみ野市の旧大井村役場の劣化調査、深谷商業高校の劣化調査、復元設計も担当しました。復元された深谷商記念館(二層楼)は昨年NHKの連ドラ「とと姉ちゃん」の撮影にも使われました。
(取材2017年6月)
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