道端にたたずむ石仏にも、物語がある。石仏に魅せられた、日本石仏協会埼玉支部の皆さんに、東上沿線の石仏をいくつか紹介していただいた。
庶民の祈りや願いが込められる 石仏へのいざない
お寺の境内や路傍の片隅に、石仏がそっとたたずんでいます。すっかり風景に溶け込み、そこだけが時間が止まってしまったかのような、そんな錯覚さえしてしまいます。そんなもの静かなたたずまいの石仏と向かい合っていると、なぜか心がなごみ気持ちがホット安らぎます。
石仏とは、簡単にいってしまえば庶民の祈りや願いを込めて石に彫られたり刻まれた仏様のことです。寺院の本堂に祀られている「木造仏」や「金銅仏」と少しも変わりのない仏様です。ただ、寺院本堂の厨子内にうやうやしく祀られているご本尊とは違い、そのほとんどがお寺の境内とか路傍といった屋外に祀られています。だから、いつでも、誰でも、気軽に、出会えるという気安さがあります。そして、それらの石仏の多くが村人達の「祈り」や「願い」の証として、村人達の手によって祀られたものであることが、より身近で親しみ深くしています。
石仏を祀る目的は、仏様やご先祖様の供養のためであったり、五穀豊穣や延命長寿、子孫繁栄等々のご利益祈願など様々です。医療技術がまだ未熟な時代、また、物資がそれほど豊かでなかった時代にあって、常に疫病や災害の驚異にさらされることが多かった庶民にとって、神や仏に祈りすがるしかありませんでした。そんなとき、いつでも誰でも直接手を合わせて祈り・願うことのできる石仏は、身近な心の拠りどころでした。
石仏には多くの文字が刻まれています。それらの銘文を読み取っていくことで、その村落の時代の移り変わりや、仕組み、信仰の流れなどということが解ってきます。そういう意味で石仏はその村落などの「歴史の証人」であり、また、「古文書」の役割もはたしているといえます。
石仏の魅力の一つに像形美があります。なじみ深いお地蔵様を例にとっても、木彫のように整った容貌のものもあれば、素朴で親しみやすいもの、子供を抱いたもの、甲冑を着けて馬にまたがったものなど、時代や石工の技量、祀る目的などによっても様々です。
一般的に、江戸時代前期は精巧で緻密な石仏が多く、時代を経るにしたがっておおようになる傾向があるようです。
東上線沿線には沢山の石仏があります。地域によって濃淡がありますが、延命長寿を願った「庚申塔」や農耕馬の無病息災や霊を祀った「馬頭観音塔」が最も多く、先祖や肉親の供養のためなどの「お地蔵様」や女性達に祀られることが多い「如意輪観音」などが次いでいます。水源や溜池を守る「弁才天」も方々でみられる石仏です。
まずはメモ用紙とカメラを持って、散歩がてら身近の石仏を巡ってみませんか。
東松山市岩殿の石仏
東武東上線高坂駅の西口から「鳩山ニュータウン」行きのバスに乗り、「こども動物自然公園」でバスを降りて道を信号まで戻り、交差点を左折します。信号から約10分ほど歩くと右手に墓地が見えてきます。そこが阿弥陀堂です。現在お堂はなく岩殿会館が建っています。休憩所の後ろに石仏が沢山並んでいます。
お地蔵様や、恐い顔をした6本も手のある庚申塔、地獄の主の閻魔様などがあり、一番右端には「見返り地蔵」といわれるお地蔵様があります。助けるべき者を見落としていないかと振り返った姿を表しています。台にはウサギの透かし彫りがしてあり、石工職人の腕の冴えがうかがわれます。
墓地中央には板碑と呼ばれる中世の供養塔が立つっています。高さが約2.6メートルもあり堂々とした見応えのある塔です。今から約640年も前に立てられました。
ここから徒歩で約10分のところに板東十番札所の岩殿観音があります。観音堂は山の中腹に建っていて、境内は静寂で心が洗われます。崖の下には小型の石仏が沢山並んでいます。お馴染みの観音様やお地蔵様の中に、毘沙門天や八幡神像、稲荷神像などの珍しい石仏が沢山混じっています。
岩殿観音から高坂駅までは徒歩で約30分です。自然を満喫しながらのんびり歩くのもいいでしょう。
病気の治癒を願う石仏 川越・広済寺
川越駅前からバスに乗り喜多町バス停で降りると目の前に「広済寺」の看板があります。多くの観光客は一つ手前の「札の辻」で降りるので、この辺りは静かです。
広済寺の境内に入ると右手に1坪ほどの覆屋があり、そのなかに2体の石仏が祀られています。
左手の石仏は、右手に錫杖・左手に宝珠を持ったお地蔵様です。しかし、奇妙なことに下顎がありません。背後の木札に「無腮(あごなし)地蔵尊」とあります。歯痛の治癒を祈願する石仏です。
顎がなければ歯もないので歯痛も起こらないという理屈からです。歯が痛いときはこの歯がなければいいと誰しも思うでしょう。そんな気持ちを素朴に表した石仏です。
右手の石仏は、江戸後期に書かれた「三芳野名勝図会」に「嚏婆々塔(しゃぶきばばのとう)」と紹介されています。せきが止まるように願をかける石仏です。願をかけるときは荒縄で縛り、かなったときには荒縄を解きます。神仏を脅迫してまでも治りたいという考えが表れています。
以前に見たときはもっとびっしり縄が巻かれていましたが、この風習も段々すたれていくのかもしれません。水田地帯ではお地蔵様を田圃に突き落とすという雨乞い行事を行っているところもあり、昔は神仏がもっと身近な存在であったことがうかがわれます。
志木の石仏 ―馬頭観音―
ほとんどの観音は慈悲深い顔をしているのに、馬の頭部を頭に戴く馬頭観音だけは怒った顔をしています。慈悲では救えない衆生を、怒りの姿で救ってくれる仏様です。
志木市内の石仏の中では馬頭観音が最も多く、その多くは文字塔です。
馬頭観音は時代が下るにつれて馬や牛の守護仏となりますが、本来は畜生道に墜ちた人々の救済にあたる仏様です。
写真は志木市宗岡の菖蒲沼にある、頭が3つ、手が6本もある馬頭観音です。彫りも雄大で見事です。江戸時代前期の天和3年(1683年)に宗岡村の念仏講の主尊として、お地蔵様や阿弥陀様を祀るのと同じ気持ちで建立されたものです。「宗岡村念佛組三十五人」と刻まれていて、多くの人々が関わって建てられたことがうかがわれます。
塔のまわりには稲穂の実った田圃が広がり、この馬頭観音が建てられた頃の、農民の願いが伝わって来るようです。
この馬頭観音へは、東武東上線志木駅東口でバスに乗り、宗岡小学校で降りると郷土資料館があり、そこで「歴史マップ・宗岡編」をいただくと道筋が分かります。資料館から約1キロです。菖蒲沼には他に馬頭観音が8基あり、荒川下流方向の道沿いには15基もあります。秋ケ瀬橋の通りに出るとバスで志木駅に戻れます。
板橋の石仏 東光寺の庚申塔
東武東上線下板橋駅北口から徒歩で約8分のところに東光寺があります。寺の境内にお地蔵様と並んで屋根つきの立派な塔が建っています。今回紹介する庚申塔です。
塔の正面には、邪鬼を踏まえ、人や剣などを持った6本も手のある恐い顔をした像が浮彫りにされています。青面金剛といい、庚申信仰の本尊として祀られる仏様です。その両脇にそれぞれ童子が控え、童子の下には夜叉が4体も彫られた珍しい庚申塔です。青面金剛の他に二童子や四夜叉を揃えた庚申塔は稀にしか見られません。江戸初期の寛文2年(1662年)に立てられたものです。
塔の最下部に1匹の猿と1匹の鶏が彫られています。猿(申)の日に始まって鶏(酉)の日まで行うからとか、申の日の行事を鶏の鳴く朝方まで行うからとか言われていますが、はっきりした根拠は分かっていません。
庚申信仰を簡単に説明すると、庚申(かのえ・さる)の日に、一晩眠らないで神や仏に延命長寿をお願する行事です。
庚申信仰の供養塔は室町時代頃から立てられ始め、江戸時代には全国に広まり、沖縄県以外の全都道府県にあります。
石仏愛好家仲間には、庚申塔だけを追い求めて活動している人が沢山います。ちなみに板橋区には、207基もの庚申塔が確認されています。
(本記事は、2007年12月、日本石仏協会埼玉支部=門間勇会長の皆さんの協力により「東上沿線物語」第8号に掲載したものです。一部修正の上、2020年5月に再掲載しました)
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