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往時の新河岸川舟運 舟問屋の建物 そのまま生かす米店

江戸から明治時代にかけ栄えた新河岸川の舟運。現在の川越市新河岸地域には、新河岸駅から続く道が川をまたぐ旭橋近くに3つの河岸(船着場)があった。そのうち、下新河岸河岸にあった舟問屋の建物が今も残る。その1つが、(有)斎藤商店の店舗で、現在米店を営んでいる。ご主人の斎藤健さんにお話をうかがった。

下新河岸河岸跡に2軒だけ建物が残る

―ここは、新河岸川舟運の河岸だったところですか。

新河岸川(旭橋付近)

新河岸川(旭橋付近)

河岸跡の碑

河岸跡の碑

斎藤 そうです。こちら側が下新河岸、あちら(川越寄り)が上新河岸、対岸が牛子という 3つの河岸場で、それぞれ舟問屋がありました。

―舟問屋の建物で残っているのは。

斎藤 今面影として残っているのはうちと隣の伊勢安さんだけです。

斎藤商店

斎藤商店

隣の伊勢安

隣の伊勢安

―お宅も、舟問屋だったのですか。
斎藤
 ここは「綿善」という舟問屋の建物で、事務所のようなものだったようです。うちの祖父は伊勢安さんの1代当主の弟で分家してここに住むようになりました。

明治3、4年に建築

―この建物はいつ建てられたものですか。

斎藤 建築は明治の3年か4年とされています。隣の伊勢安さんもそうです。明治3年に新河岸の大火があり、その後建てたと考えらえます。うちは平成24年にリニューアルしました。

―いつから米屋さんを。

斎藤 祖父は、早く亡くなり、祖母が野菜や麦を扱う商売を始めました。それから米が中心になり、父の代に会社にしました。

希望に合った精米、こだわりの店

―斎藤さんのお店は、新しいタイプの米屋さんですね。

斎藤 今は米はどこでも売っています。当店では、米にこだわるお客様向けにいろいろ考えています。白米だけでなく、玄米のまま食べられる方もいるし、玄米や分搗(ぶづき)と言って、白米までしないで、少し糠層を残した形を含め、ご希望に合わせた精米をして、1キロ単位で量り売りをしています。

―米の種類も多いですね。

斎藤 減農薬・無農薬であるとか、食味(粘り、食感)などに基づいて、九州から北海道まで、約40の銘柄をそろえています。ご自分の出身地の米を求められるお客様もいます。

―おすすめは。

斎藤 それぞれの好みがあり、一概に言えません。価格は新潟の魚沼コシヒカリが一番上ですが、みんながそれをほしいかと言うとそうでもありません。

―埼玉産の米は。

斎藤 埼玉の米は 元々名無しでしたが、県独自でオリジナル品種を作りました。「彩のかがやき」は、粒がきれいです。ただ、不作の年があり、その後「彩のきずな」を売り出しました。「彩のきずな」は米の食味ランキングで「特A」をとりました。

歴史スポットも商売には?

―このような歴史的なスポットでお店を構えるのはどうですか。

斎藤 昔はにぎわいの場だったでしょう。今は、バイパスから川越街道に抜ける道で車は通りますが、歩く人はほとんどいないし、商売によい場所では決してありません。

(取材2018年12月)

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