前回、沿線観光地のお話をしたが、今回は観光の一方の目玉である「お祭り」の話である。
●祭りの老舗、川越祭り
東上沿線一番の祭りと言えば川越祭りだ。17世紀以来の伝統を誇るだけあって、最近では百万人を超える集客力を誇る。神田祭りや山王祭りといった江戸時代以来の東京の祭礼が、明治以後、山車が廃れ、みこし中心となり、江戸の伝統をすっかり失ってしまったのに対し、川越は山車が主役であり、古い街並みと相まって江戸祭りの伝統を残している。
川越氷川神社の神事である例大祭を、「川越祭り」として経済的な面から支え、発展させてきたのが城下町川越の商業資本の力だ。これによって一神社の神事は市民を巻き込んだ世俗色の強いイベントに変身した。江戸時代前期のことである。祭りの商業化といえるが、この流れは川越祭りに始まるわけではなく、室町時代後半の京都の祇園祭り以後、連綿として現代に至るまで続いている。
●戦後の祭りとイベント
ここで、東上沿線の主な祭りやイベントを、ちょっと変わった視点からたどってみよう。
戦後の祭りを特徴づけるのが、他地域の流行の祭り・踊りを取り入れるという傾向だ。川越祭りが江戸の神田祭り・山王祭りを手本としたことや、京都の祇園祭りが西日本各地の祭礼に影響を与えたのを見れば、これまた古くからあったパターンといえるのだが、いささかその度合いが激しくなったといえよう。
●仙台に始まる七夕
七夕自体は、古くから行われている民間行事だが、これを一大イベントとして全国レベルの知名度に押し上げたのが仙台の七夕だ。昭和初期に大規模化し、伝統的な祭りである竿灯やねぶたとならんで東北を代表する観光行事となった。戦後になると、仙台を見習って関東地方で盛んになる。東上線では小川町と上福岡の七夕が昔から有名だ。小川町は昭和24年と、関東でもかなり早い時期に始まっている。上福岡は昭和30年に開始された。
●阿波踊り
江戸時代以来の民衆舞踊である徳島の阿波踊りも、仙台七夕と同じく昭和初期にイベント化し全国規模の知名度を得た。戦後になると昭和31年に東京の高円寺商店街が阿波踊りを開催。以後、阿波踊りを商店街の夏のイベントとして採用する例が広まった。東上沿線では新座(志木駅南口)の阿波踊りが昭和58年に開始されている。
●サンバ
貪欲な日本人は、地球の裏側、ブラジルのサンバカーニバルまでも地域の祭りとしてしまった。これは昭和56年に始まる浅草のサンバカーニバルあたりを嚆矢とするが、やがて日本各地で町おこしの一環として取り入れられ、昭和57年には川越の百万灯祭りのメイン行事に取り入れられた。東松山でも平成2年からサンバカーニバルが始まっている。
●よさこい
最近、急速に盛んになったのが鳴子踊りの一種「よさこい」である。高知市が、徳島の阿波踊りを参考に、昭和29年に始めたのがオリジナルで、平成4年に札幌に持ち込まれソーラン節と合体してYOSAKOIソーランとなり、これが全国に拡散した。
東上沿線では平成6年に朝霞で市民祭りの一環として関八州よさこいフェスタが行われたのが最も早い。その後、平成12年には池袋西口商店会の祭りであるふくろ祭りの一環として東京よさこいが始まる。翌平成13年にはよさこい単独イベントとして坂戸よさこいが始まり、市を挙げてPRを繰り広げ、東松山でも開催されている。
よさこいが急速に流行した背景には、踊りの技を競うコンテスト形式を取り入れたことにある。その一方で、参加者が広範囲から集まるため地元の祭りという意識が薄れがちなこと、参加者の一種独特な雰囲気などからときに地元から反発を受けることもある。
●祭りの流行
こうしてみると、祭りの中身によって、それがいつごろ始まったのかわかることになる。山車が中心の祭りなら江戸時代から明治時代にまでさかのぼる由緒ある祭り。みこし祭りなら大正から昭和戦前期に始まり、七夕は戦後早い時期の開始。阿波踊りが昭和30年以後、サンバカーニバルなら昭和50年代後半以後、よさこいは平成に入ってからという具合だ。
はやりものにはすぐに飛びつくという、日本人の節操のなさが表れているというのは、言い過ぎだろうか。
(本記事は「東上沿線物語」第19号(2008年11月)に掲載した記事を2020年8月に再掲載しました)
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