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沿線歴史点描⑫
沿線地名・駅名を訪ねて
その② 
観光地と住宅地に由来する駅名

山下龍男

前回に引き続き沿線駅名地名の話である。今回は、観光地を駅名とするもの、住宅地を駅名とするものを取り上げてみよう。

観光地にちなむ駅名

 玉淀は、鉢形城下を流れる荒川の清流を観光地として整備し売り出そうという地元民主導のユニークな観光開発だった。昭和6年に始まったこの運動はやがて町当局を巻き込み、鉢形城下の荒川一帯は「玉淀」と命名され、さらに地元の要請で東武鉄道も観光客誘致のため昭和8年に玉淀駅を新設するに至ったのだ。戦時中一時休業するが、戦後の昭和26年に駅の位置を数百㍍寄居側に移して営業を再開した。

 武蔵嵐山は、槻川が山間部から平野部に流れ出るあたりの風景が京都の嵐山に似ているということで、昭和3年にこの地を訪れた林学者の本多静六博士が命名し観光地化への道が開かれた。これに東武鉄道側が乗って、昭和10年に従来の菅谷駅を武蔵嵐山駅に変更。観光地化を進めようとしたが、地元の菅谷村が駅名改正に反対し、変更後も菅谷駅復活運動が起こっている。肝心の武蔵嵐山の中心部を東京の業者が占有してしまったため、地元として観光開発にあまり乗り気になれなかったのかもしれない。玉淀とは対照的なスタートだったが、戦後になり地元民も参加して本格的な観光地化が進んだ。

 森林公園駅は、昭和49年の国営武蔵丘陵森林公園の開園を前に昭和46年に開業している。ここには川越市駅から移転してきた車両基地が付属している。

住宅開発と駅名

 宅地開発と駅開設のセットといえば、常盤台住宅地と武蔵常盤駅(現・ときわ台駅)の例が東上線における先駆けである。昭和10年に駅が開設されると同時に宅地造成が開始、翌年には入居が始まった。「常盤」という地名は駅南に今もある天祖神社境内にあった「常盤の松」にちなんで東武が命名したという(『板橋区史』通史編)。

 東上沿線での本格的な住宅開発が始まるのは戦後だ。当初は既存の駅周辺(上福岡、鶴瀬、朝霞の団地)での開発が中心だったが、昭和50年代になるとそれも飽和状態となり、農地を宅地開発して新しい町と駅を造ることとなる。こうして生まれたのが北坂戸、柳瀬川、みずほ台、若葉、ふじみ野、つきのわの各駅だ。いずれも造成された住宅地の名称を駅名にも使用している。ひらがな駅名が多いのは1970年代以降の全国的流行である。また、若葉とふじみ野に見られるように、従来からある歴史的地名とは無関係な駅名が見られるようになった。

 東上線各駅で最新で平成14年開業のつきのわは、滑川町の大字「月輪」をひらがな書きで住宅地と駅名に使用した例だ。月輪という変わった地名は、鎌倉時代初期の公家で、京都における親鎌倉幕府派の巨頭だった九条兼実の別名である月輪殿に由来するという。


2001年7月、翌年春開業を目指し工事中のつきのわ駅

かつてこのあたりに兼実の荘園があっというのだ。無責任なカタカナ地名や合成地名が幅を利かせる現代に、こうした由緒ある地名を住宅地と駅名に使った東武鉄道の見識は評価されるべきであろう。


地名と駅名

 とはいえ、観光地・住宅地に由来する駅名は従来の歴史的地名に拠らないものが多い。玉淀、武蔵嵐山、森林公園などは昭和に入ってから生まれた地名だし、住宅地由来の駅名でも若葉、ふじみ野は宅地開発のために新たに命名されたものである。常盤台も地元神社の松の木にちなむとはいえ、地名としてはほとんど創作地名といってよい。しかしみずほ台、常盤台はいまや町名として採用され、ふじみ野と武蔵嵐山は、歴史的地名を押しのけて自治体名にまで採用されるに至っている。駅名の持つ影響力の強さが思い知らされる。

(本記事は「東上沿線物語」第23号=20095月に掲載したものを20215月に再掲載しました)