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沿線歴史点描⑪
沿線地名・駅名を訪ねて
その① 池袋・北池袋

山下龍男

日本国内にある無数の地名の多くは、そのルーツを中世・古代にまでさかのぼることができる。「地名は文化財」と言われるゆえんである。しかし、その一方で現代資本主義の世にあっては、地名もまた商品価値を持ち、ブランド性までも保有するようになっているのもまた事実だ。もちろん、私たちの暮らす東上沿線の地名も例外ではない。今回は、沿線の地名・駅名を、こうした観点もふくめてその由来を訪ねてみよう。

池袋駅 
まずは、東上線の起点駅である池袋という駅名だが、これは池袋駅西口一帯にあった池袋村に由来する。では池袋という地名はどのように起こったのだろうか。これには二つの説がある。

一つは村の地形によるというもの。「袋」とは川が大きくカーブして「ふくらんだ」地形をさすという。明治時代の地形図を見るとたしかに池袋村の西を北に向かって流れる谷端川が、村の北西部で小さな川と合流し大きく東にカーブを描いている。現在の下板橋駅西側の東上線車両基地あたりだ。おそらくこの湾曲部に池があったので「池袋」の地名が生まれたのではないだろうか。

もう一つは、池袋村に古くからあった池にちなむという説。池袋駅西口、ホテルメトロポリタンの道路を隔てた北隣にある豊島区立元池袋史跡公園に池袋由来の地を示す碑が建ち、この地にあった「丸池」が池袋村の地名のもととなったとある。豊島区が復刻した明和9年(1772)の雑司ヶ谷村絵図には、池袋村との境に池が描かれている。ここから弦巻川という小川が流れ出て、鬼子母神から護国寺門前を経て江戸川橋付近で現在の神田川に合流していた。昨年夏の豪雨で犠牲者を出した地下水路はこの弦巻川が暗渠となったものである。

この両説を比べると、「袋」の意味をとらえている点で前者に説得力があるようだ。中野区には「沼袋」というよく似た地名があるが、ここもまた妙正寺川がカーブし、池袋村北部とよく似た地形だった。

両者とも川の曲流部に水が滞留し「池」や「沼」の状態を呈していたのだろうが、やがて水田化され、地名にその面影をとどめることになったと解釈するのが自然である。

川越市には大袋・老袋という地名があるがいずれも川が大きくカーブする所であり、これが「袋」のつく地名の共通した特徴となっているのである。

北池袋駅 
 池袋駅の北にあるからという単純な理由でつけられたのがこの北池袋という駅名だ。これ以上詮索のしようがない単純な命名だが、実は北池袋という駅名は戦後のもので、昭和
9年の開業から空襲で焼けて営業休止する昭和205月までは「東武堀之内駅」というまったく別の駅名だった。堀之内とは現在の東上線・埼京線と山手線の間に昭和44年まであった堀之内町という地名からとられたものだ。堀之内町は江戸時代にあった新田堀之内村にちなむ町名。江戸時代初期に梶原堀之内村の農民がこの地に新田を開き、堀之内新田としたが、いつの間にか地名の上下が入れ替わって新田堀之内村となったのである。この梶原堀之内村は現在の北区堀船の一部に相当し、今も同地を走る都電荒川線停留所「梶原」にその名を残す。それにしてもずいぶん離れた村から新田開発にやってきたものだと感心せざるを得ない。

(本記事は「東上沿線物語」第11号=2009年1月に掲載したものを2021年3月に再掲載しました)