高麗川沿い、坂戸市泉町の住宅地にひっそりと建つギャラリー&カフェ「れ・ぼぬう」。自らも絵筆をとる恒川章子さんが、作家に発表の場を提供し、文化活動を支援するために開いた。恒川さんは、近年のギャラリーが置かれている厳しい状況を憂える。
絵画、陶芸、洋服、アクセサリー
―こちらはどのようなお店ですか。
恒川 ギャラリーとカフェです。
―「れ・ぼぬう」とは。
恒川 フランス語で「美しい私たち」、「素晴らしい私たち」という意味ですが、逆から読むともっとわかりやすいです。
―ギャラリーはどんなものを展示するのですか。
恒川 最近は絵が多くなりましたが、陶芸とかお洋服とかアクセサリーとか、様々なものを展示します。
―個展ですか。
恒川 個展もやりますし、グループ展もやります。11月第2週(10~13日)は富山から毎年来てくださる大橋富貴子さん。着物のリメイクの洋服とか。12月の最後の作品展は「手作り Exhibition」といって、5、6人ずつ前後半2期に分けて出展してもらいます。
―知り合いの方たちなのですか。
恒川 私の方でセレクトさせていただいています。
―場所を貸すのではなく恒川さんが企画をされているのですか。
恒川 個展に貸す場合もあります。
―ご自身で絵を描かれるのですか。
恒川 今は描いていないです。ここを開いて最初10年くらいは描いていましたが、今は忙しくて。
恒川さん作品
作品展をお手伝いして、発表の場を提供する目的で29年前オープン
―どうしてギャラリーを開いたのですか。
恒川 最初の考えは、絵を描いたり、作品を作る人たちの作品展をお手伝いして、発表の場を提供するということで始めました。
―オープンはいつですか。
恒川 29年前、平成4年です。元々は坂戸駅の南口にいたんですが、駐車場がなかったので、静かで車も停められる場所ということで1年半で移ってきました。
―ちょっとわかりにくい立地ですが。
恒川 大通りから一歩入った場所がよかったことは、環境が自然で静かなことです。わかりにくいけれど一度来ていただければわかりますし。
カフェは飲み物とケーキ、食事(ランチ)
―カフェは。
恒川 飲み物とケーキ、食事(ランチ)です。
―全部ご自分で作られる。
恒川 そうです。
―コーヒーがおいしいですね。
恒川 コーヒーに力を入れており、豆類はたくさんご用意しています。
―どのようなお客さんが多いですか。
恒川 カフェはお食事に来る人が多いかな。3時過ぎならケーキセットとか。
―こちらの食べ物の特徴は。
恒川 手作りということです。
―一番人気は。
恒川 今、ボンゴレビャンゴ、クラムチャウダー、五穀米カレーとか。ボンゴレビャンゴは普通アサリだけなんですが、私はエビやレタスを入れて味に幅をつけています。クラムチャウダーはやさしい味で、グリーンサラダ付きで人気です。
―料理の腕がすごいですね。
恒川 主婦の延長です。
娘さんがフラメンコとピラティスの教室
―一人ですべて切り盛りされるのですか。
恒川 ほぼ一人でやっています。娘(菊原まり)がいるときは手伝っています。娘はスタジオ(カフェに併設)でフラメンコとピラティスの教室をやっています。
―フラメンコ教室はいつ開くのですか。
恒川 カフェをやっていない時です(土・日・月と夜間)。3年前にこういう形に変えました。
菊原まりさん
―ギャラリーとカフェを一緒に開くというのはどのようなお考えからですか。
恒川 ギャラリーに作品を飾りますが、それだけではさっと見て回って帰ってしまう。でもカフェをすることによって、作家さんとお話したり、お茶を飲んだり、お食事をしたり、なごめます。やはり作家さんと触れ合えるのがいいんです。それを目指して最初からカフェスタイルでやっています。
―ギャラリーが主ということですね。
恒川 そうです。食事が多くなったのはカフェでギャラリーを支えているのです。ギャラリーだけではいろいろ難しいですね。
以前からボランティアで作家を支援
―ギャラリーを開くきっかけは何だったのですか。
恒川 私は以前からいろんな人の絵を頼まれるとお店に掛けてあげたりしていたんです。作家さんの支援にもなるので。
―お店とは。
恒川 たとえば、青梅の方のカフェとか、東京・神保町のボンディという有名なカレー屋さんがあります。そこの社長さんからうちの壁に絵を掛けてくれないかと頼まれたり。ボンディさんは川越店(現在は閉店)もあり、そこにも。そこは長かった。
―ボランティアですか。
恒川 そうです。作家さんたちに負担をかけるわけにはいかないので。
―作家さんとお付き合いがあったということですか。
恒川 そうですね。幅広くありました。私も絵も描いていましたし。作品展を開けば、仲間もできますし自然とそうなる。
―お仕事は何を。
恒川 20年間中学校で、その後高校の美術の非常勤講師を8年くらい。
「ギャラリー&周辺スポットガイド」の発行
―以前、ギャラリーガイドを出されていましたね。
恒川 「ギャラリー&周辺スポットガイド」という冊子を、95年から始め、季刊で発行、19年続けました。最初は坂戸市内のいろいろなお店の地図を作ろうと思ったのですが、他にもやりたいという方がいて、周辺地域も含めました。ギャラリーだけでなく特色のあるお店をチョイスして地図を作る。
ギャラリー&周辺スポットガイド
―費用はどうされたのですか。
恒川 印刷費と、取材費を計算し、掲載するお店からいただきます。利益はありません。
―部数はどのくらい。
恒川 最初1万部。100軒くらいのお店がかかわってくれました。
―発行は大変でしたか。
恒川 大変でしたが、回を重ねるごとによくなってきました。知られてくると、わりとすんなりと掲載に応じていただけるようになりました。地域のギャラリーはほぼ網羅したと思います。
―発行を停止されて残念です。また誰かがやってくれればよいですが。
恒川 むずかしいと思います。専門にやるなら費用が必要です。みなさん安いから参加してくれたのだと思います。ボランティア精神で、みんなを盛り上げようとやる人はなかなかいないですね。
―恒川さんはそういう気持ちが強いということでしょうか。
恒川 特別には。ただ頼まれれば何でもやる性分です。
ギャラリーはもうかる仕事ではない
―ギャラリーの経営は最近はどうでしょうか。
恒川 文化活動だから頑張ってほしいですが、資金が続かないんです。もうかるような仕事ではないですから。みんなよい仕事だと思って自宅ギャラリーを始め 、ギャラリーは一時ずいぶん増えましたが、ほとんどが閉めました。
―何が難しいのでしょうか。
恒川 要するに、作品が売れる時代もあったのですが、売れなければ作家さんも大変ですし、ギャラリーも大変です。結局費用だけかかる。それが我慢できないとお店を閉めます。
―芸術作品、工芸品が売れないということですか。
恒川 今、売れないです。陶器もほとんど売れないです。ましてコロナ時代になってからは人も動かない。よいものはたまには売れますが、それで成り立つほどには動きません。趣味の世界だからなくてもよいのです。あればなおよいという世界だから、真っ先に切り捨てられるのです。長い流れの中では絵がはやる時とか、陶芸がよかった時とかありますが、総合して今はどれも沈んでいます。よいのは食べ物だけかもしれませんね。
国の支援が必要
―どうすればよいのでしょうか。
恒川 作家さんやアーティストの人たちも自分なりに努力していると思います。それでも世の中が今のような状態では、まったくたちゆかないです。努力したからと言ってはやるものでもないし。やはり、国の文化活動に対する支援が必要だと思います。
―れ・ぼぬうの今後は。
恒川 厳しいですが、いろいろなところで広めていただければ、地味だけど続けられるかなと。フラメンコ教室をするようになって、少しずつ若い人も増えてきました。
恒川さん
(取材2020年11月)
れ・ぼぬう 坂戸市泉町5-8
HP rebonuu.amebaownd.com
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