渋沢関連

長谷川清の地域探見(24)渋沢栄一と二人の師(その2)尾高惇忠(上)

渋沢栄一の人生に影響を与えた二人目の師は、尾高惇忠(おだか あつただ/じんちゅう、以下・惇忠)です。惇忠は、文政13年7月27日(1830年9月13日)、岡部藩領の榛沢郡下手計村(はんざわぐん しもてばかむら、現在の埼玉県深谷市下手計)の...
おすすめスポット、お店

英国骨董スージークーパーのある店 あぶり珈琲(川越市)

川越の時の鐘の裏通りにその店はある。オーナーの林裕之さんの夢が叶った店だ。そこでは誰もが、美味しい珈琲を飲み、自分の時間を過ごせる。正に隠れ家のような喫茶店である。  (2024年7月に再訪し、2007年11月記事を再掲します。写真...
渋沢関連

長谷川清の地域探見(23) 渋沢栄一と二人の師(その1)父渋沢市郎右衛門

今月3日から20年ぶりに新しい紙幣が発行されています。その中で新しい一万円札は、表面に明治時代日本に株式会社を導入し、産業界を立ち上げた埼玉県深谷市出身の渋沢栄一(以下・栄一)、裏面に深谷市にあったレンガ工場で生産された赤レンガを使った旧...
歴史

光が丘団地(練馬区)は戦時中、成増陸軍飛行場だった 

今は高層住宅が建ち並び緑豊かな公園が広がる練馬区光が丘。ここに戦時中、首都防空のための基地、成増陸軍飛行場があった。飛来するアメリカの爆撃機B29を相手に、捨て身の特攻作戦も行われ、犠牲者が出た。飛行場跡地は戦後、進駐米軍用住宅グラントハ...
おすすめスポット、お店

蔵造りの町川越の小林家住宅 明治16年建設の文庫蔵に昔なつかしい驚きの品々

観光客でにぎわう川越の蔵造りの街、一番街の通りに面して、最近旧埼玉りそな銀行川越支店の築105年の建物が「りそなコエドテラス」として生まれ変わった。そのすぐ隣、屋根に変わった飾りのついた古風な蔵造りの店舗がある。店蔵と座敷は和菓子のくらづ...
歴史

板橋競馬場跡に愛光舎牧場 角倉賀道開く

板橋競馬場は明治43年(1910)に閉鎖され、広大な空地が残された。その一部に、大正2年、愛光舎牧場が移転してきた。  愛光舎牧場は小児科医であった角倉賀道(すみのくら・よしみち、1857~1927)が明治32年に現在の巣鴨に開いた...
歴史

板橋に競馬場があった 現在の栄町 明治41年に開催も馬券禁止で1年の命

現在は住宅密集地の東京都板橋区。明治時代、東上線大山駅と中板橋駅の間、現在豊島病院が建つあたりを中心とした広大な敷地に競馬場があった。政府の政策変更により競馬が開催されたのはわずか1年だったが、競馬場跡地にはその後大規模な医療施設が立地、...
活動・社会貢献・人

素晴らしい日本人 二宮尊徳をもっと知ってもらいたい 木村壮次さん

昔はどこの小学校にもあった二宮尊徳(金次郎)の銅像は今はほとんど見かけなくなった。多くの教科書からも記述が消え、尊徳はかげがうすくなっている。行田市に住む木村壮次さんは、尊徳は日本人のとるべき理想の生き方を体現しており、今の世でもっと知っ...
長谷川清の地域探見

長谷川清の地域探見(22) 川越の第八十五銀行

今や関東を代表する観光地となった川越市一番街は蔵造りの街並みと有名ですが、東上線川越駅から歩き、一番街に入ると程なく右手に石造り風の洋風建築が建っています。この建物は、さいたま市浦和区に本店を置く埼玉りそな銀行が所有するもので、元々は19...
朝霞

根津嘉一郎が初の7年制私立高校として開設した武蔵学園

根津嘉一郎は朝霞の根津公園を建設する数年前、同じく社会貢献事業として根津育英会を設立、初の私立の七年制高等学校として武蔵高等学校を開設した。武蔵中学・高校・大学は現在に至るまで私立の有力校として評価され、国に接収された根津公園の敷地の一部...
タイトルとURLをコピーしました