おすすめスポット、お店

安岡正篤が開設した日本農士学校 (嵐山町)

嵐山町の国道254号沿いに、広大な敷地を持つ国立女性教育会館(NWEC=ヌエック)が建つ。なぜこのような施設がここにあるのか、疑問を感じる人もいるだろう。ここは、東洋思想家で、終戦の詔勅を刪修し、戦後の歴代首相の指南番と言われ、元号「平成...
歴史

長谷川清の地域探見(25)渋沢栄一と二人の師(その3)尾高惇忠(下)

時代が明治に移ると、惇忠は栄一がいる東京を離れた群馬県富岡や岩手県盛岡などにその足跡を残しています。惇忠が地方で着実な成果を上げることで、東京で活躍する栄一を支援しました。そうした惇忠の後半人生は、今でもいぶし銀の輝き放っています。 ...
おすすめスポット、お店

(国登録有形文化財)石川組製糸西洋館 103年前に建てた生糸取引のための迎賓館

国道16号線を川越から八王子方面に進み、入間市にさしかかるあたり、左手に外観が煉瓦の大きな洋館が見える。これは明治から昭和の初めにかけ、全国有数の製糸会社であった石川組製糸所が建てた迎賓館、「西洋館」である。当時の贅を尽くした建築、調度品...
おすすめスポット、お店

井上円了 東洋大学の創立者 哲学堂を開設 妖怪学で「こっくりさん」解明

 井上円了(1858~1919)は明治から大正にかけて活躍した哲学者で、現在の東洋大学の前身である哲学館を創立した。社会教育にも力を入れ、全国を講演で巡回、中野区にある哲学堂公園を開設した。「こっくりさん」の解明など妖怪学でも知られる。井...
渋沢関連

長谷川清の地域探見(24)渋沢栄一と二人の師(その2)尾高惇忠(上)

渋沢栄一の人生に影響を与えた二人目の師は、尾高惇忠(おだか あつただ/じんちゅう、以下・惇忠)です。惇忠は、文政13年7月27日(1830年9月13日)、岡部藩領の榛沢郡下手計村(はんざわぐん しもてばかむら、現在の埼玉県深谷市下手計)の...
おすすめスポット、お店

英国骨董スージークーパーのある店 あぶり珈琲(川越市)

川越の時の鐘の裏通りにその店はある。オーナーの林裕之さんの夢が叶った店だ。そこでは誰もが、美味しい珈琲を飲み、自分の時間を過ごせる。正に隠れ家のような喫茶店である。  (2024年7月に再訪し、2007年11月記事を再掲します。写真...
渋沢関連

長谷川清の地域探見(23) 渋沢栄一と二人の師(その1)父渋沢市郎右衛門

今月3日から20年ぶりに新しい紙幣が発行されています。その中で新しい一万円札は、表面に明治時代日本に株式会社を導入し、産業界を立ち上げた埼玉県深谷市出身の渋沢栄一(以下・栄一)、裏面に深谷市にあったレンガ工場で生産された赤レンガを使った旧...
歴史

光が丘団地(練馬区)は戦時中、成増陸軍飛行場だった 

今は高層住宅が建ち並び緑豊かな公園が広がる練馬区光が丘。ここに戦時中、首都防空のための基地、成増陸軍飛行場があった。飛来するアメリカの爆撃機B29を相手に、捨て身の特攻作戦も行われ、犠牲者が出た。飛行場跡地は戦後、進駐米軍用住宅グラントハ...
おすすめスポット、お店

蔵造りの町川越の小林家住宅 明治16年建設の文庫蔵に昔なつかしい驚きの品々

観光客でにぎわう川越の蔵造りの街、一番街の通りに面して、最近旧埼玉りそな銀行川越支店の築105年の建物が「りそなコエドテラス」として生まれ変わった。そのすぐ隣、屋根に変わった飾りのついた古風な蔵造りの店舗がある。店蔵と座敷は和菓子のくらづ...
歴史

板橋競馬場跡に愛光舎牧場 角倉賀道開く

板橋競馬場は明治43年(1910)に閉鎖され、広大な空地が残された。その一部に、大正2年、愛光舎牧場が移転してきた。  愛光舎牧場は小児科医であった角倉賀道(すみのくら・よしみち、1857~1927)が明治32年に現在の巣鴨に開いた...
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