77万冊の雑誌を所蔵する日本初、最大級の雑誌図書館
越生分館には遺品も展示
鋭い社会評論と、「一億総白痴化」など造語の名人としても知られたジャーナリスト、大宅壮一。大宅壮一の所蔵していた膨大な数の雑誌、書籍を受け継いだのが、日本で初、最大級の雑誌専門図書館である大宅壮一(おおやそういち)文庫(以下大宅文庫)だ。東京都世田谷区八幡山に本館があるが、実は越生町に分館がある。大宅文庫とはどのような図書館で、どのように利用できるのか。越生の分館は、どのような役割を果たしているのか。大宅文庫の黒沢岳さんにお話をうかがった。
大宅壮一 1900年(明治33年)9月13日大阪府富田村(現在・高槻市)に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。少年時代、各種少年雑誌に投稿、懸賞メダルを多数獲得。米騒動を煽動するような演説をしたということで、大阪・茨木中学を放校。家業の醤油屋を担いながら「専検」に合格し、旧制第三高等学校に進学。
1922年(大正11年)東京帝国大学文学部社会学科入学。新人会に所属、在学中より健筆をふるう。第二次大戦後、時代の風潮をみごとに裁断する独特な社会評論や人物評論で長くマスコミ界で活躍。自ら“無思想人”を宣言。明快な是々非々論で広く一般大衆の支持を得た。
新語づくりの名人でもあり、「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」などの造語を数多く生み出した。主な著作に、『文学的戦術論』『実録・天皇記』『日本の遺書』『世界の裏街道を行く』『無思想人宣言』『昭和怪物伝』『炎は流れる』などがある。
1970年(昭和45年)11月22日永眠。死の直前に大宅壮一ノンフィクション賞が創設され、ライターの登龍門となっている。
(大宅文庫ホームページより)
大宅壮一の自宅敷地に、1971年に開館
-大宅文庫はどのような経緯で開かれたのですか。
黒沢 大宅壮一は、当時「雑草文庫」とか「資料室」と呼んでいたようですが、自分の活動のために多くの雑誌、書籍を集めていました。それをなるべく広く一般に利用してもらえるような図書館として残してほしいとの遺志がありましたので、亡くなった翌年の71年に財団法人(現在は公益財団法人)大宅文庫が発足、開館しました。
-現在大宅文庫のある場所に大宅さんの自宅があったのですか。
黒沢 そうです。住居と書斎・書庫が別棟で建っていて、大宅文庫はその敷地内に建っています。文庫の建物はその後増築されましたが、奥の方の資料室には、大宅資料室時代の書庫も残っています。大宅が住んでいた家は、今は別の方が改修して住んでいます。
世田谷区八幡山の大宅文庫本館
-大宅さんの奥さんが財団の理事長だったのですか。
黒沢 昌夫人がノンフィクションクラブの協力のもと、マスコミ各社はじめ広く経済界に呼び掛け、寄付金集めに尽力し大宅壮一の遺志を実現しました。今の理事長は、娘の大宅映子さんです。
雑本、雑誌に価値がある
-残された蔵書はどのくらいあったのですか。
黒沢 亡くなった時に、雑誌が17万、書籍その他が3万、合計約20万冊ありました。1951年から70年まで約20年間で集めたわけですが、資料集めを始めたのが「実録・天皇記」執筆のためと言われており、古本屋や古書市で手に入れたそれ以前の古本、古雑誌も多くあります。
大宅は、「一時大衆に受けて今はごみためにあるような本や雑誌がネタになる」と語っていますが、りっぱな研究書などでなく、雑本、雑誌に資料的価値を見出し索引システムも構築していました。
-大宅文庫は、その後も新しく出る雑誌は取り揃えているわけですね。
黒沢 そうです。現在77万冊の所蔵になりました。当館の所蔵誌は、基本的に版元さんから直接寄贈いただいています。
-雑誌専門では日本最大でしょうか。
黒沢 雑誌専門図書館としては、当館と都立多摩図書館(立川市)があります。
88年以降の記事は端末検索できる
-利用するには。
黒沢 入館料を300円いただき、10冊まで閲覧できます。検索で必要な雑誌を見つけたら、カウンターに請求いただき、閲覧していただきます。記事を指定すれば、コピーできます。複写資料代は1枚54円です。
受付カウンター
-貸し出しは。
黒沢 資料の館外貸し出しは行っていません。
-検索は端末でできるのですか。
黒沢 1988年以降の分の雑誌記事をデータベース化しまして、人名、事柄などキーワードで検索できます。今は400誌くらいは新しい号が出れば索引を作っています。
書庫
-それより古いものは。
黒沢 冊子体雑誌記事索引総目録を見ていただくことになるのですが、できるだけ端末から検索できるようにということで、1987年以前の目録収録分もテスト公開を始めました。元々大宅資料室が索引を作っており、それも残して検索できるようにしています。
利用はマスコミ関係者が多い
-利用者はどのくらいいるのですか。
黒沢 直接来館されるのは一日平均50人くらいです。
-どんな目的の方が多いのでしょうか。
黒沢 昔からマスコミの方の利用が中心です。テレビ番組の制作会社なども多いです。たとえば、トーク番組でゲストを呼ぶ際に、経歴、エピソードを調べたり。
-ネットがこれだけ普及しても記事の価値はありますね。
黒沢 ネットでもある程度情報は取れますが、市販される媒体の記事になって情報はそれだけ手間もかかり、裏付けもとれています。またネットですべての記事が入手できるわけではありません。とは言え、ネットの普及はやはり当館の運営にも影響はあります。
-入館料で運営されているのですか。
黒沢 財団法人ですが、基本財産はそんなに多くありません。入館料、資料代、大学や公共図書館でのデータベース利用料。あとは個人及び出版社や新聞社など100社ほどに賛助会員になっていただき、また公益財団法人になってからは寄付を募るようにしています。
-スタッフは。
黒沢 昔よりだいぶ減っていますが、30名ほどいます。
-何に手間がかかりますか。
黒沢 索引づくりと、書庫から雑誌を探し出し、しまう作業です。一日平均2000冊ほど出庫します。
越生分館は主に書籍を収蔵、今後は雑誌も移す計画
-越生分館はいつ開設したのですか。
越生分館
黒沢 1997年です。
-どのような目的で。
黒沢 当時阪神淡路大震災があり、バックアップの問題がありました。それから、本館の書庫が手狭で、特に大宅が残した書籍や新聞を綴じたもの、寄贈された書籍類を移しました。
-越生分館は一般の人が利用できるのですか。
黒沢 毎月1回、第2火曜日午前11時から午後4時に開いています。
-入館料は。
黒沢 300円です。
-どのような利用ができるのですか。
黒沢 大宅の残したもの中心に書籍約7万冊の検索、閲覧ができます。また大宅の著書の他、机、筆記具など遺品が展示してあります。館外貸出やコピーは行っていません。
越生分館展示コーナー
-利用者は。
黒沢 昔の書籍を探す研究者の方が主です。特に充実しているのは人物評論でしょうか。
-今後の分館の役割は。
黒沢 雑誌はどんどん増えて、収蔵するのが大変になっています。かつては年間2万誌増加していました。現在では減りましたが、1万誌くらい増加しています。それをきちんと収蔵するには、本館だけでは足りません。おそらく出庫がないとみられる雑誌は分館の方に移していく方向です。雑誌アーカイブスとして今後も事業を行っていきます。
(取材2016年8月)
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