旧大井町(現ふじみ野市)の川越街道沿いに、アイボリーホワイトの壁、赤い屋根の瀟洒な洋風の建物が見える。昭和初期に建てられた旧役場庁舎で、国の登録有形文化財に指定されている。
(「東上沿線物語」第18号=2008年10月の記事を一部更新の上再掲します。ご説明はふじみ野市教育委員会生涯学習課(当時、現大井郷土資料館)の橋本鶴人さん)
白亜のハイカラな庁舎
―いつごろ建てられたものですか。
橋本 昭和12年に大井村役場として建てられました。それまで役場はいろいろな所を転々としていたらしいです。当時のお金で5千円ほどかけた。新聞によると、川越街道に白亜の、ハイカラな庁舎ができたと評判になったようです。この辺は茅葺の家しかなかったわけですから。
―その後は何に使われていたのですのか。
橋本 今まで85年経過していますが基本的な造りはほとんど残っている。役場としては昭和46年まで、47年に1年だけ警察署に、その後(隣接する)小学校が使い、52年から平成13年まで埋蔵文化財を整理する部屋として利用されていた。昔の役場の姿を残している貴重な建物ということで、14年に国の登録有形文化財に指定され、保存に取り組んでいるところです。
―構造は。
橋本 木造・モルタル仕上げで、全体で200平米あり、1階がカウンターがある役場の受付、事務所、それと村長室、用務員室、宿直室。訪れる人に一番印象が強いのは階段で、昔からの形を残しています。
2階は議場です。このとき議員は12名だった。議員控え室と会議室が併設されています。
戦前の役場は小さかった
―役場としてはかなり小ぶりな感じがしますが。
橋本 村の人口は終戦直後で4千人ほど。役場職員はそのころは10人あまりだったようです。戦前の役場の仕事は基本的に戸籍の管理、税の収納、徴兵の事務などで、人数もそのくらいで済んでいたのでしょう。
昭和46年までには、(業務が増え)他の場所に建物を借りたりしていました。また、川越街道に面し、砂利道だったんですが、交通量が増えて、騒音で議会の発言が聞こえないような問題もあったらしく、(大井町役場、今の大井総合支所に)移転をしたと聞いています。
―建築の特徴は。
橋本 一つに、窓が両開き式で、屋根がバルコニー型。川越街道から見ると洋風の建物に見える。中は和式の部分がかなりあり、和洋折衷といえます。
―一般公開を始めたのは。
橋本 17年に補修工事をして、人が入れるような状況になりましたので、市民に還元していこうと平成18年から公開を始めました。まだ整備が完全に終わっていないので常時公開はできず特別公開(不定期)ですが、年1回でも実際に内部に入っていただき、文化財に親しんでもらいたい。
(ふじみ野市苗間34-6、問い合わせはふじみ野市大井郷土資料館049.263.3111)