嵐山町の国道254号沿いに、広大な敷地を持つ国立女性教育会館(NWEC=ヌエック)が建つ。なぜこのような施設がここにあるのか、疑問を感じる人もいるだろう。ここは、東洋思想家で、終戦の詔勅を刪修し、戦後の歴代首相の指南番と言われ、元号「平成」の考案者でもある安岡正篤(まさひろ、1898-1983)氏が昭和の初め開設した日本農士学校の跡地である。NWECの隣には、日本農士学校を継承する公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館が安岡教学を伝えている。日本農士学校の歴史について、郷学研修所の安岡正守副理事長兼所長にお話をうかがった。
「昭和の松下村塾」と言われた金鶏学院が母体
―金鶏学院が農士学校の母体なのですね。
安岡 昭和2年、東京・白山に全寮制の私塾、金鷄(きんけい)学院が創設されます。敷地は安岡の支援者であった旧姫路藩主家の酒井忠正伯爵(貴族院副議長、農林大臣などを務める)邸にあった庭園でした。「昭和の松下村塾」と言われたそうです。安岡正篤は学監に就任します。
―日本農士学校はその後ですか。
安岡 昭和6年、金鷄学院の人材養成機関として、嵐山町菅谷に日本農士学校が開設されました。
農業から国を支える青年を育てる
―日本農士学校を開いた目的は何だったのでしょうか。
安岡 安岡は、「青年は地方農村で身を修め、農業から国を支え地域に貢献していくことが必要である」と考え、全国から若者を集めて教育したのです。
―場所ななぜ嵐山だったのですか。
安岡 日本農士学校のあったのは、現在の郷学研修所と国立女性教育会館(NWEC)のあるところで、菅谷館(畠山重忠の館跡)に隣接しています。鎌倉武士の鑑と讃えられた武将が過ごした地が教育にふさわしいと考えたのだと思います。
広さ7万坪、九州の炭鉱王麻生太吉が寄付
―広さはどのくらい。
安岡 約7万坪(23㌶)ありました。九州の炭鉱王、麻生太吉氏(麻生太郎元首相の曾祖父)により寄付された10万円(現在の60億円相当)が設立資金になりました。
―どのような教育が行われたのでしょう。
安岡 入学資格は旧制中学卒業以上ですが、師範学校や大学の卒業生もいました。全寮制で、修業年限は本科1年と、卒業後研究科が1年ありました。農学や農士道の座学の他、当時の軍政財界トップによる講話、農業・農村経営に関する実践的学習がありました。
―卒業生で有名な方がいますか。
安岡 それぞれ各地で活躍されました。近隣では、1期生の金子萬藏さんという方は小川町の有機農業で有名な金子美登さん(2022年逝去)のお父様です。
「休戦に際しての告辞」
―金鷄学院、日本農士学校は終戦で大きな転換を迫られます。
安岡 昭和20年5月の空襲で小石川にあった安岡の自宅は焼失。金鷄学院は庭園が防火帯となり焼失を免れ、罹災者を収容し、安岡も以後金鷄学院で起居しました。8月15日の天皇陛下の終戦の詔勅は安岡が刪修(推敲)しましたが、その前8月10日農士学校の生徒達に「休戦に際しての告辞」と題する手紙を届けています。そこで、敗戦の本質は「我が国の内面においては道義の退廃であり外面においては科学力と政治力の未熟の結果です」と述べています。
終戦で金鷄学院は解散も農士学校は存続
―安岡さんは公職追放になるわけですね。
安岡 戦犯容疑者リストには当初安岡の名がありましたが、中華民国蒋介石主席の進言ではずされました。それでも公職追放は免れませんでした。金鷄学院はGHQにより解散、財産没収されましたが、農士学校については安岡が戦争に関与していないと陳情し解散はされませんでした。
―日本農士学校は戦後も存続した。
安岡 日本農士学校は終戦後も名称を変えながら続き、49年に(財)日本農学校を設立、さらに52年に埼玉県立興農研修所、63年に最後の卒業生を送り出し埼玉県農業研修センターと衣替えします。その後は農業教育の役割は終え、跡地に70年に郷学研修所、77年に国立女性教育会館が開設されました。
歴代首相の指南役
―安岡正篤さんは、戦後も活躍されます。
安岡 公職追放を解除されたのが終戦から6年後です。戦後は師友会という組織を立ち上げて活動の拠点としていました。
―歴代の首相にも影響を。
安岡 繋がりがあったのは、吉田茂さんから中曽根康弘さんまで。中でも佐藤栄作さんとは関係も深く、施政方針演説などすべて目を通していたようです。
―「平成」の元号の考案者と言われています。
安岡 そう報道されています。本人の口からは一切出ていませんが。
郷学研修所・安岡正篤記念館はリニューアル
―郷学研修所・安岡正篤記念館は最近リニューアルされたのですか。
安岡 建物が老朽化、財団運営資金も厳しい状況でしたので、コロナ渦ではありましたがクラウドファンディングで大勢の皆様にご支援をいただいてリニューアルしました。お蔭様で令和4年に新しい体制でリニューアルオープンすることができました。現在の理事長は安岡定子です。
―何が変ったのですか。
安岡 3階建ての研修棟を解体、記念館の展示も変更、恩賜文庫も専門の先生に整理していただきました。
―現在の研修はどうされているのですか。
安岡 今は毎月第一土曜に「安岡正篤の著書、言葉に学ぶ人間学」(竹中栄二先生)、2ヶ月に一度、経営者向けのビジネス講座(講師安岡理事長)を開催しております。
―郷学研修所敷地にあった金鷄神社はどうなりました。
安岡 平成30年に川越の山田八幡神社に末社として移させていただきました。