府中市の地域スポーツクラブで小学生にランニングを指導する中野稚子(ちこ)さんは、かつてマラソンのトップランナーだった。国士舘大学時代、海外のマラソン大会で学生日本新記録を樹立、ユニバーシアード大会でも入賞した。しかし、実業団では故障で実績を残せなかった。中野さんは、全力で走り続けた体験を糧として、今子どもたちに走る楽しさを伝えている。
子ども時代から駆けっこが速く、走るのが好きだった
―陸上を始めたのはいつからですか。
中野 中学1年からです。
―どうして陸上をやろうと思ったのですか。
中野 走るのが単純に好きでした。鬼ごっこをしても、誰にも追いつかれない。父の話では保育園の運動会でヨーイドンで先頭に立って、後ろを振り返り、みんなを待ってからゴールするような子だったらしいです。
―最初から長距離だったのですか。
中野 いろいろやったんですが、当時中学で一番長い距離が800mでした。最終的に大きな大会に残っていけるのが800mだったので先生に一本に絞れと。
―長距離になったのは。
中野 大学からです。
―高校はどうしたのですか。
中野 中学校では関東大会まで行ったので高校も強いところにと思ったのですが、いろいろ悩んで普通の都立高校に行ったら、指導者もいない、同級生もいない、校庭が一周使えない、という状況で、どんどん弱くなり、遊んでバイトばかりしていました。
国士舘大学2年生で初マラソン
―大学は国士館大学に。
中野 とにかく走りたかったし、体育の教員を目指すために体育大学に進みました。
―大学に入って、本格的に長距離に。
中野 最初は1500mとか3000mとか中距離なんですが、2年生くらいから5000m、10000mと延び、2年生の終わりに初マラソンを走りました。
―長いのをやりたかったのですか。
中野 陸上を始めた当初はハードルがやりたかったのですが、指導者が私の走りを見て長距離がよいと。やはり長距離向きだったんだなと思います。
―長距離になって成績が上がるように。
中野 伸びました。2年の終わりに初マラソンを走り、次の年からいろいろな大会にすべて招待してもらえるようになりました。
―そこまでいけたのは練習ですか。
中野 とにかく勝ちたかったのです。どうやったら速く走れるか、大学時代は毎日それを考えていました。結局、周りがやっていないことをするしかない。1分でも人より長く走るとか、補強をするとか、休みの日も休みませんでした。
ビクトリアマラソン(1985)で優勝、学生日本新記録、ユニバーシアード出場
―具体的な実績を教えていただけますか。
中野 関東インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)5000mで5位、10000mで2位とか。フルマラソンでは、ニューカレドニア国際マラソン(1984)で7位、オーストラリアのビクトリアマラソン(1985)で優勝し、それが当時学生日本新記録でした。
―駅伝で東京都代表に。
中野 大学4年の時、都道府県対抗女子駅伝で都代表として走りました。
―そしてユニバーシアードにも出場された。
中野 ユニバーシアードの予選となる名古屋国際女子マラソンで10位入賞しベストタイムを更新、代表決定。86年に私は大学を卒業して実業団の三田工業に入社していましたが、ユーゴスラビアのザグレブで開かれたユニバーシアード大会マラソンで5位に入賞しました。
―オリンピックを目指す気持ちもあったのですか。
中野 自分の中では気持ちはありましたが、強化選手には入っていないです。
―当時、オリンピックに出たのはどなたですか。
中野 1984年のロサンゼルスオリンピックに出場したのは佐々木七恵さんと増田明美さんです。
実業団時代故障で実績残せず
―実業団の三田工業ではその後実績は。
中野 ユニバーシアードが2年目にあったくらいで、あとは故障で目立った成績が残せませんでした。
―故障された。
中野 大学の時も故障は多い方だったんですが、大会の時はうまく乗り切れていました。三田工業ではすごくいい練習ができてきたのに大会直前にどこかが痛くなり出られないという逆のパターンになりました。名古屋国際女子マラソンで入賞しユニバの日本代表決定もしましたが、嬉しいというより、ホッとした気持ちの方が強かったです。その直後、突然走ることができなくなりました。オーバートレーニングと診断され、十分な練習ができず、結果ユニバも5位入賞とはいえ酷いレースでした。ユニバ後も走れず、3年間ほどレースに出られないままチームに所属していました。
―それは大変でしたね。
中野 一番記録を狙える年齢でしたので、なぜ走れなかったのか後悔があります。キャプテンでもあったので、走らない分チームの仕事をしなければならず精神的に本当に辛かったです。
―中野さんの故障は何が原因だったと思いますか。
中野 練習し過ぎです。それと食事がよくなかったと思う。元々の素質も足りなかったのかもしれません。よく気持ちだけで走っていると言われました。
―ダイエットはしたのですか。
中野 とにかく体重は落とせ、落とせです。スポーツカーと一緒で、エンジンは大きくて車体が軽いのがよい。練習しなくても体重を落とせばタイムが縮むんです。でも私は全然苦ではなかった。落とせないことはなかったです。
2003年から大学のコーチ
―三田工業にはいつまでいたのですか。
中野 三田工業では最後2年ほどはプレイングコーチの形で10年いました。
―その後国士舘大学でコーチに。
中野 2003年から大学に戻って10年ほど女子長距離のコーチをしていました。
―陸上選手としてのこれまでを振り返ってみて。
中野 実業団では何も実績を残せませんでした。ユニバは学生時代の貯金みたいなものです。実業団で成績が出せなかったのは悔いです。
―たいへんだったですか。
中野 苦しいと思ったことはありますが、たいへんとは思わなかった。やめたいと思ったことは1回もありません。
―ランニング以外趣味は。
中野 ないんですよ。映画を見るのは好きですが。それが悩みでもあって、ケガをした時に、他に何か気晴らしをしたり、落ち込まずに済むことがなくて。
走れなくてもやれることは多くある
―挫折も貴重な経験ではあります。
中野 故障が多かったのでいろいろな知識が増えました。そういう体験があって大学のコーチとして、学生に伝えられることは多かったと思います。
―大学では自身の体験から後輩にどういう点を伝えたのですか。
中野 私もそうだったんですが、どこかが痛くて走れないとなると、下を向いてトコトコ歩いているだけなんです。でも、もっとできることいっぱいあるんだよ。ウェートトレーニングやプールトレーニング、エアロバイクなどの他の練習でも、走るのと同じくらい達成感を味わえる事に気づいて欲しいと思い指導していました。
府中市総合型地域倶楽部「すたあと」のランニングクラブ
―現在は子ども達にランニングを教えている。
中野 府中市総合型地域倶楽部「すたあと」のランニングクラブで週2日指導しています。小学3年生から大人までと募集しているんですが、今は小学生だけです。
―どんなトレーニングですか。
中野 年間を通して重要視しているのは、この年齢で発達する神経系のトレーニングです。
7月と11月に開催される短距離の大会を目指します。そして、毎年3月に立川でマラソン大会があり、小学生は3キロの部があります。4月から3月まで練習して3キロ走れるだけの体力をつけて、大会に出たい子にはチャレンジしてもらいます。
―小学生で3キロは長い?
中野 走れます。どんな子でも、止まらずに3キロ走らせる自信があります。
―練習では走るのですか。
中野 時間は90分間ですが、あまり走らないで動いています。走りの基礎となる動きを色々なバリエーションで行います。短距離の大会までは、短い距離向けの練習をします。その後、距離を伸ばす練習をしていきます。
―練習場所はどこを使う。
中野 小学校の校庭です。陸上競技場を使うこともあります。国士館大学の陸上部の学生にアシスタントコーチで来てもらっています。
挫折がランニングを指導する時の自信になっている
―子どもに教えるのはどうですか。
中野 今はすごく楽しいです。私は、強くなること、勝つことだけを考えていたのですが、何度も挫折した選手時代があるので、それがランニング指導する時の自信になっています。子供たちにはとにかく楽しく、自由に。私が子供の時に鬼ごっこで感じた「ずーっと走っていたい」を伝えたいと思っています。グランドに立つ自分が一番自然体でいられます。
ランニングを始めるには最初は走る・歩くを繰り返す
―これからランニングを始める人へのアドバイスをお願いします
中野 まずは3分走ったら、2分歩くを繰り返しましょう。速歩きと変わらない、お話ができるくらいの速度で走ります。欲を出して最初から速く走ったり、たくさん走り苦しい思いをすると続きません。3分くらいならまだまだ走れる感じですが、あえて1回歩きましょう。これを3回やれば15分。それを続ければ、らくちんになるので、今度は5分走って2分歩くといった具合に徐々に延ばしていき、最終的には2分歩くをなくすと、続けて15分とか21分走れるようになります
―マラソンを走るには。
中野 マラソンを目標にしたいのであれば、走るだけでなく筋力をつけることが必要です。距離をたくさん走らなくても筋力をつければ走れます。
―ランニングすると何がいいのでしょうか。
中野 走ってみると、その日の体調がわかります。運動する爽快感もある。もちろん健康効果もある。ただ何が何でも走らなければいけないみたいになる人も多くて、そうなると逆効果です。
ランナーズハイ
―いわゆるランナーズハイを経験していますか。
中野 あります。ただ1回か2回くらいです。
―どういう感じですか。
中野 どこまででも走っていけるという感覚です。終わりがない。
―また経験したいですか。
中野 したいですね。でも、それよりもインターバルという一番苦しい練習があるんです。速いペースで走るをジョグでつないでそれを繰り返す。今はできないとわかっていますが、無性に走りたくなるときがあります。
―ランナーで尊敬する人がいますか。
中野 選手時代もよく聞かれたんですが、目標にする人は、あまりいませんでした。
最近、世界陸上のトラックで入賞した田中希実さんという若い選手がいます。彼女は、自分が出したことのないタイムでどんどん走っていく外国人選手に普通ならおじけづき、「こんなタイムで行ったらつぶれる」と考えて下がるところをついていき、レース後のインタビューで「ワクワクした」と答えていました。彼女のメンタルの強さに感動しました。
(取材2023年9月)