埼玉県を代表する観光地となっている長瀞。荒川の渓流、岩畳、秋の紅葉と景観が美しいが、元々は地質学における学術的価値が高いことから注目され、大正時代に国の名勝及び天然記念物に指定された。今年で指定から100周年を迎えたのを記念し、県立自然の博物館で「長瀞自然遊覧」と題する企画展が開かれ(2025年2月24日まで)、特徴的な地質、動植物などについて、自然史的視点から長瀞の魅力を紹介している。展示の内容について、同館の学芸員にご説明いただいた。
大正13年(1924)、埼玉県で初めて国の名勝及び天然記念物に指定
「長瀞」は大正13年(1924)、埼玉県で初めて国の名勝及び天然記念物に指定され、今年で100周年を迎えました。指定範囲は親鼻橋から高砂橋までの約3. 5kmで、岩畳、虎岩、四十八沼、ポットホールなど、魅力あるスポットが沢山詰まっています。
長瀞が国の名勝及び天然記念物に指定された理由としては、露出する岩石の地質学的な価値が高く、それらの岩石が織りなす景観が美しいということが挙げられます。長瀞渓谷を形成するのは結晶片岩という地表ではできない特別な岩石です。約7千万年前の白亜紀、海の底にあった堆積物がプレートの沈み込みによって地下深くに引き込まれ、高い圧力と熱が加わったことで結晶片岩に変化しました。普通地表で結晶片岩を見ることはできませんが、長瀞では地殻変動によって上昇し、その後荒川の流れで侵食された結果、地表に顔を出しました。地下奥深くの岩石が地表で見られるということで、長瀞は「地球の窓」とも呼ばれています。
結晶片岩にも原石によっていろいろな種類
一口に結晶片岩といっても、含まれる鉱物の違いによって様々な種類に分けられます。たとえば岩畳では石墨片岩、虎岩ではスティルプノメレン片岩、白鳥島では、石英片岩が見られます。赤色が美しい紅廉石片岩は、皆野町などから世界で初めて報告、記載されました。
「日本地質学発祥の地」、大正10年「秩父鑛物植物標本陳列所」開設
長瀞は、古くから地質学の研究が盛んだった場所ということで「日本地質学発祥の地」と言われ、明治時代から多くの地質学系研究者や学生が訪れました。中でも、当時東京帝国大学の教授であった神保小虎は頻繁に長瀞を訪れており、その指導の下、大正10年(1921)に秩父鉄道が「秩父鑛物植物標本陳列所」(自然の博物館の前身施設)を開設しました。またその翌年には林学博士の本多静六東京帝国大学教授らの主導により、旅館や運動場などを備えた遊園地計画が立てられます。その後、大正13年(1924)に国の名勝及び天然記念物に指定されたことにより、多くの観光客がこの地を訪れるようになりました。
河岸段丘が生み出した多様な自然環境
指定範囲の長瀞には、荒川によって作られた河岸段丘が広がっています。博物館がある市街地から荒川に向かって下っていくと、段丘崖にコナラやケヤキから成る河畔林が広がっています。その先の段丘面には、荒川の旧流路跡に出来た沼(四十八沼)が点在し、さらにその奥には岩畳の岩盤が、そして岩畳の切り立った岸壁の下に荒川が流れています。樹林あり、沼あり、岩場あり、川ありと多様な自然環境が凝縮されているため、それぞれに違った生きものが暮らしているのです。
植物:川沿いの環境に適応したユキヤナギ、草地に生えるスズサイコ、観光の目玉の紅葉
長瀞を代表する植物として、ユキヤナギが挙げられます。3-4月ごろ白い花を穂のように咲かせる低木で、荒川の水がかかるような岩畳の岸壁に生育しています。本種の枝はとてもしなやかで、増水して水をかぶっても枝が折れることなく、流れに耐えることができます。スズサイコは、明るい草地でしか生育できない絶滅危惧種ですが、樹林が発達しにくく草地が多い岩畳では、沢山の個体が生育しています。段丘崖の河畔林はケヤキやコナラなどの落葉高木から成り、林床にチゴユリやタチツボスミレなどの草本が四季折々咲き乱れます。モミジの紅葉は秋の長瀞観光の目玉になっていますが、多くは植栽されたものと考えられます。
昆虫:多種多様なトンボ類、絶滅危惧種のキバネツノトンボ、国蝶オオムラサキ
長瀞には約40種ものトンボ類が確認されています。トンボの幼虫「ヤゴ」は水中に生息しており、四十八沼や荒川の本流といった水環境の豊富さがこの多様性を生み出していると考えられます。キバネツノトンボは「トンボ」の名が付いていますが実はアリジゴクの仲間で、その幼虫は植物の根本などに潜んでいます。埼玉県では絶滅危惧種に選定されていますが、岩畳には広く生息しています。国蝶であるオオムラサキは、河畔林のクヌギ・コナラの樹液に集まります。幼虫の食草、エノキにも生育しているので、当地で繁殖している可能性があります。
鳥類:長瀞の鳥セキレイと、商店街のツバメ
長瀞の鳥に選定されている「セキレイ」は、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイの3種が生息しており、岩畳や道路上を駆け回る姿が頻繁観察できます。
長瀞駅前の商店街では、春先にツバメが複数繁殖しています。お店の方々も巣を壊さず見守っているため、国内有数ともいえる繁殖地となっています。
哺乳類:河畔林に生息するムササビ
博物館前の河畔林では、樹木の間を滑空することで有名なムササビが生息しています。林床を歩くとエビフライのような形の植物片を拾うことがありますが、これはムササビが食べた松ぼっくりの残骸です。
長瀞のこれから:外来種の増加
長瀞の自然環境は名勝・天然記念物指定当初の100年前と今では大きく様相が異なっています。
一つ目の変化は、外来種の増加。人の往来が激しい長瀞では、多くの外来生物が持ち込まれ、環境の単調化を招いています。例えば西アジアおよびヨーロッパ原産の植物であるキショウブは四十八沼に点々とみられますが、その見た目の鮮やかさから人によって持ち込まれました。食用として持ち込まれたウシガエルやその餌として持ち込まれたアメリカザリガニも、四十八沼に広く定着しており、在来生物を駆逐しています。アライグマは初めペットとして輸入されましたが、飼いきれずに放たれた個体が野生化し、個体数を増加させています。また、北アメリカ原産のアレチウリは初め家畜の飼料に紛れて日本に持ち込まれましたが、荒川の水流により種が運ばれ、荒川沿いの草地を覆っています。
二つ目の変化は、植生の変遷。現在の岩畳にはクヌギやケヤキなどの高木が密生していますが、指定当初は、背の低い草本や低木がまばらにみられるのみでした。これは、荒川の上流にダムがつくられて洪水が起きづらくなったことにより、植物が洗い流される機会が減ったためと考えられます。岩畳の上には明るい草地環境好む希少な動植物が複数見られますが、こうした樹林化に伴い、徐々に数を減らしていると考えられます。
国の名勝及び天然記念物である長瀞では、許可なく動植物を採取したり、地形を変更したりすることが禁止されています。こうした状況のなか、今後長瀞の自然環境をどのように維持していくのかが大きな課題となっています。
長瀞の自然遊覧の薦め、おすすめコース
長瀞の魅力を実際に体験していただくために、博物館おすすめのモデルコースを紹介します。博物館から長瀞駅まで1~2時間ほどのハイキングコースです。
①自然の博物館→②宮沢賢治の歌碑(大正5年にこの地を訪れ、荒川沿いの虎岩を博多帯に例えて歌を詠んだと言われています。)→③秩父鉄道荒川橋梁(大正3年に建てられた花崗岩とレンガ造りの橋です)→④虎岩(スティルプノメレン片岩という珍しい結晶片岩で、虎の毛皮模様に似ていることからこの名が付きました)→⑤小滝の瀬(断層によって荒川の流路が直角に曲がっている場所で、流れが速くなっています)→⑥岩畳のポットホール(川底のくぼみに入り込んだ石が回転し、長い年月をかけ岩盤を削ることで出来た穴です)→⑦秩父赤壁(荒川の右岸側にそびえる大きな岸壁で、中国の景勝地になぞらえてこの名が付けられました)→⑧岩畳・ライン下り発着場(石墨片岩から成る、畳を敷き詰めたような美しい景観です)→⑨長瀞駅
オリジナルグッズ「結晶片岩フロスティボトル」
今回、企画展の開催を記念して、2種類のオリジナル限定グッズを作成しました。
- 「結晶片岩フロスティボトル」(1000円)。
半透明のプラスチック製容器に結晶片岩のイラストが描かれており、中に注ぐ飲み物によって結晶片岩の種類が変化します。岩畳の石墨片岩を再現するならブラックコーヒーが、虎岩のスティルプノメレン片岩を再現するなら烏龍茶がおすすめです。
- 「ながとろマスキングテープ」(各300円)。
結晶片岩の模様が描かれた「粋な模様の結晶片岩」、動植物のイラストが描かれた「長瀞岩畳のいきもの」の2種類からお選びいただけます。どちらも学芸員渾身の描き下ろしイラストとなっています!
これらのグッズは、自然の博物館の受付で販売しています。