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映画「武蔵野」公開 原村政樹監督に聞く

埼玉県南西部に広がる武蔵野。開発の進んだ今も、雑木林が残り、落ち葉をたい肥として使う循環農業が営まれている。この武蔵野の農家を描いたドキュメンタリー映画「武蔵野」が、近く公開される。製作したのは、川越在住で、NHK番組などを多く手がけた記録映画監督の原村政樹さんだ。原村監督に、製作の狙いなどについてお話をうかがった。

NHKやテレビ東京の番組製作

-原村さんは、ドキュメンタリー映画の監督ということでよろしいですか。

原村 記録映画監督です。基本的にはドキュメンタリー一本でずっとやってきています。今はフリーランスです。


原村監督

-仕事はTVですか。

原村 元々僕は桜映画という会社で、企業のPR映画や文化映画、教育映画がスタートです。30代半ば頃からテレビの仕事を始め、NHKの「ETV特集」、「新日本風土記」とか、テレビ東京は主に「ガイアの夜明け」とか「カンブリア宮殿」とか、たくさん作ってきました。TVの仕事は面白いですが、不自由な点もあります。並行して、長編ドキュメンタリーも作ってきましたが、前作の「無音の叫び声」を機に自主映画を中心に作品創りをすることにしました。

地元にある森を伝えたい

-今回「武蔵野」を取り上げたのは。

原村 フリーになって最初の長編ドキュメンタリー作品が「無音の叫び声」(2015)です。山形を舞台に、農民詩人木村迪夫の目線を通じて農業や戦後日本の歴史を描いたものです。その映画の3本柱のひとつ、「ヤマがなければ人間は生きていけない」ということをもっと深く表現したいと、「武蔵野」を撮り始めました。

-川越に住んでいるということも「武蔵野」にした理由ですか。

原村 僕は、40年前ですが、10代の後半にこっちに引っ越してきた時から武蔵野の雑木林に親しんできました。自分の地元にこういう森があるからいつか伝えたいという思いがありました。2013年にNHK「新日本風土記・川越」を企画しディレクターを務めましたが、その時、蔵の町や川越祭りはよく知られているのに、川越市民ですら市内で江戸の落葉堆肥農業が継承されていることを知らない人が多いと気づきました。番組ではほんの一部した紹介できなかったこともあって、ここをしっかり描きたいと思い、それで「武蔵野」をやると決めたのが3年前です。


武蔵野の雑木林

3軒の農家を描く

-映画はどのような内容ですか。

原村 基本的には、3人の農家の方を取り上げて、1年を追っています。1人は家族で農業を経営している大木さん(川越市)一家。2人目は、伝統農法にこだわる三芳町のさつまいも農家の伊東さん。もう1人は雑木林の保全に取り組む所沢の横山さん 。3人の農家が軸で、木工作家のグループや農家を支える市民の人たちも登場します。それと、今回重視したのは、森の美しさ、四季折々の自然の豊かさを描くことです。

-スタッフは。

原村 自分はディレクターなので、本来は、カメラマンと音を取る人と3人でやるのが一番よいのですが、元々カメラ撮影の経験もありますので、この際フットワークよくしようと1人ですべて3役をこなしています。


落ち葉掃き

-完成は

原村 2017年10月です。まず11月11日に狭山市市民ホールで上映されます。その後、川越を含めた地域で上映活動を予定しています。希望者にはDVDを貸し出します。

-長さは。

原村 約2時間です。クラウドファンディングを行っており、以下のページに予告編があります。

江戸時代の循環農業が今も息づく「武蔵野」の輝きを広く伝えたい - クラウドファンディング READYFOR
首都圏30キロ県内に残る武蔵野の森(ヤマ)。そこには江戸時代の循環農業が今も息づいている。その農の営みとヤマの四季を映像美と共に伝える - クラウドファンディング READYFOR

農家の人に惹かれる

-農業がテーマの作品が多いですか。

原村 いろいろなものをやってきましたが、根底は農業です。10代の高度成長の時代に、なぜか今の時代がいやだ、生きづらいと感じました。人は、水と空気、食べ物がないと生きていけない。命を根底で支えているものを冷遇してきたのが、日本の戦後だったと思います。

農村に行くと、農家の人はすごく知恵があり、心の中の世界が豊か。東京を歩く人と顔つきと違う。こんな素敵な人と出会えるという喜びがあり、惹かれました。

-生まれは。

原村 生家は東京・下北沢ですが、5歳の時から東上線沿線に住んでいて、板橋、朝霞、川越と引っ越しをしてきました。その間、常に身近に雑木林がありました。

(取材2017年8月)

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