東上線みずほ台駅から散歩しました。松永安左エ門の別荘であった柳瀬山荘を訪れるのが目的でしたが、かなりの距離を歩くことになりました。
みずほ台駅西口から何もない畑の中の道が結構長く、出足から足腰にこたえました。三芳町に入り、郷土資料館の裏手、浦和所沢バイパスに下る斜面林が「竹間沢こぶしの里」として整備されています。下の方に湧き水もあるようです。便が悪く平日であり、人気はありませんでした。
すぐ近くに西武台高校の大きな建物があります。サッカーや野球で頭角を現している学校です。下の浦所バイパスからの道が「西武台通り」と名づけられていました。もうこの辺で疲れが出て休みたいと思ったら、「柿屋」というそば店がありました。しかしちょうどお昼時で待つ人が数人いて、帰りに寄ることにしました。帰りに寄り、天ぷら付きもりそばを頼んだら非常なおいしさでした。外観はプレハブのような店ですが、見かけによらないものです。
道は国道254号(川越街道)に突き当たり、向かいに跡見学園女子大学が見えます。近くの押しボタン信号を渡り、細い道を下ると清流が流れ、かたわらに湧き水といくつかの小さな石造物が建っています。これは「くりから(倶利伽羅)不動」と呼び、水神である龍をまつり古くは修行・信仰の場であったといいます。これを見るのも今回の散歩の目的の一つでした。
川越街道と浦所バイパスが交差する英インター沿いの道を上がり、柳瀬山荘に向います。以前取材で訪れたことがあるのですが、その時は浦所バイパス沿いにある駐車場に車を停め裏口から林を上りました。今回は正門からで地図を見ても入口がどこにあるかわかりません。標識もなし。以前、跡見女子大の職員の方と話していたら、隣に柳瀬荘があるということを知りませんでした。それでも、それらしき建物が見えてきてホッとしました。
柳瀬荘は、「電力の鬼」と言われ、茶人としても名高い松永安左エ門(1875-1971、耳庵)が昭和初期に別荘として建てました。入口を入ると、巨大な古民家風建物、黄林閣が構えています。元々天保15年(1844)に現在の東久留米市の大床屋の家として建てられたのを昭和15年に松永が譲り受けここに移築しました。数少ない武蔵野民家として国の重要文化財に指定されています。
黄林閣とは渡り廊下でつなげて、斜月亭という昭和13年から14年にかけて東大寺の古材で建てられたという斜月亭、さらに江戸初期の土岐氏の茶室を建て替えた九木庵が並びます。静かで奥深い空気が漂う空間です。
柳瀬荘は現在は東京国立博物館が管理しています(公開は週1回木曜日)。敷地は5千坪を超え、周囲は雑木林で囲まれています。松永安左エ門はここから菩提寺であった平林寺を見渡したと伝わりますが、現在は木が生い茂り眺望はほとんどありません。すばらしい文化遺産なので、もう少し工夫があってもよいかもしれません。