日本武尊(やまとたけるのみこと)は悲劇の英雄として、昔から日本人に愛されてきた、日本神話のスーパーヒーローだ。日本武尊はその死後、魂が白鳥になって天空に飛び去ったという、白鳥伝説の主人公である。それ故に、その白鳥が舞い降りたという伝承が、日本全国に広まるとともに、稲作の守護神として、日本武尊を祀った神社は、全国各地に多数ある。小川町の北西部、勝呂にある白鳥神社もその中の一つだ。
光る神様の出現
白鳥神社の南に、夜な夜な光る、不思議な谷があった。
明徳年間のある日のこと、一人の落武者が村にやってきた。
村人から光る谷の話を聞いた落武者は、その谷を掘ってみた。
土の中からはなんと、十一面観音像が現れたのである。
ちょうどその時のことだった。
向かい側の山の中腹に、二羽の白鳥が舞い下りた。
村人たちはこの白鳥を神の使いと崇めて、白鳥の止まった所に社を造り、十一面観音像を安置した。
それが現在の白鳥神社である。
また、それ以来神さまの出た所を、神出(じんで)と呼ぶようになった。
日本武尊と金属の匂い
十一面観音像が出てきた神出には、古くからマンガンや黄銅鉱などの鉱脈がある。
白鳥神社の氏子総代の山口治平氏によると、戦時中までは、実際にマンガンの採掘が行われていたそうである。つまり、十一面観音像が掘り出された光の発する場所とは、鉱脈を示すと考えられるのだ。
どうやら日本武尊には、常に金属の匂いがまとわりついている。
民俗学者の谷川健一氏も、その著作の中で指摘している。
白鳥神社へ
白鳥神社は東武竹沢駅の西約3.5キロ、兜川源流近くの山の麓にある。
道路沿いの石段を登ると拝殿があり、拝殿の背後にある山の中腹に本殿がある。
お参りをして拝殿の左から裏に回ってみた。ところが拝殿の裏は鬱蒼と茂った山で、本殿に続く参道がどこにもない。いささか慌てた。拝殿の正面に戻りキョロキョロとあたりを見廻すと、右側に少し高くなっているところがあったので行ってみた。生い茂った草の間に、細い道のようなものが見えた。
(蛇が出てきたらどうしよう…)ちょっと怖い。草を掻き分けるようにして、前に進んでみた。
すると苔むした石段があり、下から見上げると、その先にも何段もの石段が続いている。見上げると、生い茂る樹木が日光を遮り、昼なお暗い空間がある。「エライ所に来てしまった」これがその時の心境だ。
石段を登りきると、正面の鞘堂の中に、右から白鳥神社本殿、十一面観音像の祠、三光大神社(妙見様)と並んでいる。鞘堂の中は綺麗に掃き清められていて、塵一つ落ちていない。
神さまの受難
以前に十一面観音像の、頭部が盗まれたことがあったという。
事件の顛末を総代の山口さんに伺った。
―どうやって盗んだんですか、祠には鍵が掛かってましたけど。
山口 昔は鍵を掛けてなかったんです。鍵なんか掛けなくても、大丈夫だったんですよ。そんな悪さをする人なんか、居なかったからね。
―盗まれた頭部はどうなったんですか。
山口 沼の中に投げ込まれていたんですよ。たまたま遊びに行った子供が見つけて拾ってきたんですよ。
―その沼は今でもありますか。
山口 今でもありますよ。ホンダの寄居工場が出来るところの、手前なんですけどね。寄居トンネルを抜けたすぐの沼ですよ。
―でも良くみつかりましたね。
山口 あまり水が無かったんでしょうね。盗んだ人も、盗んでは見たものの、こんな物と思って放り投げたんだろうね。きっと。
―いつ頃のことだったんですか
山口 はっきりとは覚えていないけど、見つけた子供が、もう50代位になっているから今から3、40年位前かな。
―見つかった観音様はどうなりました。
山口 修理してもとの祠に戻しました。
―それにしても良く見つかりましたよね。
山口 きっと観音様も元に戻りたかったんでしょうね。
◇
鎮守の杜は、私たち日本人の心のふるさとだ。「心の時代」と言われている今、身近にある神社にもういちど目を向けて見るのも、大切なことだと感じた。 (岩瀬)
(「東上沿線物語」第7号=2007年11月掲載)