はしか大流行
平成18年の年末から20年にかけて、埼玉県、東京を中心に首都圏の若者の間にはしかが大流行した。はしかは伝染力が非常に強く、患者のそばにいくと、まだかかっていない人はほとんど感染する。
しかも特効薬がなく、安静や水分補給などの対症療法しかない。まれに成人もかかるが、もともとは乳幼児に多く発症するものと認識していたのだが、今回は少し違うようだ。乳幼児に比べ格段に行動範囲の広い若者の発症が、感染のスピードを加速した。
はしかのウィルスが、ワクチン接種による予防のすき間を縫って暴れだした。ウィルスと人間の戦いはまだまだ続きそうだ。ばかばかしいと思う人もあると思うが、こうなったら神様にすがるしかない。
はしかの神さま
東松山駅のほぼ東南、広々と広がる田園地帯に鬱蒼とした樹木に被われた小高い丘がある。ここは埼玉県指定史跡の将軍塚古墳である。全長115㍍、後円部の高さ15㍍、前方部の高さ8㍍。前方後円墳としては県内第2位の大きさである。種々の調査研究の結果から、5世紀後半から6世紀前半の築造と推定されている。古墳の後円部墳頂に利仁(としひと)神社がある。
古墳の入り口は、県道大里下青鳥線に接し「利仁山」「無量寿寺」の文字を刻んだ、2本の石柱が立っている。石柱の先には、幅2~3㍍の道が通っていて、左側が野本公民館、右側が古墳。その先に無量寿寺がある。古墳の入り口と無量寿寺の中間、右側に緑の木々に囲まれた赤い鳥居が見える。鳥居をくぐり、正面の石段を上る。そこは狭い空間になっていて、左側にはさらに石段が続く。見上げると左右に石の灯篭が見えた。利仁神社だ。
伝承によると、延長元年鎮守府将軍藤原利仁の霊を祀り社を建立したという。延長3年6月、醍醐天皇がはしかを発病した。かねてより当社の神霊あらたかなることが分かっていたので、勅願を下し供物をすると、速やかに平癒したという。帝は大いに喜ばれ、利仁大権現のおくりなをおくった。
その後、利仁神社は、はしかの神さまとして崇められるようになった。
はしかは現在でも根本的な治療法がない厄介な病気である。はしかの子を持つ親たちは藁にもすがる思いで、ここにお参りに来たのであろう。
平癒祈願の作法
社前の石を拾い、北にある無量寿寺によってお札を頂いて帰る。石は小袋に入れ、お守りのようにして身につける。お札は棚を作って納め、はしかが早く済むようにと、朝晩お祈りする。そうすると不思議に軽く済んだそうだ。そして、無事に治ったら石を倍にしてお返しする。
実際に、神社の境内には、その頃の痕跡がそこかしこに残っている。拝殿に向かう敷石の両側や狛犬の足元、木の根元などに小石が散らばっている。半ば土に埋もれているもの、そのままの形でそこにあるもの。永い年月の間に土に埋もれてしまったものもたくさんあるに違いない。中には、つい最近置かれたようなものもあった。
無量寿寺にて
無量寿寺の斎藤住職に、はしかとの関係についてお聞きした。
―利仁神社との関係をお聞きしたいのですが。
斎藤 同一でした。維新後に分離して利仁神社になったのです。現在も当寺の檀家と利仁神社の氏子は、ほとんど同じお宅です。
―はしかの平癒祈願と石の関係についてお話いただけますか。
斎藤 伝承によると藤原利仁が東国に赴く際に、当地に立ち寄り、野本寺に陣を張ったのですが、その夜はしかを発病されたのです。夢枕にたった高僧が「弥陀の名号を百万遍唱えよ。病の平癒疑いなし」と伝えたそうです。念珠を持ってなかった利仁は、仕方なく付近の小石を集めて数珠としたのです。念仏を唱えると、病が回復し、拝借した数珠の石は倍にして返したそうです。このときに利仁は「念仏を唱える人々を守ってゆかねばならない」と誓ったと伝えられています。それから当寺には藤原利仁の坐像がありして、毎年4月29日ご開帳しています。
―先ほどの話に出てきた野本寺との関係は
斎藤 当寺は中興の祖となる宗芝禅師により、無量寿寺と改称されたのですが、野本寺はそれ以前の名称です。(境内に源頼朝の信頼が厚かった武士、野本基員の館跡がある)
利仁将軍の枕石
利仁神社の前原宮司にもお話をうかがった。
―はしかのとき利仁神社にお参りする習慣は、いつ頃まで続いていたのですか。
前原 昭和30年頃までですかね。少数ですが今でもあります。この土地のお年寄りの中には、はしかになった孫や曾孫のために、お参りする方が今でもいますよ。
―はしかが治った後、石を返すときはどの様にしたのでしょうか。
前原 子供が石を入れて身に付けた小袋の中に、都幾川の川原で拾ってきた、きれいな石を加えて、社殿の狐格子に下げるのです。袋が小さくて石が入らなかった場合は、新しい袋を作ってから返したようです。
―この神社のご神体はどの様なものですか。
前原 将軍様のお枕石です。利仁将軍がはしかにかかったときこの石を枕にして熱を冷ましたといわれています。戦前までは木箱に入れて、本殿の前に安置していました。当時はお参りに来た人が手を触れることができるようになっていたのです。現在は拝殿の下に安置しております。
◇
はしか大流行のニュースに接してから。医学事典を読んでみて、自身の認識の甘さに気づいた。
現在でも、1%の死亡率を有する恐ろしい病気です。感染した人々が無事全快するように、利仁神社にて深く祈念して参りました。(岩瀬)
〈交通の案内〉高坂駅東口または、東松山駅東口より市内循環バス利用、野本公民館下車、徒歩1分
岩瀬翠:旅行作家。坂戸市在住。
(「東上沿線物語」第3号=2007年7月に掲載した記事を更新、写真を追加しました)