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ふじみ野市亀久保の
三上家
 
戦国時代北条氏の家臣として松山城、鉢形城で戦い、江戸時代亀久保から所沢まで開墾

  ふじみ野市の旧川越街道沿いに亀久保という地域がある。同地の旧家、三上家は近江(現滋賀県)の出で戦国時代北条氏に仕え、徳川の時代になり同地を含む広大な武蔵野地域を管理した。開拓した地域は遠く川越、所沢まで及ぶ。三上家の歴史について、同家直系の一人である三上栄一さん(ふじみ野市文化財保護審議会委員)にお話をうかがった。

 (本記事は、三上栄一さん、ふじみ野市立大井郷土資料館・上福岡歴史民俗資料館の橋本鶴人さんのお話、大井郷土資料館平成19年度企画展「中世のムラ」図録により作成しました)


ふじみ野市亀久保(旧川越街道)

近江三上城主が祖先

-三上氏は元々どこから来たのですか。

三上 近江(今の滋賀県)に三上山(近江富士)という山があり、その近くにあった三上城の城主だった三上伊予守秀氏が祖先のようです。戦国大名で信長に討たれた佐々木(六角)氏の軍旗持ちでした。それがどうしてこちらに来たのかよくわかりません。

 系図によると、秀氏の子、三上山城守氏郷は天正年間に小田原北条の北条氏政に従った。


三上家家系図(大井郷土資料館資料)

-三上山城守は北条氏に仕えて鉢形城(現在の寄居町)にいたのですか。

三上 鉢形城の城代家老と言われています。鉢形城落城(1590)で、東光寺(現在のときがわ町)に逃げ込み、そこで亡くなっています。

 一方で同家系図によると、氏郷の妻は松山城主上田能登守範景の妹とされている。能登守範景は最初の松山城主能登守朝直とみられる。上田氏は扇谷上杉に仕え朝直は太田資正から松山城を預けられていたが、裏切り、城を北条氏に明け渡した。天正17年(1589)豊臣秀吉方の軍が松山城を包囲した時の籠城者に三上の名がある。

松山城が本拠か

-松山城の上田氏とも関わりがあったということですか。

三上 鉢形城ではなく松山城(吉見町)が本当の勤めていたところではないかと思います。松山城主のお姫様をもらっているんだから。ただ、両方を持っていたのか、秀吉の関東征伐があった際鉢形に駆け付けたのかはわかりません。その前に、河越夜戦(天文15年=1546)に北条側で参加し手柄をたてたということで、この辺の代官、目付というか監視役で来ていたようです。現在のふじみ野市東久保に、難波田城の小陣地があったらしい。行ってみると砦の跡がある。泉が湧いて暮らしよい場所があった。そこで三上の跡継ぎが、休んだりしていたのではないか。だから、北条が滅びてからこちらに出てきて住み着いた可能性があります。


大井郷土資料館資料

 北条氏滅亡後関東の領主となった徳川家康は北条の旧臣を処罰せず、家臣に取り立てるなど融和策をとった。三上氏は農民となり、三上山城守の子は川越藩から「野守」に任命され武蔵野(現在の川越南部、狭山市、ふじみ野市、三芳町、所沢市)の十里四方を支配、亀久保村、山城村(現在の川越市)、所沢村、新井村(ともに現在の所沢市)を開墾した(「新編武蔵風土記稿」)。

野守として広大な地域を管理

-野守とは領地だったということですか。

三上 所有ではなく、管理を任されていたということです。小代官の役目までやっていたようです。三上と南大塚(現在の川越市)の藤倉家というのがもう一軒あって、全部で1600町歩くらい治めていた。上富、中富、下富が全部含まれます。

-地域を開墾したのですか。

三上 当時はこのあたりはすすきの原で何もなかった。三上の2代、3代がこの辺を開墾したのではないでしょうか。(元禄時代柳沢吉保による)三富新田開拓の前の元の開墾です。

-所沢も三上家が開いたということですか。

三上 当時の所沢村、新井村の一部です。

-その後三上家はどうなったのですか。

三上 三富新田の開拓が終わって役目はなくなりました。北条が負けてこちらに来た時点で農家でしたから、農家としてそのままずっと住み着いて暮らしたということです。

-地域ではずっと名士であったということではないですか。

三上 昔からそういう役柄ですね。

-議員になられた方もいますか。

三上 そこまではいません。名主、村長までです。

元の家は18

-三上さんは何代目ですか。

三上 自分で14代です。一番古いお宅は18代になります。

-お宅の庭に祖師堂という建物があるのですか。

三上 日蓮様をまつったお堂で、代々の先祖の位牌が置いてあります。今は物置になってしまっていますが。


祖師堂

三上姓の始まり

-この近辺の「三上」姓は亀久保の三上から始まっているのでしょうか。

三上 たぶんそうでしょう。なぜ近江からこちらに来たのかはわかりません。

-全国の「三上」も近江が始まりということですか。

三上 近江で年1回三上会があり、北海道から九州まで全国から集まります。

              (取材2021年3月) 
 
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