東松山市を拠点とする地方出版社、まつやま書房。出版不況の厳しい嵐に耐えて、キラリと光る、興味深い本を出し続けている。創業者の山本正史代表は、2023年初から代表を子息の山本智紀編集主幹に譲った。山本智紀新代表に地方出版の置かれた状況などについてうかがった。
(山本正史前代表インタビュー「出版はもうからない、それでも地方出版の灯火守る」=「東上沿線物語」第22号2009年1月=も後段に再掲します)
大学を中退して2003年から参加
―おいくつですか。
山本智紀 1979年生まれです。
―いつからまつやま書房の仕事を。
山本智紀 2003年です。大学を中退して手伝い始めました。
―どうしてそのように決めたのですか。
山本智紀 まつやま書房は当時鳴かず飛ばずの状態で、かなり逼迫していました。出版業もいったん途切れてしまうと今までのお客さんを失ってしまう可能性がありますから、自分が手伝って少しでも力になれるならと思いました。
企画出版と自費出版
―今、日々の仕事は。
山本智紀 編集作業を主に、著者との打ち合わせとか、あとはいろいろな雑務です。書店を営業に回ったり、卸問屋(取次)に本を発送したり。編集は3年ほど前から内田翼さんという人が手伝ってくれていて、2人体制です。
―企画はどのように。
山本智紀 こちらで企画を考える場合もありますが、最近はおかげさまでいろいろな方から本を出したいとの問い合わせがあります。そのままでは流通に回せないものもあるのでこちらからここを改良した方がよいのではと提案する形が多いです。
―自費出版もあるわけですね。
山本智紀 自費出版は、そのままの原稿を本にすることになります。詩集とか俳句集とか、自分の身内とか関係者だけに見せたい本は完全に自費出版です。
販売は書店に直接委託する場合と取次経由の場合と
―販売はどうされているのですか。
山本智紀 埼玉県の北部、西部を中心とした書店は 直接店長さんにお会いして販売を委託しています。県南や県東の方、他府県は取次を経由してやっています。
―取次はどこを使われる。
山本智紀 地方・小出版流通センターです。大手のトーハン、日販も同センターを経由して送れます。だからどこの書店でもうちの本を注文できます。同センターから全国の本屋に600部チラシをまくので、そこから注文が来たりする。
―ネット販売は。
山本智紀 うちはリアル書店が6割、ネット経由が4割というところです。ネットは、アマゾンとうちのホームページを見て問い合わせが入るのと両方です。
書店で郷土書籍をあらためて見直す流れ
―全国的に書店が減っていますが、地方出版の本はどのような店で扱っているのでしょうか。
山本智紀 個人書店が主ですが、大手書店でも郷土書籍コーナーを設けているところが多いです。一時期郷土書籍コーナーもなくなりかけていたんですけれど、書店も特色を出すために郷土書籍をあらためて見直す流れになっています。
―県西北部で有力な書店というと。
山本智紀 たとえば、毛呂山のブックランド・エルさん、熊谷の須原屋さん、秩父の小石川書店、神林書店さんなど。郷土に関心のある方は今多くなっていて、それなりに出ます。
3ヶ月くらい200冊売れた例も
―最近よく売れた例は。
山本智紀 『埼玉ヒストリア探訪 古利根川奇譚 古利根沿いに眠る伝説と史話を歩く』(髙鳥邦仁)は、羽生の一つの書店で3ヶ月くらいで200冊出ました。
―本を作るのにテーマと著者が決まってからどのくらいの時間がかかるものですか。
山本智紀 早くて3ヶ月ですが、できれば半年くらいはかけたいです。そうでないと著者とのやりとりが十分にできませんので。
―採算を取るにはどのくらい売れればよいのですか。
山本智紀 たとえば1年で400とか500くらいいけば印刷料金は何とか回収できます。
『東上線各駅短編集』
―これまで企画してきて印象深い本は。
山本智紀 たとえば『東上線各駅短編集』(曠野すぐり)。曠野すぐりさんという方は以前うちから『中央線沿線物語』という本を自費出版しました。中央沿線を題材にした短編小説です。その後もその方と酒を飲んだりして話をして、うちのホームページで東上線の池袋から寄居まで各駅をテーマにした短編小説を連載していただくことになりました。それが好評だったのでそのまま本にしました。さらに、小説だけでなくその方に各駅を歩いてもらいコラム的も入れてもらった。2012年で、僕が編集を手伝い始めてちょうど10年の節目あたりに出たので、そういう意味では思い入れがあります。結構沿線各駅で評判にもなりました。
『埼玉の城 127城の歴史と縄張』
『埼玉の城 127城の歴史と縄張』(梅沢太久夫)。梅沢先生は城郭に詳しく、2002年に岩田書院という歴史関係に強い出版社から『城郭資料集成 中世北武蔵の城』という大きな本を出しています。その本は絶版になり、15年たって発掘などから情報も変わったので、こういう本はどうかと先生から打診いただき、これならいけると判断、企画ものとして採択しました。今2刷目ですが、根強く売れています。埼玉の城をまとめている本は今のところなく、その意味ではオンリーワンです。
『小説 比企の尼-慈愛-源頼朝と比企の尼』
『小説 比企の尼-慈愛-源頼朝と比企の尼』(大内一郎)。大内さんは地元の方で、以前からこういったものを書きませんかと提案していたのですが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で比企氏が注目されているのに合わせて実現しました。
『埼玉ヒストリア探訪 古利根川奇譚 古利根沿いに眠る伝説と史話を歩く』
『埼玉ヒストリア探訪 古利根川奇譚 古利根沿いに眠る伝説と史話を歩く』(髙鳥邦仁)。羽生の200冊売れた本です。高鳥さんは僕と同世代の、埼玉の文学賞を取られた方です。羽生市役所で学芸員をされており、自身のブログで羽生とか加須とか利根川沿いの民俗関係を連載しており好評です。以前『羽生・行田・加須 歴史周訪ヒストリア』という本をうちで出してもらったこともあります。今回の本は、もう少し視点を絞って面白い内容をピックアップしてもらいました。高鳥ファンのような方も結構いらっしゃいます。
最近は古代史に興味
―智紀さんの興味のある分野は何ですか。
山本智紀 やはり今のところ、郷土史、歴史関係ですね。地域の神社とか仏閣とか。自分もドライブがてらそういうところを回るのが趣味でもあります。埼玉もそれほど有名でないですが、いいところはたくさんあります。
―歴史のなかでも特にどの時代ですか。
山本智紀 今は戦国ブームなのでその関係の本をたくさん出しましたが、最近は古代関係に興味があります。古墳時代、大和政権の時代。関東には昔から有力な豪族もたくさんいたのだと知ってもらいたい。
―これまで手がけた本の数はどのくらいになりますか。
山本智紀 父と共同のものも含めて、150点くらいでしょうか。
著者に提案するのに気苦労
―本を作るのに苦労する点は何ですか。
山本智紀 著者の方は自分の本は売れると思い込んでいる面もあるので、読者目線からはずれている場合があります。少し直された方が、他の視点を入れた方がよいのではと、そうしたことを提案するのがなかなか苦労しますね。
あと経営面で資金繰りです。印刷代だって馬鹿にならないので。志が高くてもおカネがなければ何もできないのが一番苦しいところです。本は出してもすぐ回収できない商品です。半年後とか1年後にやっとおカネが入る。本当に自転車操業です。
無理をしないこと
―それでも継続されているのは素晴らしいと思います。
山本智紀 相変わらず低空飛行ですが。他の出版社が失敗するのは、5000とか1万とか刷ってしまい全国の書店に配本する。すると返本率が40、50%超すので、それを繰り返すうちに資金繰りがダメになる。最近は印刷料金が安定してきて、その意味では、そんなに無理しないで500から1000くらいの本で、地元を中心として売っていけば、収支は安定するかなと。おかけげさまでうちは父の代から40年たち300点以上出しましたので、昔の本も若干は売れるので少し余裕が出てきた感じです。
―地方出版の盛り返しについて手応えがありますか。
山本智紀 このコロナ禍で本は逆に売り上げが上がっていると言われていますし、郷土ものへの関心も高まっているという実感です。電子書籍はコミックと雑誌がまだ主体なので、うちのような地域とか歴史関係の本は紙媒体で読む人がまだ多く、地方出版社も大丈夫かなと思います。
―この仕事をされていてやりがいは。
山本智紀 いろいろな本を出させていただいているので、知識を広く浅く知ることができるのが面白いと思います。
埋もれている著者の発掘
―今後の展望は。
山本智紀 郷土でまだまだ埋もれている著者の方がいらっしゃると思いますので、そういう方が気軽に本を出せるような雰囲気を作りつつ、あとは埼玉県だけでなく境目の向こう側の本とかもっと出していこうと思っています。なお、個人的には嫁さんを募集しています。
―電子書籍は。
山本智紀 まだ出していませんが、そのうち絶版になった本とかは電子書籍で復刻とかやってみたい。(取材2022年12月)
出版はもうからない、それでも地方出版の灯火守る まつやま書房(東松山市)山本正史さん
<「東上沿線物語」第22号(2009年1月)より>
出版社、まつやま書房は東松山を拠点に30年、地方出版の灯火を点し続けている。『八高線は北風に負ケズ』、『郷土の英雄 武蔵武士』など、地域を愛する人たちの心に響く数々のヒットを送り出した。山本正史代表にお話をうかがった。
「武蔵の国」を対象地域に
―まつやま書房はいつできたんですか。
山本 1980年に創立したんです。それまでは、創立に関わった住宅関係の業界紙にいましたが、業界紙にいつまでいていいのかという気もあり思い切って独立しました。
―地域出版を志したのは。
山本 一つは、全国が相手では資本力のないとだめというのが常識で、地域の本の方が売りやすいだろうというのがあるわけです。当時地域出版は埼玉では少なかったです。もう一つは、地方・小出版流通センターというのができたのが75年ごろで、東京からの情報発信だけでは面白くない、地域からの声が大切だという地域小出版運動みたいのがおきていたんです。
―「まつやま」とは東松山からとったんですか。
山本 そうです。最初は志木で始めたんですが、元々こちらの出身ですから、子供の入学を機に移ってきたんです。
―現在のまつやま書房がエリアとして考えているのは。
山本 「武蔵の国」という発想ですから、県内全域と東京ですね。むしろ最近は、著者も、売れ筋も多摩地域の方が多いです。埼玉地域にはそれほどこだわってはいないですね。
―これまで主にどんな本を出されてきたのか。
山本 合計で200点くらいになっています。一番力入れているのは歴史関係ですね、あとは文学、ローカル鉄道もの、自然体験など。
―これまでエポックとなった本をあげていただくと。
山本 はじめに『埼玉夜話』という大人向けの昔話を出しまして、『新埼玉文学散歩』(上下)、『秩父事件小説集』、『奥秩父物語』と続きました。秩父は結構面白いんです。
その次に、満州開拓農民だった方による『永遠にさよならハルピン』というのを出したんですが、3千部刷って3百部くらいしか売れなくて1年間アルバイトをしましたね。ところが次に出した慶応2年におきた名栗の一揆を扱った『武州ぶっこわし実記』が売れて生き返った感じです。つまづきつつまたヒットを出すような形で何回も生き返っているんです。秩父の女流作家の大谷藤子作品集にも助けられました。
『八高線は北風に負ケズ』
―その後のヒットは。
山本 『八高線は北風に負ケズ』ですね。95年ごろです。
初めのころ私は車もなく電車で本屋に通っていたのですが、八高線は当時は1時間に1本で、乗り過ごしたら1時間待たなければいけない。この線は何なんだと思いましたが、一方で沿線には面白いところがいっぱいあるじゃないですか。小川、飯能でも越生でも、酒屋はいいし、料亭もいいのがあるし。これは本にしたら面白いなと。誰か書き手はいないかと八王子の出版社に電話したら、大穂耕一郎さんという方を紹介していただいた。宣伝もしませんでしたが、本屋さんに置くだけで次から次と注文が来ました。
―最近はどうですか。
山本 『荒川流域 ジョーさんの植物そぞろ歩き』(豊島襄著)、『北武蔵人物散歩』(大井荘次著)はヒットはしていないんですが、自然に出ていく本ですね。我々から見ると3種類あるんです。まず絶対に出ない本ですね。これは自費出版でやってもらうしかない。あとは、ぼちぼち出て行く本。歴史ものはだいたいぼちぼち出ていきます。5年ほどでなくなり、古本屋では高い定価がつく。あとは、『八高線』のようにヒットする。このなかで、ぼちぼち出ていく本が何点あるかが勝負なんです。ヒット作があればこしたことはないが、そう出るものではありません。
我々も、この本ならこれくらい出るというのがだんだんわかってきましたので、失敗があまりなくなりました。原稿にほれちゃうと失敗しますね。この本は絶対売れると著者は思っているのですが、出版社は一緒に思っちゃいけないわけです。
題名と表紙で勝負
―『武蔵武士』は長く売れている。
山本 『郷土の英雄 武蔵武士』(成迫政則著)は2002年に上巻が出て、ほぼ2年ごとに「下」、「続」と。武蔵武士は鹿児島から青森まで全国に散っていったわけですが、赴任先まで行って調べた著者は他になく、いまだに売れています。著者は陸軍少年飛行兵学校の生徒から戦後鍛冶屋さん、ダム工事の土方などを経て最後は校長先生になったという異色の方です。
―テーマ選びと題名のネーミングが上手ですね。
山本 我々は広告力と著者の知名度では勝負にならないわけです。すると、題名と表紙、企画力だけなんです。題名はすごくこだわり、1ヶ月2ヶ月は楽に考えます。その場でいいなと思うのはだいたい悪いんです。
―何部売れれば採算がとれるんですか。
山本 今は印刷費が安くなりましたので、千から2千出ればそれなりの利益は出ます。その分、今は企画がやりやすくなりました。
―まつやま書房の本はどこに行けば買える。
山本 中堅以上の書店はそれなりには置かしていただいていますが、書店は、基本的に新刊しか置かないです。常備本はコーナーを減らす方向に来ています。新刊は1ヶ月しか置けないですから、もしお求めいただくなら、注文してもらうしかないですね。いかにPRするかが課題です。
―最近の地方出版業の置かれた状況は。
山本 そもそも現実的に地方出版社が増えないのはもうからないからなんです。フランスの格言で「貧乏になりたかったら出版をやれ」というのがあるそうです。新しい地方出版社ができているのは長野、岡山と鹿児島、沖縄だけ。埼玉では幹書房(2014年倒産)、さきたま出版会、埼玉新聞社がありますが、一番新しい幹書房も20年はたっています。
―まつやま書房はよくこれだけ続いていますね。
山本 何回もつぶれるような経験もしていますけど、ほかにやることがないので、単に旗を降ろさずに続けただけの話です。やっているとつらいこともありますが、古い本を「あの本はいいね」と買いに来る人がいるんです。そういうのがあると元気が出ちゃいますからね。
人の輪で市民活動に参加
―地方出版物の市場も縮小しているのでしょうか。
山本 それはないと思います。要するに、地域のニーズがこれだというのがわからないのが現実です。試行錯誤でやるしかないんですけど。我々の本は千人の人にヒットすればいい。その層に行き着くためにどうすればいいかだけの話なんです。企画もやりやすくなってきたので、むしろ今いい時期かもしれませんよ。
―出版する頻度は。
山本 今年は1ヶ月に1冊以上が目標ですね。
―NPOなど地域での活動も盛んですね。(NPOまちづくり楽会事務局長、NPO埼玉ツーリズム協議会副代表、08年から埼玉県河川環境団体連絡協議会代表委員、埼玉県グリーンツーリズム推進協議会理事など)
山本 「原っぱ比企」という雑誌を88年に出しまして、失敗はしましたが、一つの転機になりました。地域とのつながり、横の輪が広がり、ここから僕は市民活動に入りました。市民活動は難しく熟達している人が少ないのでどうしても関わらざるをえなくなっちゃうというのがありますね。
<2022年12月取材>
―2023年から代表を息子さんの智紀さんに譲られるそうですが、肩書きは何になるのですか。
山本 会長ですか。いずれにせよ、もう42年やっていますので、いつまでも代表というのはやめるべきだと思うんです。
―今、おいくつですか。
山本 76歳です。
―これまでで思い出深い本は。
山本 それは初めの頃の本ですね。最初、『埼玉夜話』、次いで『埼玉文学散歩』(上下)、『秩父事件小説集』を出したんですけど、これらがそれなりに売れたんです。これが売れたから立ち上がれた。その後ももうやめようかなという時に著者とかからいい企画が入ってきて、何とか続いている。運がよいといえば運がよい。
―市民活動は。
山本 いつまでも(会長とか代表を)やっていてはいけないので、徐々に身を引くようにしています。現状は、まちづくり楽会(代表)と、比企の川づくり協議会(共同代表)くらいです。
―軍事に関するブログを書かれている。
山本 まつやま書房のホームぺージにある「代表のぼやき」というブログで、世界の軍事情勢について書いてきました。2008年から始め今年2月で終わりにしました。毎日3、4テーマで3、4時間かかります。。ネタを集めるのが大変なんです。
―詳細で驚くような内容です。どういう興味からですか。
山本 軍事や海軍の話は元々好きだったのですが、日本では軍事に拒絶反応が強いですし、ロシアと中国、韓国に対する否定的な文章が多かった。事実に基づいたちゃんとしたモノの見方を世の中の人は少し知っておいた方がよいという使命感もありました。ある時、ブログの読者が千人とか2千人になったことがあり、見る人は見るんだなと思いました。