このところ朝晩が冷え込むようになりました。毎年、晩秋の時期からどちらのご家庭も鍋物が食卓を賑わすことが多くなりますが、鍋料理を縁の下で支えているのが昆布です。今回は、鍋料理に欠かせない昆布を巡るお話です。
「うま味」の発見
昆布というと多くの方々は「うま味」の基になる食材と答えるのではないでしょうか。昆布から抽出される科学調味料(グルタミン酸ナトリウム)は、今から120年ほど前の1908(明治41)年に東京帝国大学理学部化学科の池田菊苗教授により発見されました。京都生まれの池田教授は、子供の頃から湯豆腐のダシに使われる昆布に関心をもち、約38 kgの昆布から約30グラムのグルタミン酸ナトリウムを得ることに成功したのです。池田博士は、このグルタミン酸ナトリウムが、それまで味覚の基本である「甘味」、「塩味」、「苦味」、「酸味」とは別種の味覚として「うま味」(UMAMI)と名付けました。
池田博士は、グルタミン酸ナトリウムを主成分とした調味料「味の素」の製造法特許を取得、翌1909(明治42)年に「味の素」は鈴木製薬所(現在の味の素株式会社)によって商品化され、急速に普及しました。
「うま味」の発見はその後も続きます。池田博士の「うま味」発見から5 年後の1913 (大正2)年、池田博士の弟子であった小玉新太郎博士はカツオ節の「うま味」がイノシン酸であることを発見しました。さらに1957 (昭和32)年にヤマサ醤油研究所の国中明博士は、干し椎茸から抽出されるグアニル酸も「うま味」を発揮することを発見したのです。
その後の研究でイノシン酸は肉や魚など動物性の食材に多く含まれており、グアニル酸は干し椎茸などの乾燥したキノコに多く含まれていることが明らかになり、「うま味物質」は熟成や発酵によって増えることも分かりました。醤油のような穀類を原料とした発酵調味料、タイのナンプラーやベトナムのニョクマムといった魚醤(ぎょしょう)、チーズなど世界に見られる伝統的な食品の多くも「うま味」が豊富に含まれていたのです。
この事実から分かるように、人々は美味しい食事を求めて色々な努力を重ねてきましたが、その過程で「うま味物質」は単独で使うよりも他の「うま味」の物質同士を組み合わせることで、「うま味」が飛躍的に強くなることを学びました。専門家はこれを「うま味の相乗効果」と呼んでいます。日本料理では昆布(グルタミン酸)とカツオ節(イノシン酸)を組み合わせてダシ汁をとり、西洋料理や中国料理でも野菜類(グルタミン酸)と肉類(イノシン酸)を組合せたスープは古くから人々に親しまれています。
昆布の生育地
四方を海に囲まれた日本には古くから魚介類だけでなく、海藻を日常的に食べる食文化が定着しています。海藻の中でも昆布は寒流が流れる寒冷地の沿岸で生育する海藻です。昆布の種類は意外に多く、世界中に35種類の生息が確認されていますが、日本にはそのうち半分近くの14種類が生育しています。その大部分は北海道の沿岸に生育し、青森県の津軽半島や下北半島の沿岸、岩手県から宮城県にかけての三陸沿岸でも収穫されています。
昆布の種類は生育地毎に違い、その食感や用途も異なっていることから、昆布には主たる生育地の名称が付けられています。日本で収穫されている主な昆布とその特徴は概ね次のようです。
利尻昆布:利尻・礼文両島と留萌以北、稚内の野寒布岬、宗谷岬を経てオホーツク海沿岸網走に至る地域で収穫される昆布です。繊維質も固くダシ汁が透明なことから精進料理や京都の懐石料理に使われています。利尻島、礼文島で収穫される昆布を島物が高級品として評価されています。
羅臼昆布:世界遺産の知床半島太平洋岸だけで収穫される幅の広い昆布です。羅臼昆布には特有の濃厚な甘みがあり、ダシ汁は香り高く黄色味を帯びるのが特徴です。主な用途はダシ昆布ですが、口当たりが良いのでお酒の肴にも使われています。
細目昆布:北海道留萌以南の渡島管内の日本海側が主要な産地で、色は黒いのですが、切り口は昆布の中で最も白く、細く肉厚で比較的堅い昆布です。用途は加工用が主でトロロ原料、切り昆布、納豆昆布、松前漬の原料として活用されています。
長昆布:釧路、根室を中心に太平洋岸で収穫される昆布です。6月頃に採取される長昆布は、葉が薄く柔らかいのが特徴です。主に昆布巻、佃煮、おでん昆布などに用いられています。
日高(三石)昆布:日高沿岸の三石を中心に渡島、胆振、十勝の沿岸で収穫され、道南では一部養殖も行われている昆布です。ダシ昆布として用いられこと多いようにコクのある味で知られ、煮上がりが早いので煮物、佃煮、昆布巻など幅広く使われています。
ガゴメ昆布:真昆布とほぼ同じ函館、室蘭の沿岸で収穫される昆布で、表面が凸凹状の籠の目に似ています。ガゴメ昆布は粘りが強く、トロロやオボロなどに用いられていますが、近年は抗ガン作用があるフコイダンが多量に含まれていることから健康食品としても注目されています。
真昆布:北海道道南の松前町・白神岬から函館市、恵山を経て噴火湾にいたる地域と本州の津軽および下北半島・三陸沿岸でも収穫され昆布です。道南産は透明感のある上品なダシ汁が取れることから利尻昆布と同様に高級品として人気があります。真昆布は繊維質が柔らかいことから調理用だけでなく、献上昆布や神社仏閣のお供え物としても使われました。結納品や縁起物に真昆布が使われるのはその名残とされています。
昆布料理の歴史
北海道や東北地方の北部だけに生育する昆布は、奈良時代に薬として珍重され、朝廷に献上された記録があます。平安時代に入ると朝廷に貢納された昆布が官僚や神社・寺院に下されるようになりました。その中で寺院は精進料理に昆布を使うようになり、昆布は精進料理に欠かせない食材となりました。室町時代になると、流通ルートが整備されて昆布は都を中心に利用範囲が広がり人々の食卓を飾るようになりました。
当時、昆布は蝦夷地から東北地方の日本海沿岸まで船で運ばれ、陸路で関西方面に運ばれていたようです。室町時代初めになると蝦夷地からの運搬船は足を延ばして北陸地方で昆布を陸揚げするようになり、江戸時代半ばの17世紀には日本海から関門海峡を抜けて瀬戸内海経由で大坂に直接物資を運ぶ北前船の航路が開発されました。これにより蝦夷地から運ばれる昆布の量と種類が増えると、北前船の航路になった地域では昆布を使った料理が作られて人々は昆布ダシが効いた美味しい料理を楽しむようになります。
現在は、昆布を運搬した船舶の航路を「昆布ロード」と呼ぶようになっていますが、昆布ロードは時代とともに広がって太平洋側のルートや琉球(現在の沖縄)ルートなどが開発されました。
昆布と地域の食文化
昆布ロードが拡充され、日本列島の各地に昆布が運ばれるようになると、各地毎に個性的な昆布料理が生まれるようになりました。新潟県では、祝い事の際に家庭の食卓に「切り昆布の煮物」が並びます。富山県では、魚の刺身や鶏肉、野菜などを昆布に並べてクルクル巻いて一晩熟成させる「昆布〆」が普及しました。
鳥取県では、昆布ダシがしっかり染み込んだお米とゴボウ、ニンジンを詰めた稲荷寿司のような郷土料理「いただき」が食べられるようになりました。
昆布ロードの終点だった沖縄では、「クーブイリチー」と呼ばれる昆布の炒め煮が結婚式などの祝い事に欠かせない料理になっています。
昆布の集散地であった大阪では、塩昆布やカツオ昆布、細切り昆布などの多彩な昆布加工品が生まれました。福井県の敦賀市では、入荷した昆布を原料とした加工業が早くから行われており、現在でも高級品とされる手作りオボロ昆布の生産量は全国の大半を占めています。
冒北陸地方で昆布が食材に使われるのは、北前船の航路になっているのに加えて、古くから浄土真宗の信者が多く、真宗王国と呼ばれていることに関係していようです。浄土真宗では、先祖を偲ぶ精進日に出される精進料理に昆布が食材とされるからです。
なぜ関東は昆布の消費が少ないのか
総務省統計局が実施している家計調査では、都道府県の県庁所市および政令指定都市における品目別年間支出金額・購入数量を調査して公表しています。2021年に公表された同調査(2019~2021年平均:1世帯あたり)によると、昆布の消費額は富山市、福井市、青森市がトップ3で、以下、山形市、大津市、京都市、盛岡市、金沢市と続きますが、昆布を沢山購入する家計は日本海沿岸地域に偏る傾向があるようです。
残念ながら関東地方の昆布年間消費額は全国平均(841円)を下回る地域がほとんどで、さいたま市は38位にランクされ、消費額(703円)も全国平均よりだいぶ少ない状況になっています。
なぜ関東地方は昆布の消費額が少ないのか。食文化の研究者によるとポイントは地域で使われている水質にあるようで、関西の水は昆布のダシが溶け易い軟水系とされています。その点、関東の水質は関西より硬度が高い硬質水寄りで、昆布のダシが出にくい水質であったために、ダシの材料として鰹節を使い、調味料の醤油も濃い口が好まれたとされています。
でも、水質だけで食文化の違いを説明するのは難しいのではないでしょうか。文化人類学者の間では、我々の先祖が何処から日本列島にやってきたのかが大きな研究テーマになっていました。中尾佐助氏、佐々木高明氏らは、東日本は東北アジアのナラ林帯につながる文化要素の影響を受け、一方西日本は東アジアの照葉樹林帯と関係する文化要素が伝来してきたことで地域文化の違いが生まれたと考えました。人々の味覚も地域で異なり、東日本では濃い口醤油が好まれ、酢・味噌の消費量は少なく、反面、西日本では薄口醤油が好まれ、酢・味噌の消費量は多いとされています。
また食文化や人々の味覚は、地域間の交流や交易状況によっても違いが生まれます。先程紹介した昆布ロードと郷土料理の関係はそれを示しており、関東では佃煮がその代表でしょう。皆さんもご承知のように、徳川家康が江戸に移封されて城下を構築する際、大坂淀川の中州にあった摂津国佃村の漁師33名を移住させました。彼らは大坂の暮らしで馴染んでいた昆布の味が忘れられず、江戸の水を使った昆布料理を開発したのです。江戸時代の佃島では、昆布などの海藻などを醤油で時間をかけて煮しめた料理が多く作られ、江戸の人々に喜ばれました。21世紀の現代でも、昆布の佃煮は東京を代表する料理として評価されています。
地域の食文化を形成する要素はこれら以外に複数あり、時間とともに変化していると想像されます。関東の中でも埼玉県における昆布の消費金額は、今のところ全国平均を大きく下回っていますが、この先どの様に変化していくか分りません。何かの拍子に東上沿線で昆布を食材にした料理が流行るかも。湯豆腐をおともに熱燗を一杯やりながらじっくり考えましょう。
長谷川清:全国地方銀行協会、松蔭大学経営文化学部教授を経て2018年4月から地域金融研究所主席研究員。研究テーマは地域産業、地域金融。「現場に行って、現物を見て、現実を知る」がモットー。和光市在住。