秩父地域は「ジオパーク秩父」に指定され、地質学的に価値のある地形や岩石が分布している。寄居町の埼玉県立川の博物館で「秩父を散歩する-神社仏閣に地形と石を訪ねる-」と題する企画展が開かれ(会期令和3年9月25日~11月23日)、秩父札所など地域の神社仏閣にからめて、荒川が作り出した地形や特徴的な岩石を取り上げた。同展から、いくつかの注目スポットを紹介したい。
(本記事は担当者のご説明、展示図録、『ジオパーク秩父 公式ガイドブック』などにより作成しました)
大達原(おおだはら)の手掘り隧道
秩父市の大滝地区の入口にある大達原の手掘り隧道。ここは三峰神社の参詣ルートにあたるが、秩父帯の硬い地層に点在する石灰岩体の険しい地形が人々の往来を妨げていた。峠越えが大変だということで、明治中期に参拝者や食料を運ぶ馬方を通すためにトンネルを掘った。
長さ約40.5m、高さ4.8mの大規模なトンネルで、大正10年(1921)に国道(現在の140号)ができるまでは三峯神社への参詣道として重要な役割を果たした。トンネルは今もあり、人が通れる。
金昌寺の石仏群
札所4番金昌寺は1300体以上の石仏が見られるお寺。その中で慈母観音が特に有名だ。
石仏に使われている石は岩殿沢石(凝灰質砂岩)で埼玉県内で広く石材に使われる。産地は小鹿野町の札所31番観音院の裏山である観音山。金昌寺は秩父市で距離がある。どう運んだか。参拝客の手によって運ばれ功徳石と呼ばれた。
川とポットホール
秩父市内は階段状の地形になっており、これは川が作った河岸段丘で「荒川がつくったひな壇」と表現がされることもある。秩父夜祭りで屋台が通る「団子坂」も隆起や浸食によってできた段丘面といえる。眺望スポットである美の山やミューズパークも川が作った段丘上にある。
「ポットホール」は川底にあった石が回転してできた穴。札所19番龍石寺内にあるポットホールは大きいものは直径50 cm程度のものもある。ここが元々川底であった(太古は海の底)ことを示す。長瀞にある「ポットホール」は直径1.8m、深さ4.7mと巨大で、この地域は、国指定名勝、および天然記念物として全国に知られている。
ようばけ
小鹿野町の「ようばけ」。日が暮れてもしばらく陽が当たってオレンジ色に輝く大きな崖だ。高さ約100m、幅約400mに及ぶこの露頭は、秩父盆地に厚く堆積している約1550万年前の新第三紀の地層が侵食された。この地層は、古秩父湾の海底で堆積したもので、崖の下半部の泥質砂岩を「奈倉(なぐら)層」と呼ぶ。ここからパレオパラドキシア、チチブクジラ、サメ、ウミガメ等の脊椎動物化石や貝、カニ、ウニなどの化石が見つかっている。
奈倉層が見られるのが札所32番法性寺 ここにある「お船岩」が奈倉層である。
この岩はかつて船のような形をしていたから名がついたが、江戸時代大地震で先端部が崩れた。
タフォニ
札所32番法性寺の観音堂の裏手にある岩壁で「タフォニ」を確認できる。穴だらけの崖 で、海水などの塩分が浸み込んで岩が崩れて穴となってできる。千葉の屏風ヶ浦や室戸岬で見られる地形だが、秩父でも見られる。
片岩
片岩は埼玉県の「県の石」で、火山岩や、泥岩、砂岩、チャートなど様々な石が、プレート運動によって地下深くにもぐり高い圧力のもとで変成を受けてできた。長瀞の岩畳は三波川帯の結晶片岩で構成されている。
「野上下郷石塔婆」は秩父青石と言われる緑色片岩で作られ、高さ約5m厚さ13cmの日本一の板石塔婆。応安2年(1369)に建てられた。
信仰の対象となる石
札所3番常泉寺にある子持石。母親が子供を抱く姿に見えることから名がついた。お寺で参拝者が見えるところに置いてある。
石棒はご神体であったり神社のお宝としてまつられているものが多いが、秩父市蒔田にある椋神社の石棒は雨乞い祈願に使われていた。
礫石経
礫石経は石に墨でお経を書いたもの。廣見寺の石経蔵は県の史跡に指定されている。札所26番円融寺は現在改修工事中だが、工事開始前の調査で900点以上の石経が発見された。寛成8年(1796)に当時の住職が地鎮のため納めたものらしい。横瀬町の姿の池の堤体には石経塚が建てられてあり、防災祈願とみられる。
湧き水
秩父市内には段丘崖から湧き出る水が豊富にある。妙見菩薩が、鎌倉時代の前に祀られていた場所から今の秩父神社の場所へ渡った通すじとされる湧泉が「妙見七つ井戸」である。四の井戸、五の井戸は今も利用されている。札所12番野坂寺の裏庭にある池、今宮神社の龍神池も湧き水だ。
段丘以外の湧き水で札所34番水潜寺の長命水や札所27番の延命水がある。
水潜寺の近くに秩父華厳の滝がある。赤い岩が特徴だがチャート。元々は石灰岩などいろいろな岩石が混ざった層だったが、チャートは硬いので他の石が削られても残って赤いチャートが目立つ滝になった。
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