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ジョンソンタウン  (入間市) 築60年を超す米軍ハウスを今も賃貸 おしゃれな空間の評価・人気高まる

埼玉県入間市にある「ジョンソンタウン」。戦後しばらく、進駐米軍のジョンソン基地の兵士の住宅が置かれたことにちなんで名づけられた。1954年に建てられた米軍ハウス23棟の他、戦前の将校住宅も残り、しかもすべて賃貸物件として活用されている、全国的にも稀有な街だ。アメリカンスタイルの、おしゃれでどこか懐かしい風景は、「SNS映えスポット」にランクされるなど評価・人気が高まり、観光客も増えている。街を管理運営する磯野商会の磯野章雄常務に、ジョンソンタウンの歴史などについてお話いただいた。

戦前・戦中時には陸軍航空士官学校将校住宅

―ジョンソンタウンの歴史を教えてください。

磯野 今ジョンソンタウンのある土地は、元々全国的な製糸会社であった石川組製糸が所有していました。女工さん用の食糧を作る農場だったようです。そこを昭和11年、私の祖父が譲り受けました。当時は20万坪くらいあり、祖父は牧場にするつもりだったようです。

―それが、戦後、米軍用の住宅地に変わるわけですか。

磯野 現在の航空自衛隊入間基地の場所には、戦後米軍のジョンソン基地が設けられましたが、その前、戦前・戦中時には陸軍航空士官学校がありました。隣接するこの土地に士官学校の将校住宅を建設したのが、ジョンソンタウンの住宅地としての始まりです。
その後、太平洋戦争があり、戦後士官学校だった場所が米軍に接収されてジョンソン基地になります。当初は基地内にハウスを建てていたらしいですが、1950年の朝鮮戦争開戦、基地増強で、住宅が足りなくなり、外にも米軍属用のハウスを建ててほしいとの要請があり、祖父が当地に24棟を建てました。1954年前後のことです。祖父の所有していた土地の大半は、農地解放で失われましたが、ここは住宅地であったために、維持されていたのです。24棟のうち23棟が現在も残っています。

2003年から再生の歩み

―米軍がいなくなってからはどうなったのですか。

磯野 1978年に基地が返還され、米軍が撤退することになります。空いたハウスに芸術家などの日本人の方が多く住むようになります。若い頃の村上龍さん(福生)や細野晴臣さん(狭山)なども米軍ハウスに住んでいました。周りのハウスは次々に取り壊されていきましたが、うちはたまたま日本人向けの賃貸を続けてきました。

―よく維持されましたね。

磯野 それでもさすがに経年で老朽化、入居者は高齢化、スラム化をしていきました。私の父、磯野達雄は、1996年に社長になって、これはなんとかしなくてはいけないと、いろいろ検討し、建築家の渡辺治先生との出会いもあり、米軍ハウスを残した街づくりをすると決意しました。2003年に米軍ハウスは残して、さらに戦前からの将校住宅のほとんどを壊し、「平成ハウス」という新しい住宅を建てて、今のジョンソンタウンの形ができました(当時は「磯野住宅」、ジョンソンタウンへの改名は2009年)。

現在79棟を賃貸

―現在の建物はどのような物件ですか。

磯野 現在7500坪の敷地に、合計79棟あり、米軍ハウスが23棟、平成ハウスが35棟、将校住宅だった戦前からの日本家屋が4棟、それと「セキスイM1」が7棟あります。「セキスイM1」は、今となってはあまり残っておらず、建築史的に貴重だとのお話です。

―賃貸ですか。

磯野 すべて賃貸しています。

―住まわれている方の数は。

磯野 130世帯、210人です。130世帯のうちお店(飲食、物販、サービス)が55店。 お店はそのうち30店ほどは住居兼店舗で、ここに住まわれています。

―住まわれているのはどんな人たちでしょうか。

磯野 割合としてクリエイティブな仕事をされている方が多いです。ライターとかカメラマン、デザイナーとか、IT関係の制作とか、東京まで毎日通わなくても仕事ができる方。もちろんサラリーマンの方もいらっしゃいますが、半分以上は在宅で仕事をされている方です。

―間取りは。

磯野 まちまちですが、1LDKから3LDKです。

住居エリアと店舗エリア

―お店はおしゃれでグレード高いようですね。

磯野 この街の雰囲気に合ったお店など、特徴のあるお店が多いです。

―お客さんはどのような層ですか。

磯野 お店によって、ターゲットの違いはありますが、全体的には30~40代の女性でしょうか。それに連れて、男性やご家族にもお越し頂きたいと考えています。

―住む方は静かな環境を求め、お店は多くのお客さんに来てほしいという点が難しいかと思いますが。

磯野 まさにその通りで、観光地化して、人が大勢入ってくるようになり、居住者が不安がるケースも出ています。そのときは、ここは住宅地であるという原点に立ち返って考えるようにしています。防犯カメラ設置、車歩分離、車の制限速度(8k)設定など対策を打っています。また、今は、住居エリアと店舗エリアを緩い形で分けているのですが、住居エリアに人が入らないような施策も検討中です。しかし、ジョンソンタウンの特徴は塀や柵がないことですので、外から来られたお客様が住宅に入らないようにするにはどうしたらよいかは、大きな課題です。

大型マンションを建てない選択

―磯野達雄社長はどういう方なのですか。

磯野 父は、元々電機メーカーのサラリーマンだったのですが、退職して家業を継ぎました。

―古いハウスを生かした街づくりは、当時も今も、非常な先駆的発想だと思いますが。

磯野 私も、ここをどうしょうかという時から、父と一緒に携わってきましたが、正直なところ、明確な青写真があって計画的にやってきたわけではなく、目の前の課題を一つずつ対処してきたらこうなったということです。今振り返れば、いろいろな運や時代の流れに恵まれた面もあるのかなと思います。

―今の時代なら、大型マンションを開発した方が効率がよさそうです。

磯野 確かに、マンションを建てた方が管理も楽だと思った時もありました。うちの社長は、「自分はビジネスマンとしては失格です」と良く言っていますが、不動産業界の常識であれば、大きなマンションを建てた方が効率がよいわけです。しかし、結果的には父のこの方針でやってきてよかったと思っています。

―あえて現在の道を選んだ動機は何だったのでしょうか。

磯野 父が小さい頃に、祖父に連れられて米軍ハウスに来た時、日本とアメリカの格差を思い知らされたそうです。アメリカ人がすごい生活をしているのを見て、あの時の風景を忘れられない。あこがれの姿を残していきたいと思いがあったのかもしれません。

オンリーワンを作り出せる

―それでも、築60年を超す木造住宅を維持し、賃貸していくのは大変だと思います。

磯野 一つは、この土地は元々祖父が手に入れて、ありがたいことにローンとか残債はありませんでした。土地を一から取得していたら、経営は成り立っていないと思います。

また、今考えると、これは他に真似をできる人がいません。競合するところは少なく、オンリーワンを作り出せるという意味では非常によかったかなと。

―家賃は高めなのですか。

磯野 通常の住宅なら駅からの距離や広さで家賃が決まりますが、米軍ハウスは数もないので家賃的には有利な設定ができます。一棟18万円から20万円くらいです。そこは特徴を出して他にないものをご提供しているので、成り立っているのかと思います。

―今、全国的に空き家問題が深刻化しています。ジョンソンタウンのやり方が、他にも参考になるのではないでしょうか。

磯野 空き家問題に関係して、ここのモデルを見学したいという要請も最近多いです。ただ、いかんせん、一般の空き家は、所有者や地主がたくさんいるので、統一した街づくりが難しいです。私どものやり方が参考になるとすれば、古い建物を建て替えるのではなく、それを生かしてリノベーションして活用していくということでしょうか。

―都市景観大賞(2015年)、日本建築学会賞(2017年)を受賞するなど、評価されてきていますね。

磯野 こちらから狙っていたわけではありませんが、気がついたら周りの方々に評価されていました。うちにとっても宣伝になるのでありがたいことだと感謝しております。

コミュニティ意識を高めたい

―似たような米軍ハウス住宅は他にあるのですか。

磯野 福生にありますが、点在しています。また立川にも集落で残っているところもありますが、実態がわかりません。その他、沖縄の浦添市に港川外人住宅街というところがあり、うちと同じように賃貸で運営されています。

―今後について。

磯野 人口が減り、空き家問題がますます厳しくなる時代になりますが、ここの特異性、特徴をうまくアピールして事業として続けていければと思います。事業として続けられれば、米軍ハウスを残していくことにつながりますから。

そのために、ここに住みたい、家賃はやや高いが替えがたい価値があると思ってもらえるよう、付加価値を維持していきたい。建物のメンテナンスをしっかりやることはもちろんですが、賃貸は我が町意識が希薄になりがちです。住民同士のコミュニティがあれば、住みたいモチベーションが続くのでは、と考えています。2017年の春から、ジョンソンタウンとはどんなところか知っていただくために「JOHNSON TOWN Style」という冊子を作製しています。

(取材2017年12月)

ジョンソンタウンホームページ http://johnson-town.com/

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