日高市の高麗本郷、巾着田の北西に立つ日和田山(ひわださん)。305mの低山だが、眺望が良く遠く東京スカイツリーまで見渡せる。古くは修験者の修行の場であり、帰化人の里のシンボルでもあった。好天に恵まれた2023年9月24日、日和田山に登った。
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金刀比羅神社
曼珠沙華が満開の巾着田から高麗神社方面にしばらく歩くと、登山口とあずまや、駐車場に着く。登山口から10分ほどで一の鳥居。そこから緩やかな女坂と、岩場のある男坂に分かれ、どちらからでも20分ほどで二の鳥居、金刀比羅神社に着く。女坂を選んだが、それでもちょっときつい岩場があった。この日は好天と巾着田が近いこともあり、登山者が多く、すれ違うのに苦労した。
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日高町史によると、中世には日和田山は霊山として信仰され、修験寺があった。修験寺が金刀比羅神社を勧請したのではないかとのこと。火除け・盗賊除けの神と伝えられ、「年に一度の金刀比羅参り」として1月10日に祭事がある。
東京スカイツリーまで見える
二の鳥居付近からの眺望は素晴らしく、巾着田を見下ろし、晴れた日には遠く新宿の高層ビル、東京スカイツリーまで見渡せる。この日もスカイツリーが見えた。
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二の鳥居から約10分上ると頂上に着く。頂上には宝篋印塔が建っている。享保十年(1725年)と刻まれている。麓にある高麗聖天院の35代目の隆敞という住職が建てたと言われる。
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田部井淳子さん記念碑
山の中腹、別の登山道沿いには、大きな岩、男岩(おいわ)、女岩(めいわ)がそびえる。中世には修験道の修行の場でもあったという。日和田山はロッククライミングの訓練場所として知られ、登山家の故田部井淳子さんは自宅が川越にあり若い頃からここで技術を磨いた。登山道入口に、田部井さんを偲ぶ記念碑「日和田山からエベレストまで」が立っている。碑は2019年に夫の政伸さんや地元の有志によって建てられた。
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高句麗から逃れた人たちを716年に受け入れ、現在の日高市を中心につくられたのが高麗郡であり、日和田山はそのシンボル的存在であり、信仰の場であったと考えられる。
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