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愚者の独り言④ 点描・私の住むところ 花見大介

私は今、埼玉県三郷市と江戸川を挟んで向き合う千葉県流山市に住んでいる。流山市と言えば、かつては何の変哲もない、名の知られていない田舎町だった。それが、今では全国区。小さな市が、とても多くの人に知られるようになった。交通の便に恵まれて、最寄りの駅から知られるようになった。東京駅まで電車を利用して30分もあれば行ける。

 会社に就職して10数年が経ったころ、同僚らと麻雀を楽しんでいた時のこと。その中の一人で最も年長の人がゲームの終わった直後、「ねえ、あなたの手相を見せてくれませんか」と言ってきた。なぜ、そんなことを言うのか、深く詮索もせずに手を差し出したところ、じっと私の手を見ていた彼は街の手相見のように、もっともらしく口を開いた。「あなたは今の住所から北の方角へ移り住めば、必ず運が開けます」

 当時、私は千葉市に住んでいたが、長年の公団住宅暮らしを切り上げ、一戸建てに住もうと土地を物色していた。たまたま流山市で区画整理事業を終えた土地を売り出していることを知っていた。応募したら運よく当選したため1年ほど間を置いて、建築に取り掛かった。流山市は奇しくも、麻雀仲間の言う地域に位置していたが、手相見の言うことを信じて選んだ土地ではない。偶然である。引っ越し先が北の方角だったというだけである。現に移り住んだ後に私の運が開けることはなかったと言っていい。初めて足を踏み入れた町の大通りには砂埃が舞い上がり、古くて美しくもない店や住宅が立ち並ぶ、あまり住み易しいとは思えない、どこと言って取り柄のない街という印象だった。田舎町という言葉がぴったりする所だった。

 その町は、今や大きく姿を変えてきている。東京近隣に立地しているのに、高度成長期にも周辺から取り残されていた。ところが15年ほど前から、人口が一転、増加し始めたのである。それも周囲が驚くほどのスピードで。15万人程度で推移してきた総人口が,あっと言う間に現在は20万人を数えた。この6年間、総人口の伸び率は連続、全国に2230余りある自治体の中でトップである。この流れを強く後押ししたのが東京・秋葉原と茨城県のつくば市を結ぶ鉄道の開通だった。東京に最も近い地方都市で、緑の多い街という魅力を訴えたことに加え、「母になるなら流山市」というアピールは、若い適齢期の女性の心を捉えた。休日にかぎらず、公園には子供たちの歓声が満ちている。「子供の声がやかましい」と元大學教授が市役所に怒鳴り込む一幕もあったとか。子供の急増で、市内では保育園の新設が急増中である。

 改めて触れるが、市域の発展に決定的な役割を果たしたのは、新しい鉄道が開通したことだった。2005年に開通した東京とつくば市を45分で結ぶ都市圏鉄道である「つくばエクスプレス」には、実は市民の汗と涙なしでは語れない逸話が多々あった。19世紀後半になって現在の常磐線建設計画が持ち上がり、当初計画では現在の流山市内を通ることになっていたが、地域住民が強く反対。常磐線は現在の松戸市や柏市を通る路線に変更された。流山市内には外国人の手に成る利根川と江戸川を結ぶ全長8.5kmの国内初の西洋式の運河が1890年に完成、東北地方や関東北部などとの物流が大いに盛り上がり、市の経済発展に貢献していた。鉄道が通れば、運河の顧客が鉄道に持っていかれ、物流拠点としての町がさびれてしまう。「運河を守れ」とい地元民の大きな声が、鉄道通過に「ノー」を突き付けた。鉄道便と船便との利便性を比べれば、現在では考えにくい反対理由だった。その後の推移をみると、運河の役割は太平洋戦争前に船運の役目を終えた。

 鉄道の恩恵は隣接の松戸市、柏市に持っていかれ、流山市は発展から取り残されてしまった。残ったのは、流山市が一時、県庁が置かれた誇りだけだった。第2常磐線構想が浮上した時、市当局や住民は過去の苦い経験を猛烈に反省し、誘致活動に全力投球した。

 発展の中核となったのが、つくばエクスプレスと東武鉄道とが交差するおおたかの森駅周辺である。大鷹は日本を代表する鷹で、駅に近い森に生息し、「市の鳥」に指定されている。この地域はほんの20年ほど前まで、一円に梨畑が広がる市街地とは無縁の場所だった。それが、利便性に着目したデベロッパーの開発や流通企業をはじめ様々な業種の立地が雨後のタケノコのように増え、あっという間に商業ビルやマンションが林立。全国における東京のように、流山市におけるおおたかの森一極集中が形成された。人口急増前の市内のインフラはお粗末なものだったが、中核地域への道路整備などが急速に進み、全ての道はおおたかの森に通ずるような景観を呈している。

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 ひとつの街の成長・発展は、別の街の停滞・交代をもたらす。市という行政単位でみれば、人口増加率日本一と外には光り輝いて見えるけれども、ひと皮むけば地域間格差、つまりは地域間の発展の凹凸が浮き彫りになってきた。人口が各地域でまんべんなく増えるのではなく、一極地域などごく限られたところに過ぎないからである。全国同様、流山市でも優良住宅地と認められていた地域でも空き家が目立ち始めた。大通りにもシャッターを下ろす店が増えている。増えているのは塾と体育ジム、一部の大型店がほとんどである。

 行政サービスは一部地域に偏ることなく、地域間の平等、均衡のとれた発展を念頭に置いて進めていくことが基本を成す。子育て関連の施策は、随分、充実された。新市街地の形成と魅力ある街づくりには、一部地域に限られるけれども成功したと言える。半面、市内では今、旧市街地の住民を中心とした住民間で「市の行政の力点が特定の地域に集中している。我々の街の再開発、活性化策はどうなっているのか」という声が充満している。そうした不満が反映されたかどうか、先の市長選では現職が6選を果たしたものの、得票率は過去の選挙に比べて大幅に下落した。決定的に欠けているのは、市域全体を見渡した均衡ある振興政策ではないだろうか。

 人口は増えても、誇れるような文化施設が見当らない。美術館ひとつを採り上げても、無きに等しい規模。2校あった私立大学のキャンパスは、1校が撤退してしまった。市立図書館はお世辞にも充実したものではない。適地がないという理由で設けた児童館兼図書館は、小学校の校庭を削って建てた小規模のもので、実態は子供の遊び場・高齢者の暇つぶし場に近い。子育てなど一部を除けば、発展の割には魅力の乏しい街と言ったら酷だろうか。

 流山市は東京にとても近い街にしては、緑に恵まれている所である。近年のビル建設や宅地造成で随分と目減りしたものの、まだ豊かな緑が残されている。農業や工業、商業やサービス業が程よく発展しながら、田園学園都市を形成出来たらいいなというのが、私の第2の故郷に寄せる想いである。

花見大介 :元大手経済紙記者、経済関係の団体勤務もある。近年は昭和史の勉強のかたわら、囲碁、絵画に親しむ。千葉県流山市在住    

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