桜の名所として知られる東京都品川区御殿山のミャンマー大使館前に建つ翡翠原石館。日本で唯一と言ってよい翡翠の原石の博物館だ。館長の靎見(つるみ)信行氏が長年にわたり自ら掘り出した翡翠原石のほか、世界を回って集めた宝石類が展示されている。大きな原石の存在感に圧倒され、靎見館長の翡翠にかける強い思いが伝わってくる。
なぜ翡翠の博物館を開くに至ったのか。
どのように翡翠を集めたのか。
翡翠とはどのような宝石か。
翡翠風呂とは。
靎見館長にお聞きした。
幼稚園のころから石が大好き
-どうして翡翠を集めることになったのですか。
靎見 なぜこうなったか。元々幼稚園のころから石が大好きで、道路工事現場などで光っているものを集めて帰っておふくろに怒られたことを覚えています。きれいな石は何でも好きで、掘っていったら宝物を見つけるみたいな感覚でしょうか。小学校くらいから、畑だったところがどんどんブルドーザーで切り崩され造成されていく。そこにいっぱい縄文土器などが出てくる。一人でスコップ抱えて関東中掘りまくりました。その時に翡翠に出会った。
-糸魚川(翡翠産地の新潟県糸魚川)に行ったのはいつからですか。
靎見 大学時代。それまで全然勉強していなかったのですが、ようやく気がついて糸魚川に行った。それから家業を継いで忙しくしていたのですが、大病を患ったこともあり、生きているうちに好きなことをやろうと再び糸魚川を訪れました。すると、信じられないようなすごい石が行くたびに私の目の前に現れる。海の中に光っていたり、山に出ていたり。それでズルズルという感じですかね。
土地を買収して道路を作って、パワーシャベルを使って掘った
-それで収集を始めたのですか。
靎見 孫の代には自然の翡翠は絶滅していると思い、未来に遺したいという気持ちがありました。姫川という川があり、すでにそこは掘られているとかいろいろな話があったが、昔話で翡翠が埋まっている場所があるよという。行ってみると、下から見ると(川筋が)昔は左側、今は右側を流れているところがある。じゃあと、そこを掘っていったらどんどん出てきちゃった。
-自分で掘ったということですか。
靎見 土地を買収して道路を作って、パワーシャベルを使って。他人の土地や国の土地は掘れませんから。
-それで博物館を。
靎見 いや困ったなと。小さい石ならよいが、4トンクラスがボコボコ出てきましたから。その時たまたま、自宅のある御殿山で、イタリアの照明器具のショールームだった建物を壊し桜の木を切るという話があり、桜の木と一緒に買い、翡翠の博物館にすることにしたわけです。博物館に置けるものだけ持ってきた。2002年にオープンしました。
翡翠は寂しがり屋
-その後も増えているのですか。
靎見 持ってきたものだけでなく、寄贈したいとか、買ってほしいとか、いっぱい集まってきて、どんどん増えてきました。翡翠は寂しがり屋なのです。糸魚川に行くと行くたびに出会いますし、海外にも行きます。
-海外も行かれる。
靎見 (翡翠産地の)ミャンマーはもちろんですが、アフリカのマダガスカルとかタンザニアとか。日本人が行ったことのないようなとんでもないところに行っています。
-翡翠以外の他の宝石も。
靎見 ルビーが出たよというと飛んでいく。サファイア出たで飛んでいく。いろいろな宝石。 ただ一番集まったのが翡翠ということです。
-現地でどうするのですか。
靎見 鉱山の掘っているところに行きます。
-持って帰って商売にするということですか。
靎見 展示物にします。あるいは自分でカットして宝石を作ることもあります。
-収蔵品はどのくらいありますか。
靎見 翡翠は数十点でしょうか。基本は原石です。加工品なら御徒町に行けばよい。石の好きな人は原石が好きです。夢があります。
-日本で唯一の翡翠博物館と言ってよいですか。
靎見 小規模なものは他にあるかもしれませんが。
-他の宝石類は。
靎見 サファイア、ルビー、アレキサンドライトなど。レアストーンは全部あります。宝石屋で売っているものもありますが、宝石屋は現物をほとんど持っていません。客を探してから仕入れる。それと処理石が混入する可能性もあります。ここは高度な分析機も持っていますから処理の一切ないものです。
-一般に売られている宝石は処理石なのですか。
靎見 業界は散々処理石を売ってしまったので、なかなかオープンにできないのです。最近は加熱と非加熱で価格も違っていますが、いまだに消費者にオープンにしないでやっている人がほとんどです。
自分の波長が合うのがよい宝石
-館長から見てよい宝石とはどんな宝石ですか。
靎見 普通の人はおカネに換算しちゃいます。しかし宝石が生まれてくる時に値段がついていません。それぞれの方の自分の波長が合うものがよいです。
翡翠は日本の古代から伝わる
-翡翠にこれほどまでに魅了されたのはなぜだと言ったらよいですか。
靎見 単に宝石というより、ずっと古い時代からつながっている八百万の神とかシャーマニズムのシンボルとか、そういう感じでしょうね。勾玉も、祈祷師の集団のメンバーの証の一つだったのでは。統治形態が大和朝廷の経済単位になっていき、そういう人達が排除された。
-翡翠は古代に世界中で使われたのですか。
靎見 日本だけです。日本全国の古墳に勾玉は出てきます。韓国の王棺から勾玉が出土しましたが、糸魚川産のものです。
-糸魚川では今でも産出するのですか。
靎見 します。ただ天然記念物なので掘ってはいけない。たまたま土石流があったとか氾濫があった時に川で拾ったとか程度でしょう。昔はゴロゴロしていたでしょうが。
-博物館の玄関を入った正面にある壁画は何ですか。
靎見 奴奈川姫(ぬながわ姫、「古事記」に登場する古代の糸魚川地方の姫)の像です。本間洋一氏の手で6年かかりました。翡翠も含まれるがいろいろな鉱物10万個以上が張り付けてあります。
翡翠の風呂
-翡翠の風呂がある。
靎見 数十トンの巨大な原石をくりぬいて作りました。壁も床も全部翡翠です。68度でお湯を入れて最後48度くらいにします。冷たいのでそれくらいでないとダメなのです。
-何か普通の風呂と違いがあるのですか。
靎見 翡翠でぐい呑みを作り、冷酒を飲んだら、粒子が細分化され、透明感のあるマイルドな味になります。このぐい呑みを大きくしてお湯に入ったらどうなるのかなと思い作りました。今まで孫を6人入れましたが、普通ならお湯が刺すから泣くのですが泣きません。お母さんの胎内のようなのです。
-ということは翡翠は持っているだけでも効果があるのでしょうか。
靎見 電磁波のようなエネルギーが出ているのです。ミャンマーでは食べ物が4時間くらいで腐り出しますが、翡翠の器に入れておくと何日も持ちます。抗菌というか殺菌作用というか。あとモノを冷やす効果があります。
-この博物館はどういう人に見にきてほしいですか。
靎見 小中学生が一番いい。年をとってくると金額から入ります。話しになりません。子どもたちはもっと素朴ですから。
-館長はおいくつですか。
靎見 昭和24年生まれです。
-会社を経営されている。
靎見 自動車部品の会社です。
-これだけのものを作るのにすごくおカネがかかっているのではないでしょうか。
靎見 そうかな。結構協力してくれる人がいっぱいいました。僕が商売でやっていたら協力してくれない。そうじゃないってみんな知っていますから。もちろん土地を買うとかは大変ですが。
隣接地に2号館
-隣に別館を建てるのですか。。
靎見 近く2号館を開きます。隣の土地が、桜並木がつながるべきところが歯抜けになっていたので、私が買うことにしました。苗木を植えれば桜がつながります。その前に、ミャンマーがヤンゴンからネピドーに首都を移したので、両市を結ぶ街道沿いに桜を植えようとしたのですが、南部では育たない。じゃあせめてここ(ミャンマー大使館の前)をということもありました。
-2号館はどんな内容ですか。
靎見 いろいろな美術品、工芸品です。メトロポリタン美術館に預けていた大作もあります。2号館の壁は全部ガーネットの原石です。インドから持ってきて、張るのに9年かかりました。
-これからの計画は。
靎見 うーん。本業をリタイアしたら、好きに世界中を回ろうかと。今までは、赤字だらけの会社を引き継いで仕事せざるを得なかった。一人でトイレとお風呂に行ける間にどこでもいきたい。
(取材2022年2月)
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