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長谷川清の地域探見(4)
東上沿線地域の
フルート作り

   フルートはヨーロッパで開発された横笛で、オーケストラや吹奏楽でも高音域でメロディを奏でる楽器として活躍することが多く、人気の高い楽器です。世界の音楽市場で日本製のピアノや電子楽器が重要な地位にあることはよく知られていますが、フルートもトップレベルにあるあまり知られていません。
 

楽器業界の方によると、既にフルートを生み出したヨーロッパ諸国には力のあるフルート工房が無く、フルート作りは米国、台湾、中国、日本の4か国に集中しているということです。その中で日本は、米国や中国にボリュームゾーンである初・中級者向けで後れを取っているものの、上級者用は日本製が圧倒的に強くて著名なフルート演奏家は好んで日本製のフルートを使うようになっているとのことです。

事実、フルート業界最大手のムラマツフルートのホームページには、同社製のフルートを使っている国内の著名演奏者は勿論のこと、ウィーンフィルハーモニー、ドレスデン国立交響楽団、スイス・ロマンドオーケストラ、シカゴ交響楽団など欧米の主要オーケストラのフルート奏者がずらりと並んでいます。他のフルート工房も世界一流のフルート奏者が愛用する楽器を作り出しており、今やプロが使う上級者用のフルートは日本製が当たり前となっていますが、そして驚くのはその多くが東上沿線に点在するフルート工房で作られているのです。

 フルート作りの歴史

もともと木製だったフルートが現在のような金属製となったのは、1847年にドイツ人のベームがキーファンクションを使って1本の指で複数の音穴を同時に開閉操作するフルートを製作したのが契機とされています。複雑なメカニズムが実用化された背景には産業革命が進展して金属加工技術と操作機械の進化があったのは間違いありません。ベーム式フルートは産業革命が生み出した管楽器のイノベーションだったのです。

さらにベーム式フルートは銀材の金属製が開発されてドイツ、フランス、イタリアなど欧州各地で製作されましたが、20世紀に入るとフルート生産の中心は米国に移って、米国がフルート市場の覇権を握りました。米国製のフルートが世界市場を席巻する中、1920年代に日本のフルート作りが始まりました。1924(大正13)年にムラマツフルートの創業者である村松孝一氏が独力でベーム式フルートを作り上げたのでです。

1937(昭和12)年に軍隊向け楽器を製作する日本管楽器製造(ニッカン)が設立されると、同社はフルート作りを村松氏に協力を依頼しました。松村氏はニッカンに協力する一方で自身が製作したフルートも一般向けに自身が販売しました。両社によるフルート製作が本格化して生産量が増え、軍楽隊や民間楽団の演奏を聞く機会が多くなると、一般大衆の間でフルートは「見たことがある楽器」になったのです。

創業当初、都内で楽器製造を行っていた日本管楽器(1962(昭和37)年に日本楽器(現ヤマハ)に吸収)は、生産規模の拡大を図るため工場を埼玉県入間郡大井町(現ふじみ野市)に建設し、フルート作りも大井工場で行うようになりました。またフルート業界のトップ事業者であるムラマツフルートも、1964(昭和39)年に作業場を都内から所沢市に移転しました。両社が工場を埼玉県に移転した時期と理由は別々でしたが、期せずして両社が同じような地域にフルート工房を集積させる原動力となったのでした。

 職人のスピンアウトが作ったフルート工房

フルート作りに限らず属人的な作業が不可欠なモノ作りでは、大手業者の従業員として技能を身に付けた元気な職人達が分離独立して独自の途を歩み始めるスピンアウトは珍しくありません。スピンアウトした職人達は、仕事のやり易さや顧客関係から元の職場に近い地域で仕事を続けるのもよくある話です。

日本のフルート業界では、ムラマツフルートから三響フルート(狭山市)、古田土フルート(新座市)がスピンアウトしています。日本楽器製造からは、ミヤザワフルート(当初は朝霞市、現在は長野県飯島町)、コタケフルート(東京都板橋区)などが、さらにミヤザワフルートからアキヤマフルート(練馬区大泉町)がスピンアウトしています。

下の表は、インターネットを通じて確認された日本のフルート製作業者・工房18社の一覧表ですが、一部を除いて関東から東海にかけての地域に立地して、東上線沿線とその周辺には古田土フルート工房(三芳町)、桜井フルート制作所(滑川町)、三響フルート製作所(狭山市)、アキヤマフルート(練馬区大泉町)、村松フルート製作所(所沢市)など5社が工房を構えています(ミヤザワフルートは、以前、朝霞市で制作活動をしていました)。

日本のフルート製作業者・工房(202110月)

フルートは、奏者が息を吹き込んで音を発生させるマウスホールのある頭部管、音階を作る沢山の音孔とそれを開け閉めするキーファンクションを搭載した胴部管(主管)、胴部管にない音孔とキーのある足部管の3部分から構成され、それぞれが金属(または木材)のパイプで出来ています。フルートの音色はパイプの材質だけでなく、パイプに施される加工により異なり(特に頭部管)、各フルート工房は独自の音色を誇っています。

プロや上級者用のフルートに使われる銀や金の金属パイプは、一部を除きほとんどの工房が専門の大手貴金属企業から素材となる金属パイプを購入しており、各工房は素材のパイプを職人が手仕事で加工・調整し、キーシステムを装着、腐食を防ぐためメッキ仕上を施して購入者に引き渡します。上級者用のフルート作りは大掛かりな機械設備を必要とせず、職人の手仕事が占める割合が大きい工房仕事なのです。それだけにフルート工房はどこにでも開設できる立地の自由性をもっており、北海道や長野県などで活動している工房もあるのは表に示した通りです。

では、大手作成業者に勤めていたフルート職人が独立して工房を東上沿線の地域に開設したのでしょうか。

 演奏者・聴衆双方からの厳しい注文

東上沿線地域にあるフルート工房の事業環境をみると、プロのフルート奏者やアマチュアでも腕の立つハイレベルな人々が活動し、住んでいる東京に近いという立地面の特性があります。言うまでもなく東部東上線はその東京に直接乗り入れている鉄道で、フルート工房で仕事をしている職人たちは、電車に乗れば自分が製作した楽器を使用する演奏者達の声を直接聞き、注文に即応したきめ細かなサービスを提供できます。加えて地価が比較的安く、工房を開いても採算を確保できたのが東上沿線の地域だったのです。

日本の製造業がかつての勢いを失う一方、東京は毎年数多くの一流オーケストラや演奏家が来日公演を頻繁に行っている世界的な音楽都市となっています。コロナ禍によりコンサート業界は大打撃を受けましたが、音楽都市東京の地位は今でも変わりありません。

フルートの需要者である奏者は、自分の演奏技能が高まるのにつれて好みの音を求めるようになります。材質の違いによりフルートの音色が違うことは先程申し上げましたが、銀、金、プラチナ等のほか現在でも木材を使った木管フルートが製作されているのはそれが理由です。さらにプロやアマチュアの上級者は、息を吹き込む歌口の位置や形状にもこだわり、自分の好みに合ったフルートを求めて腕の立つ職人に特注するようになります。

フルート奏者だけでなくプロの演奏家にとっても東京で催されるコンサートは、成功を収めることが自身の商品価値を高める契機となる大事な場です。また聴衆の耳も肥えており、演奏者だけでなく使用される楽器に対しても厳しい評価が下されることが良くあります。楽器に対する大きな需要と演奏家からの厳しい注文が日本のフルート作りを世界的な高みに導いたのです。

演奏家や聴衆からの厳しい注文にこたえるためフルート職人には、音に対する感性と音を実現させる技能が要求され、演奏家の要求や楽器のメンテナンス需要に応えるためフルート工房は、フルート奏者と息の長い関係を築くことに力を注ぐことになります。

一方、フルートの作り手にとって作業する環境は、静かで落ち着いて仕事ができる自然豊かな地域が好ましいかも知れません。長野県や北海道など首都圏から離れた地域で活動するフルート工房は自然環境を優先したのでしょう。

ただ多くの場合、顧客との関係は付かず離れずで、何かあった場合には互いに直に駆けつけて事態に対処できる場所を選ぶことになります。その点、東上線の沿線は音楽市場東京へのアクセスが良く、プロのフルート奏者や上級アマを生み出す中高額所得者層が多く居住する首都圏に近接してフルート工房を営むには最適な地域と言えるでしょう。


 東上沿線のフルート工房とコロナ禍

 ところで日本だけでなく世界を襲ったコロナ禍がフルート工房にどの様な影響を与えたのでしょうか。本稿の結びにコロナ禍のフルート工房に対する影響を紹介しておきましょう。私はコロナ禍がフルート工房に与えた影響を知るため、東松山市で長らく各種楽器の販売を手掛けているスギタ楽器センターの杉田昌弘さんをお訪ねし、お話を伺いました。

杉田さんによると、フルート演奏家はコロナ禍の緊急事態宣言により各種コンサートが中止されるのに並行して自身が主催するフルート教室も中止を余儀なくされ、経済的に苦労された方も多かったとのことです。ただ最近は感染拡大防止対策を施したコンサートが少しずつ開催されるようになり、フルート教室も徐々に再開し始めたようで、一時の状況を脱しているのではないかととのことです。

一方フルート工房の方は、元々仕事量に大きな変化がない職種で、コロナ禍により新規の受注は滞ったようで、東上沿線地域のフルート工房は総じて修理やメンテナンスの仕事が継続してそれ程のダメージを受けなかったのではないかと杉田さんは推測されています。この推測が事実だとすると、各工房が顧客との関係を大切にしていることで育まれた心理的な距離の近さと、東上沿線に立地することで生まれる顧客との地理的な距離の近さがコロナ禍の影響を最小限に止めた要因となったのかも知れませんね。

 だからと言ってフルート工房は、この先も安定した経営が続くとは限りません。職人の高齢化が進行して工房を閉じた先も発生しており、後継者をどう育成するかが大きな課題となっているからです。機会を改めてこの課題を掘り下げることにしましょう。

                (2021年10月)

 

長谷川清:全国地方銀行協会、松蔭大学経営文化学部教授を経て20184月から地域金融研究所主席研究員。研究テーマは地域産業、地域金融。「現場に行って、現物を見て、現実を知る」がモットー。和光市在住
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