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朝霞キリスト教会付属白百合幼稚園、ヨルダン学園 牧師・園長 江川博和先生

朝霞市の朝霞キリスト教会付属白百合幼稚園の園長であった江川博和先生が2021年2月逝去されました。先生は、戦後基地に集まる売春婦の子供たちを預かり、その後も自閉症児など障害児を多く受け入れるなど、生涯を通じて幼児教育に尽くしました。白百合園は故本田美奈子さんの通った幼稚園でもありました。先生を追悼し、2008年の本紙記事を再掲します。


 

朝霞キリスト教会の牧師であり白百合幼稚園の園長でもある江川博和先生は、早くから自閉症児教育に取り組み、健常児との統合教育で日本で一番長い実績を持つ。子供の自ら育つ力を尊重するやり方を貫き、細かい規則を定め子供を縛る、現在の制度の変革を訴える。

江川博和略歴
1926年群馬県上野村生まれ。日本聖書神学校、東京バプテスト神学校、西南学院大学神学部などで学ぶ。賀川豊彦に師事。日本バプテスト連盟朝霞教会牧師。白百合幼稚園、ヨルダン学園各園長。

米軍キャンプ 売春婦の子供たちの保育所から

江川園長は、1950年代初め、米軍キャンプに隣接する朝霞キリスト教会に牧師として赴任、売春婦の子たちの保育園から始まり、幼稚園、さらに自閉症児をあずかる「ヨルダン学園」を開く。

―先生は元々、どうして朝霞に。

江川 私は将来は劇作家になろうという志望を持っていましたが、関東で一番環境の悪いと言われる地域で生活をしてみれば、人生がわかるだろうと考え、3年の期限付きで朝霞に来ました。

―幼稚園をやることになったのは。

江川 当時、教会前の(旧)川越街道をへだてたあたりが売春婦街でした。そこに行くと、夜でも(親が不在で)外で遊んでいる子供がいる。神の創造した子供をあずかる夜間保育を始めました。そのころ保育園など一つもありませんでしたから。

―結局朝霞に居ついた。

江川 3年たち、東京へ帰ろうと準備をしていると売春婦の方たちがたずねてきて、「神父さんが朝霞から出ていったら私たちはどうなりますか」と言う。この言葉を、神の言葉ととらえ、従わざるを得ませんでした。

―自閉症児の受け入れを始めたのは。

江川 ベトナム戦争が終わって キャンプが返還になろうという頃、一人のお母さんが子供の手をぎゅっと握って来られ、「先生は自閉症という子供を知っていますか」と質問されたんです。

東京大の佐々木正美先生らが日本で自閉症研究を始めたばかりで、僕も研究会に入り学び、自閉症児の教育を始めました。

―自閉症児の教育から言葉の研究に。

江川 そのお母さんが「自閉症は言葉がないんです」と言う。はてどういうことなのか、と戸惑いもしましたが、新約聖書のヨハネによる福音書の第1章に「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉には命があった」とある。「言葉は命」とは、言葉が言語になる前に人間としての言葉が存在するということですね。

それから言葉とはなんぞやということを少し研究し、何冊か本を書きましたけれど、最終的には言葉は命ということを、お母さん方の言葉から知るようになったんです。

障害児との統合で健常児の人間教育にも

―自閉症児と健常児とは同じ場で教育を。

江川 障害児もみんなの子供です。ヨルダン学園の園児も一緒です。ただ、言葉の問題だけは分けなくてはいけませんので、自閉症の子には「言葉遊び教室」というのを開いています。

自閉症の子供は、一番多いときは96人いました。他に、歩けない子、ダウン症の子も結構います。募集も宣伝もしませんけど、ここを卒業したあるいは在園している健常児のお母さんが紹介をしてくれるんです。

―先生は統合教育の重要性を主張されている。

江川 子供自身の力で伸びるものなんです。自閉症児も健常児の遊びとか声とかを模倣して、自分の力で歩き出したり言葉が出たりする。健常とされる子供も全然違ってくる。思いやりとか言いますが、健常児の人間教育なんですね。

―養護学校について。

江川 養護学校があちこちにできていますが、障害のある子を区分けすることがよいか悪いか、牧師として意見を言っている。なかなか受け入れられませんが。

「制度」が教育を損なう あえて認可・補助を受けない

―これまで、いろいろご苦労も。

江川 問題がなかったわけではないんですよ。教会の礼拝には子供もお母さんも一緒に参加してもらいましたから静かな礼拝ができなくなり、それまでの教会員が全部いなくなってしまった。それでも私たちは見上げるのは神の言葉ですから、それに従いましょうと。経済が成り立たなくなったこともあり、やむを得ず東京に持っていた土地と家を全部売ってしまって。

厳しい問題もありましたが、得られたことは、私たちはうれしいとき苦しいときも涙を流すが、キリストは私たちのために血を流した、ということ。やはり子供から教えられること、お母さんたちの言葉は大きいんですよ。命の力。それで52年になります。

―白百合園は学校法人になっていないと聞きましたが。

江川 みんなでお互いに心を合わせてやることが人間の世界だろうと。今もって学校法人とか社会福祉法人とかをとらず宗教法人でやっています。一銭も補助を受けないで続けてこられたことは奇跡的な神のみ業です。

―法人格をとると制約があるということですか。

江川 今は経済の社会ですから、補助金をもらうために「制度」が作られている。しかし「制度」がいろいろな問題を引き起こしています。

―仕組みや規則が、逆に教育を損なっているということですか。

江川 「制度」に即して学力をつけるのが教育かというとそうではない。子供は、子供同士の生活の中で失敗し悩んで自分で考えて解決する。けんかも、許し合うことを学ぶ。ところが、すぐそこに先生や親が出てきて子供に考えさせない。「制度」がそれを許さないんです。学校と親が問題になりますから。「制度」に追われ「制度」だけで悩んでいるのが今の学校の先生の悲劇だと思います。

―世の中を変えなければいけないということ。

江川 「制度」の壁を乗り越えたら人間は寛容という気持ちが出てくるんです。聖書は、「愛は寛容にして慈悲あり」と。今の社会は心から寛容がなくなり砂漠化しているのではないかな。ちょっとこわい話ですが、この「制度」がこのまま進んだら戦争かなと思います。

だいたい教会というのは歴史の中で、牧師は最後は殉教することが多いんです。ですから、幼稚園がなくなってもいい、でも僕はこのままで認可をとらないでいきますよと思っています。

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地域の子供を守るボーイスカウトを創設

江川園長は朝霞のボーイスカウト、子ども会連合会、青少年相談員、親子劇場、合唱連盟、青少年健全育成会議、青年会など、子供や青少年で関わった活動は枚挙に暇がなく、今でも教育・福祉関係など公職は数多い。

―どのようなお考えから青少年の活動に。

江川 直接は米軍キャンプのあった頃、子供たちがアメリカの兵隊の後ろについて、ものをもらって歩く姿があった。聖書にも、恵みを請うこじきを救うのがキリストでした。地域の子供たちはみんなで守ろうと。東京五輪の前の年に(朝霞の)ボーイスカウトは僕が作りました。今でも訓練はここでしています

―上田清司知事が衆院選に出たころの後援会長を。

江川 (上田氏の出身母体の)青年会議所メンバーが私のところに来て、後援会の会長を頼みたいと。四回落選しましたが 引き受けた以上あきらめないで応援し、最後はトップ当選しましたのでそれで身を引いた。

―本田美奈子さんがここの出身ですか。

江川 ここの卒園生です。 あの子は幼稚園時代から劇などやって、才能があった。でも僕は本田美奈子が卒業した幼稚園とは言わないんです。だ、ロータリークラブで招いて音楽会を開いたことがあり、行ってみました。終わってからサイン会があり、ロビーにいたら、僕のところに来てくれた。忘れていませんでしたね。

―現在力を入れていることは。

江川 教育と福祉に関して理解を求めるために、僕は書きますね。年ですからそんなに書けないが手書きで今年になって幼稚園(向け)だけで101枚。もう一回、人間をひっくり返してやろう、身近なところから変えていこうと。

撮影2010年

(本記事は「東上沿線物語」第12号=2008年4月)に掲載しました。江川博和先生は2021年2月逝去されました)

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