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編集長つれづれ日記

2021年4月8日(木)
渋沢栄一と入間、飯能
  渋沢栄一は埼玉の深谷出身だが、同じ県内の西部の入間、飯能とも縁がある。渋沢栄一を描くNHKの大河ドラマが放映されているのを機に、両市と渋沢との関わりについて記事を作成した。入間については、繁田(はんだ)家との関係が軸である。渋沢は世に出る前藍の商売をしている頃から繁田家を訪れていた。出世してからは黒須銀行の設立など折りにふれ繁田家を支援している。入間黒須地域の豪農・名主であった繁田家の力をうかがわせる。当時はこのように地域の有力者同士は付き合いがあったのだろう。飯能については、渋沢自身というより、従兄弟の渋沢成一郎(喜作)、尾高惇忠が飯能戦争に参加したという歴史がある。維新時の戊辰戦争で唯一埼玉県の戦場となったのが飯能である。渋沢成一郎は振武軍の頭取であり、尾高惇忠も幹部である。渋沢栄一の養子となった尾高(渋沢)平九郎も戦争に参加している(死亡)。渋沢一族は、攘夷から入ったが幕府側で最後まで戦ったメンバーであった。栄一は徳川慶喜に仕えたが後に明治政府に抱えられ活躍する。成一郎は函館まで戦い、後に実業家になる。尾高惇忠は富岡製糸場の場長になる。波乱万丈というか、転身の足跡である。渋沢栄一と入間 飯能の歴史
2021年3月28日(日)
とてつもない人
  世の中にはとてつもないことをする人がいるものである。私もサラリーマンを辞めて地域取材をするようになり、ずいぶんいろいろな人にめぐりあった。その中でも、滑川町の海族鮮山忠の山下忠文さんはかなりの人である。荒れてほったらかしになっていた山間の鉱泉宿の跡地3千坪を買い取り、自らの手で遊びの空間を作り上げた。どでかいログハウス、露天風呂、ピザ窯、陶芸小屋・・・。一番驚いたのは洞穴である。元々軍需工場の弾薬庫だったのを終戦時に埋められていた場所を全部一人で掘ったという。一度掘った場所だから柔らかかったというが、かなりの距離である。近くの吉見町にある岩窟ホテルを思い起こさせる。人間の力を再認識させられるが、山下さんは「毎日一個ずつ石を置いていけばよい」とこともなげだ。興味のある方は一度訪れてみてください。ただ道に迷わないように注意。
2021年3月19日(金)
地域の歴史
  このところ、身近な地域の歴史を探求することを楽しんでいる。調べていくと意外な面白さがある。私の住む近く、ふじみ野市亀久保に神明神社がある。小さな神社だが、川越街道の旧道と新道が合流する地点のちょっと高台にあり、立地が面白く、境内も気品がある。由緒書きに、「齊藤実盛の子孫の齊藤利長・信広親子が川越夜戦で敗れ、所沢に逃れ、京都から神明神社を勧請。さらに6代下った齊藤の子孫が所沢から亀久保に神明神社を招いた」とある。



  所沢の神明神社といえば所沢を代表する社である。ということは齊藤氏が所沢を開いたのだろうかと思った。そこで所沢の神明神社に行ったが、資料を見ても「齊藤」の名はない。しばらくして、ネット上で所沢に明治天皇の行在所に使われた齊藤家という旧家があるということを知った。ひよっとしてと、所沢に詳しい郷土史家の三上博史さんにお話をうかがったところ、どんぴしゃり。その齊藤家は、川越夜戦から逃れた齊藤氏から始まった家であった。最初に所沢を開き、その後も地域の名家として続き、天皇の宿泊所にもなり、今の西武鉄道も開いた。その家がそのまま現存する。神社は火災で資料が焼け、歴史が途絶えていた。これだけでも私にとっては大きな発見で収穫だが、さらにおまけがついた。齊藤氏からしばらく後に所沢を開墾し開いたのはふじみ野市亀久保の三上家で、お話をうかがった三上さんはその子孫だという。実は亀久保には三上が何軒かありその一軒はうちの親戚である。所沢を開墾したなどという話はまったく初耳だった。早速、市の文化財の委員もされている三上栄一さんにお聞きすると、三上家祖先は近江の出で(後)北条氏に仕えていた。江戸初期に所沢を含む広大な地域を開墾したとのこと。しかし、亀久保神明神社とは直接の関係はない。亀久保と齊藤家と所沢と三上家が交錯した不思議なお話でした。
 所沢齊藤家の歴史
 三上家の歴史
2021年3月11日(木)
雑本
  例によって軽い本ばかりだが、面白い本をいくつか読んだので紹介したい。
 第一に、『相続地獄』(森永卓郎、光文社新書)。著者は経済学者だが、よくテレビにも出て半ばタレント化している。私はかつて旧職の研究所で同僚だったことがある。優秀で努力家で面白い人である。この本は、父親の死後様々な処理に追われた体験を書き綴ったものである。具体的で実感がこもっていて参考になる。それとともに、この本の面白さは、相続とは別の森永さんが建てた「B宝館」の内容、顛末、週末農業体験について語っている部分である。
 次に、『還暦からの底力』(出口治明、講談社現代新書)。著者は還暦でライフネット生命を創業し古希でAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任された方。私は起業で成功した高齢者の鏡のような人と思っていた。今回初めて著書を読んで驚いた。古今東西あらゆる分野にわたる博識とその分析力だ。起業はたまたまであって、何でもできる知の巨人のような人であろう。世の中や歴史の見方が変わります。
 第三に、『ひとりで老いるということ』(松原惇子、SB新書)。著者は1947年生まれ。おひとりさまの終活を支援するNPO「SSS」を運営されている。この本は活動を通じて知った人たちのエピソードを紹介しながら、高齢女性を取り巻く様々な問題を取り上げている。とにかく面白い。動画を見たら、著者は70代とは思えない華やかできれいな方である。歌もうたう。その前向きの生き方が、暗くなりがちなテーマを明るくしているように感じる。
 第四に、『老後レス社会』(朝日新聞特別取材班、祥伝社新書)。これだけは面白くない。老後の悲惨さを取り上げるということで、切り口はよいのだが、世の現状を嘆き、すべて格差、制度、政策のせいだとする、例によっての朝日スタイル。思考停止している。唯一興味を引いたのは、今流窓際族の「妖精さん」の項。
2021年3月4日(木)
渋沢平九郎

  かなり前のことである。奥武蔵に顔振峠というところがある。登山の目的地でもあるが、車でも行ける。私はドライブで立ち寄ったが、そこに「平九郎茶屋」という変わった名の茶店がある。説明書きがあり、そこで初めて渋沢平九郎の名を知った。明治維新時、幕府側で戦い、ここまで逃げてきた時、茶店の主人に道を尋ねた。あっちに行ったらよいと言われたが、別の黒山の方に降りて行ったらそこで新政府軍と出くわし自害する。

 その後月日がたち、地域情報を始めたところ、東京・王子の渋沢記念館で渋沢平九郎展があり、取材させていただき、掲載した。今回、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まり、これから栄一の妻となる千代の弟として、すでに画面に登場している。これをとらえて、平九郎と栄一にゆかりの地である越生町で渋沢平九郎展が開かれている。駅構内の手狭な場所で主に写真展示だが、なかなか充実した内容だ。越生梅林とセットで訪れたので紹介した。

2021年3月1日(月)
七分積金
 渋沢栄一の「うまくいく人の考え方」(原著「実験論語処世談」)という本を読んだ。「論語」から様々な人生訓を述べており、 明治維新の英傑や歴史上の武将たちの人物を評価しているくだりは面白い。この本で、養育院の創設のいきさつを述べている。養育院は、貧民救済を目的として明治5年に渋沢が設立した施設だが、同施設は江戸中期寛政の改革で老中松平定信が始めた七分金を元につくられた。これは町役人の倹約で残した金額の三分を町費の補助、七分を積み立てる制度。この資金が100年近くたった明治維新時にも残っていた。維新後東京市に引き継ぎ、大久保利通知事により渋沢が七分金の支配方に任命された。

 渋沢は明治23年養育院長となり亡くなるまで50年間院長を務めた。単なる片手間の慈善事業ではなかった。「うまくいく人の考え方」でも、「絶景を見るより、私が楽しく感じるのは、慈善事業などのために尽くすことだ」というくだりがある。
 養育院は、曲折を経て、現在、東京都健康長寿医療センターとして存続している。
2021年3月1日(月)
官僚と接待

 私がかつて大手紙の記者をしていた時、担当していた役所の幹部たちと忘年会だったか宴席を囲むことがあった。その時、私の前に座ったのは当時から将来を有望視されている官僚の一人だった。実際彼はその後、事務次官、政府機関のトップに上り詰める。
  その時私は、「お酒がお好きそうで、このような機会が多くあっていいですね」というようなことを言った。彼の答えは、「とんでもない。仕事で酒の席には出ますが、楽しいと思ったことはありません」というもの。
 その後、私の大學の同級生でやはり役所の幹部となっている人と同じ話をした時も、返事は同じ。「役人は忙しくて早く家に帰りたいと思っても、仕事で仕方なく付き合いに出る」というものだった。
 もちろん、中には企業による接待に喜んで参加したり、要求する役人もいるだろう。しかし、多くの役人は、仕事の一部だと位置づけてこなしているのではないか。役所は交際費を計上できないので、経費は企業側が持つ。これは悪しき慣習である。だが、いずれにせよ、役所は業界の実情と本音を知る必要があるし、企業側は政策の行方を知り、自分たちの状況を理解してほしいし、あわよくば自社を取り立ててもらいたい。そのような動機で、官僚の接待は成立する。互いに節度を持った官民の交流は必要である。収賄に類することがあれば別だが、単に接待に出ただけで非難するのは酷であるような気がする。

2021年2月25日(木)
森林公園

 滑川町を訪れ、森林公園に立ち寄りました。ちょうど梅の季節で、梅林までですが歩きました。様々な種類の梅がほぼ満開です。夢のような空間でした。

 久々の訪問ですが、この公園の広大さと、植物と環境の整備ぶりには感心させられます。関係者の皆様の努力に頭が下がります。10年以上前に取材し記事化していますので、再掲します。少し変化しているかもしれませんが、参考になるはずです。

2021年2月15日(月)
報道姿勢

 私もかつてマスコミに身を置いたが、多くの新聞記者にある共通の考え方があるように思った。特にいわゆるリベラル系の媒体だ。それは、記者の仕事は権力をチェックすることだというものだ。それ以前に、記者に限らずものを書く人は、自分の主張をしたいという根源的な動機があり、それに正義感(あるいは世論の向き)が加わる。記事はどうしても追求、批判に偏る。そのような機能・仕事も確かに必要だろうが、第二段階でよいような気がする。報道にそれを求めるべきであろうか。報道は事実を客観的に伝え、判断は読者に任せるのが基本である。最近では、新聞、テレビに限らず、一般の人もSNSなどを通じて、題材の選択を含め政権や有力者、有名人の批判、あら探し、失言追及が目立つ。事実を見た上での発信ならよいが、真っ先にそこに飛びつくのはどうか。私は、微力ながら、できる限り公平な目で、事実をそのまま、当事者の考えをそのまま伝えたいと思って弊紙を立ち上げました。インタビュー形式が多いのはそのためです。賛否両論あるでしょうが。

2021年2月4日(木)
小泉功先生
 小泉功先生は、地域の歴史の権威で、川越市の文化財保護審議会の会長などをされていた方です。1927年生まれで、2009年にお亡くなりになりました。元々川越高校の先生で、お世話になった方も多いと思います。
 私の事務所はかつて朝霞台の駅前にありましたが、ある時小泉先生がひょっこり訪ねて来られました。私は先生の名前は存じていましたので、うちのような弱小媒体のみすぼらしいところにわざわざおいでいただき恐縮しました。先生はその頃出された「太田道真と道灌」という本を持ってこられました。品格のある謙虚な方という印象を持ちました。
 その後、先生にインタビューさせていただき、さらに先生から弊紙にコラムを書きたいとの希望を受け、「川越街道・松平信綱と平林寺」という連載記事を書いていただきました。先生は当時、川越市の東明寺の発掘調査の整理作業を行っており、私は文化財分室のあった第一小学校まで毎回原稿をいただきにうかがいました。ご自宅におじゃましたこともありました。
 先生は病気を抱え、高齢でもあり、体はきつそうでしたが、実に魅力のある方でした。
 このたび、先生の原稿を読み直し、その文章の力で地域の歴史をまた見直し、web上で公開させていただくことにしました。「川越街道・松平信綱と平林寺」
2021年1月25日(月)
須崎勝茂さん

 ここ何日か弊紙のあるページのアクセスが急増した。須崎勝茂さんのインタビュー記事である。須崎さんは朝霞市の丸沼倉庫の社長だ。調べてみたら、須崎さんはコロナ対応の医療関係者向けということで市に1億円を寄付した。それを市が発表、新聞にも載った。それを読んで須崎さんはどんな人だろうと、弊紙の記事を見てくれたらしい。須崎さんは、倉庫会社のオーナーで資産家であるが、芸術家にアトリエを提供して支援する「丸沼芸術の森」、アンドリュー・ワイエスをはじめとするコレクションで知られる。弊紙は元々朝霞に事務所を構えていたことがあり、なじみがあり、須崎さんとも何度かお会いさせていただいた。非常にきさくな方で、純粋に地域のことを考え様々な貢献を実践されている。このような方の存在は本当に貴重である。

2021年1月21日(木)
鶴ヶ島開拓
  私は、親戚に鶴ヶ島に開拓で入ったという家があります。そう遠くない、昭和初期のようです。現在は市街化している鶴ヶ島に開拓とは。ずっと気になっていました。図書館で鶴ヶ島町史に目を通したところ、やはり開拓の話が歴史に時々表れます。ということで、調べてみて驚きました。江戸から明治、昭和初期だけではありません。戦後になっても、復員軍人などによる開墾が行われていた。特に、今は若葉駅前の富士見地区と、鶴ヶ島駅前の鶴ヶ丘地区。富士見では、開拓に参加した中山さんという方にお会いできました。中山さんは開墾でご苦労された経験をお持ちなだけでなくその後当時のことをいろいろ調べておられます。そして鶴ヶ丘の今泉清詞さん。今泉さんはビルマ留学生への奨学金で有名な方で私は以前から存じ上げていましたが、ご高齢なため取材は遠慮していました。今回今泉さんも入植者であることを知り、お目にかかりました。96歳でお元気、記憶もしっかりしていらっしゃいます。実際に開墾を行った方にお話をうかがうと、歴史が生々しくよみがえります。
 写真は現在の鶴ヶ丘地区。鶴ヶ島開拓記事今泉清詞さんインタビュー
2020年12月26日(土)
繁田家

 入間市に出向く機会があり、繁田(はんだ)家を訪れました。繁田家は江戸時代に代々名主をつとめた家で、明治時代の狭山茶業の発展期に多大な貢献をしました。12代繁田武平満義は、明治9年、日本初の会社であり、製茶会社で茶の輸出を手がけた「狭山会社」を設立したことで知られます。
 満義はまた息子の13代繁田武平翠軒とその兄で霞ヶ関カンツリー倶楽部開設で知られる発智庄平とともに、黒須銀行(埼玉りそな銀行の前身)を設立しました。黒須銀行の相談役に渋沢栄一が就き、渋沢は繁田家を訪れたことがあるといいます。


旧黒須銀行本店

 繁田家には江戸期建築の母屋と長屋門、本家の隣には分家の繁田醤油が建っています。現在は醤油工場は閉鎖され、建物はリノベーションされる計画のようです。黒須銀行の本店だった建物もすぐ近くです。この一帯は江戸時代にタイムスリップしたようなところです。
 本家、醤油会社ともいずれ取材させていただきたいと考えていますが、今回は向いにある狭山茶の繁田園で買い物をし、建物の写真を撮らせていただきました。

2020年12月13日(日)
コロナ対策と経済

 コロナの感染者が増え、GOTOなど経済対策を見直し経済活動を制限すべきだとの議論が増えている。しかし経済を制限すれば関連業界はさらに苦境に陥る。この問題をどう考えるべきか。『社会保障と財政の危機』(PHP新書)という本が有益なヒントを与えてくれる。著者の鈴木亘学習院大学教授は、かつて研究所で私の同僚だった方である。当時から優秀でアグレッシブ、自ら「行動する経済学者」と名乗り、社会保障関連で活発に活動されている。
 鈴木教授の説明はこうだ。コロナの被害(死者数)と経済被害(自殺者数)は、トレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の関係にある。その関係はを図示すると曲線である。対策当初は経済被害の増加が小さくてもコロナ被害を減らせるが、ある段階を過ぎると経済被害を大きくしないとコロナを減らせなくなる。
 この関係を前提とすると最善の策は、コロナ被害と経済被害の合計を一番小さくする点を選ぶことである。実際は当初経済的被害が大きくてもコロナ被害を小さくする政策をとっていたが、その後均衡点に近づいている。いずれにせよ、両者のバランスをとるスタンスを続ける限り、感染が増えたら経済を引き締め、減ったら戻すで、行ったり来たりとなる。ワクチンや特効薬が普及するまで悪循環から脱け出せない。
 これをブレークスルーするには、トレードオフ構造を変化させるための政策を講じることだ。第1に、経済活動が活発になり感染者が激増しても医療崩壊が起きないよう医療キャパシティを大幅に強化する(内容は多岐にわたる)。第2に、現役世代の経済活動を止めずに死亡リスクの高い高齢者の移動制限、隔離を行う。その他、テレワークの推進など。
  分析の構図は考え方を整理でき、提案は大胆だが傾聴に値する。

2020年12月13日(日)
訃報

 毎年この時期は喪中はがきなどで知人の死を知ることが続いているが、今年も3人の方が亡くなられた。
 一人は、西澤新さん。私が旧職で研修を受けていた時同期生として都市銀行から派遣されていた。頭脳明晰で親切で、当時普及が始まったばかりのパソコン(mz2000)を教えていただいた。
 その後、西澤さんは米国駐在が長く、帰国後外資系金融機関に転職活躍された。2012年にクラシック音楽マネジメントの会社を興して独立したのに驚かされた。とにかくクラシック音楽に造詣が深く、スタジオまで設け、海外の有名アーティストの招へいも行っていた。その気概に敬服していた。62歳という若さだった。
 もう一人は、北浦正行さん。私と大学の同級だが、私と違い超優秀。労働省に入り、出世コースを歩んだが、突然退職して民間の生産性本部に移った。これも決断である。労働問題の研究を続け、私も何回か講演を聞いたが実に興味深い話だった。最近生産性本部をやめ、昨年インタビューをさせていただいた。69歳でした。
 もう一人は、高校時代の同級生でしたので、やはり早い死でした。ご冥福をお祈りします。

2020年12月5日(土)
政治家

 私は政治家がきらいではない。 特に、市議や県議などを経たたたき上げの政治家は、それなりの能力、魅力があったからこそ道を開いた。創業型経営者と同じである。政治家というと腹黒でよからぬ計略ばかり考えているという見方は間違っていると思う。今回、地元選出の中野清元衆院議員を取り上げさせていただいた。中野氏は2007年に衆院内閣委員長になった時に取材させていただいて、お話が非常に面白かった。09年に政界を引退され、どうされているのかと思っていたところ、最近本を出されたとのことでインタビューさせていただいた。前回同様、お話は心にしみる、勇気づけられるものでした。先日取り上げた大野松茂元議員と同様、80代半ばとは思えぬ力強い発想と細やかな気配りを感じました。
 なお、中野氏と言えば、ご子息の中野英幸県議が次期総選挙に出馬するのではと取りざたされています。弊紙は、現職の神山佐市衆院議員も取り上げ、中野清氏ともども尊敬申し上げており、どちらか片方を支援する立場ではないことをおことわりしておきます。

2020年11月7日(土)
延命十句観音経

 川越の帯津三敬病院の名誉院長で、統合医療の第一人者である帯津良一先生が『白隠さんの「延命十句観音経」を読む 汝のこころを虚空に繋げ』(風雲舎)という本を出され、出版記念講演会が東京・谷中の全生庵で開かれました。「延命十句観音経」は、臨済宗の中興の祖とされる白隠禅師が世に広めたお経で、わずか10句、42文字ですが、それを唱えることで様々な功徳を得られるといいます。帯津先生は、毎朝このお経を唱えるのを日課としており、それ「幾千もの宇宙を抱いた偉大な空間」を意味する虚空とつながる道であると言われます。講演では、自らの呼吸法の実践を通した白隠禅師、「延命十句観音経」との出会いなどを、エピソード満載で、楽しく聴かせていただきました。
 全生庵は、江戸無血開城の立役者である山岡鉄舟により建立されました。帯津先生の講演に先立ち、平井正修住職による山岡鉄舟や白隠禅師と寺との関わりなどについてのお話がありました。

2020年10月22日(木)
養命酒

 本紙では様々な健康法や健康食品を取り上げてきています。その中で、新潟への旅先で出合ったクロモジに注目、養命酒製造の「クロモジ研究会」を取材させていただき、記事化しました。クロモジ製品としてのど飴とクラフトジンは、インフルエンザ、あるいはコロナにも有効な可能性があるとのことでした。特にクラフトジンはおいしく、それ以降愛飲させていただいています。最近、取材の過程で薬用養命酒自体が主原料はクロモジ(ウショウ)であるとお聞きしたことを思い出し、あらためて飲んでみました。胃の調子があまりよくなかったからです。きちんと飲み始めて今日で4日ほどですが、驚いたのはよく眠れるようになったことです。私はいくつか重い病気もし、普段の体調も思わしくありませんが、一番の問題は不眠です。この4日間は、睡眠薬は続けながらも、ぐっすりと眠れています。これまで試したどのサプリよりてきめんです。研究会の資料を見ても、クロモジには神経の興奮を抑え不眠を解消する作用があるとのこと。ジンやのど飴と養命酒は同じクロモジ原料でも抽出の仕方が異なるそうです。まだ断定はできませんが、光明を見出しつつあります。もし、そうなら江戸時代初期から続く薬に隠れた効果があることになりますが。

2020年10月17日(土)
月下美人

 不思議な花が咲きました。夕刻から開き始め、深夜に満開、朝になるとグッタリとしぼんでいました。二日目の今夜はもう開きません。月下美人というそうです。

2020年9月19日(土)
宮地瀞写真展

 富士見市在住の写真家、宮地瀞(きよし)さんの写真展が、富士見市文化会館キラリ☆ふじみで開かれている(9月27日まで)。
 宮地さんは、昭和57年から「出逢いの101人写真展」として市内の様々な分野の人物をモデルとした肖像写真集を制作、モデルの数は約500人に達した。
 今回の展覧会は、写真集を市立中央図書館に寄贈したのを記念して開催した。宮地さんは肖像写真とは別にこれまでアジア・ヨーロッパ・アフリカと30カ国以上の国々に出かけ、現地の人々を撮影、記録してきた。今回は、そのうちナイジェリアの「フィッシングフェスティバル」、ベナンの「仮面フェスティバル」の写真と、各地で撮った肖像写真を展示している。

2020年8月28日(水)
笠間稲荷

 地域ではないですが、茨城県笠間市の笠間稲荷神社を訪れた機会に取材させていただき、記事にしました。
 日本三大稲荷の一つとされ、規模が大きく、壮麗な社でしたが、私が驚いたのはその地域貢献の姿勢です。
 毎年行われている菊まつりは、よくあるように、愛好家に出品してもらい展示する形式かと思ったらそうではありません。神社自ら、菊を栽培する農園を持ち、自前の菊を展示するとのこと。大変な手間がかかっています。
 笠間稲荷美術館がありますが、これは地元が笠間焼の産地であることから、全国のやきものの古窯を紹介するという趣旨で設けられたようです。
 他にも、最近では地元の横綱稀勢の里の土俵入りなど、様々な行事も積極的に行っています。それだけ余裕があるのかもしれませんが、その地域貢献の姿勢には敬服いたします。
 東上沿線地域でも、川越の蓮馨寺、日高の高麗神社など、地域に多大な貢献をされています。その寺、神社の力とともに、住職、宮司のお考えも大きいようです。

2020年8月19日(水)
ぶどう園

 以前、本紙で取り上げたこともある、新座市の小泉ぶどう園を訪れました。ちょうどこの日から収穫されたぶどうの本格販売が始まりました。
 午前中は入場制限で入れず、昼食で時間をつぶしてから再訪。コロナなどどこ吹く風、大賑わいです。市街地にある大規模なブドウ園で、きっと毎年楽しみにしている人がいるのでしょう。
 約1時間待つことになりましたが、ぶどう棚の木陰が何ともここちよい。おかげで、よいいやしになりました。

2020年6月11日(木)
公園

 老親を連れて大宮公園(第2公園)にアジサイを観にいきました。アジサイ園は林の中に自然に繁っている感じで、コロナのせいか人も少なく落ち着けました。近くに、菖蒲田というのがあり、菖蒲の花が満開でした。ここは少しくぼ地の不思議な地形です。後で調べたら調節池の一部のようですが、設計が上手。私は公園・庭園が好きですが、一番は設計だと改めて思いました。

2020年6月1日(月)
田植え

 5月31日の日曜日、富士見市のNPOゆめつるせ(小杉武代表理事)は市内の田んぼで田植えを行いました。同NPOでは毎年市立諏訪小学校の児童に総合学習の一環として田植え・稲刈りの実習を指導しているのですが、今年はコロナ休校でかなわなくなりました。そこで、NPOメンバー、協力者で米作りをすることになりました。
  田の上に目印のロープを張り、等間隔になるように、指で数本の苗を土の中に埋めていきます。私は、農家出身ですが、田植えを間近に見るのはこれが初めて(恥ずかしながら、今回も持病のギックリ腰のため見学だけです)。他の方も初体験の方が多かったのですが、事故もなく作業はそれなりに進みました。この日は前日までの暑さもなく、心地よい風がそよぎ、水がきょらかで、心が洗われるよう、貴重な体験でした。
 稲刈りは10月4日に行います。

2020年5月28日(木)
クロモジ

 以前、登山仲間と新潟県津南町の川沿いの宿に泊まった時、食事に不思議な味のお茶が出た。聞くと、茶葉を販売しているとのことで、持ち帰った。それがクロモジだった。
 以来ずっと気になっていた。今回、クロモジがインフルエンザウイス抑制作用を持つという記述を見てびっくり。

 養命酒製造が「クロモジ研究会」というのを作り、研究を進めていることもわかった。研究会の運営を担当している方にいろいろ教えていただき記事を作成した。養命酒自体が実は成分の半分がクロモジ。研究によって抗がん作用など様々な効果がある。最近の研究ではインフルエンザウイルスの抑制、風邪症状の改善に効果があるという結果が得られているという。
 問題の新型コロナについては、現時点では何とも言えないということだが、可能性はあるだろう。養命酒は1600年頃から続いている伝統の薬用種であり、クロモジの有効性を示しているのかもしれない。現在はまだ一般に知られていないが、今後各方面で利用が広がるのではないか。

2020年4月20日(月)
コロナ対策
 世はコロナもちきりで、私はやや騒ぎすぎと感じていますが、とはいえ誰でもかかりたくないのも事実です。私は本サイトで様々な健康法を取り上げており、どれも主に免疫力アップを通じて感染予防・治療に効果があると思われますが、中でも直接に効果を期待できそうなのがエドガー・ケイシ―療法です。エドガー・ケイシ―は「眠れる予言者」と言われ、自己催眠状態で、人生の様々な問題に解答を与えた人ですが、その多くは病気に関する質問です。その中で肺疾患に有効とされている療法がいくつかあり、今回のコロナに一番役立ちそうなのがアップルブランデーです。アップルブランデーはりんごを原料とするブランデーで、大きな酒屋なら置いています。ケイシ―はこれを樫樽に入れると指示していますが、入手しにくいので、簡便法としてペットボトルに入れ、その蒸気を吸います。ストローを使い口から吸って鼻から吐くのがよいようです。これが肺疾患の予防、治療に役立つそうです。私も試しています。詳しくは、エドガー・ケイシ―センターの光田秀会長は惜しみなく情報公開しています。https://youtu.be/MQmsjeAnrNc
2020年4月3日(金)
福岡河岸

 ふじみ野市の福岡河岸周辺を散歩しました。私の家の近くはこれといった名所も風景もなく、私が一番気に入っている場所です。かつて新河岸川舟運の河岸があった場所で、回漕問屋の建物は今も河岸記念館として保存・公開され、川沿いには当時に近い自然が残っています。
 遊歩道を歩くと、対岸には桜並木、曹洞宗の名刹、蓮光寺も望めます。権現山古墳は、徳川家康が鷹狩りで一服したという言い伝えから名づけられました。
 あまり訪れる人もいないので、歴史をしのびながら、静かなひと時を過ごせます。

2020年3月15日(日)
WOWOWドラマ

 年をとり、以前よりはテレビを観ることが増えたが、最近ちょっと注目しているのがWOWOWの「連続ドラマW」という名のシリーズだ。有料放送であるWOWOWが独自に制作している連続ドラマで、1回1時間で5回程度の放映、毎年数本が新規に制作されているようだ。私はWOWOWの契約はしていないが、CSのシネフィルWOWOWというチャンネルで過去作品を見ることができる。
 私が観たのは、「地の塩」、「双葉荘の友人」、「闇の伴走者」。どれも実によくできており、楽しめる。
 地上波テレビのドラマで面白いと思うものはめったにない。映画も、つい先日「パラサイト」を観たが、私としてはいまいちと感じた(私が唯一毎週観ているのは、FOXチャンネルの「マダムセクレタリー」だ)。ドラマWの方が楽しめる。
 これは何によるのだろうか。やはり脚本と演出だろうと思うが、それだけ人材がいるということなのか。あるいは、有料放送であり、スポンサーや世論におもねる必要がないこともあるのかもしれない。「地の塩」で驚いたのは、喫煙シーンがふんだんに出てくることである。
 とにかく、WOWOWの挑戦はうれしいことである。

2020年2月1日(土)
雑本

 私は病気後遺症もあり重い本を読む力がない。読む本は、主に軽くて薄い、雑本の類だ。このところ、家族の入院もあり、合間時間の雑本読書が増えたが、いくつか非常に面白い本に巡り合った。
 その第1は、『運気を磨く』(田坂広志、光文社新書)。著者の田坂氏は原子力工学を専門とする工学博士で、いわゆる運気というものを科学的に解明し、それを引き寄せる方法を論じている。我々の意識の奥深くには、人が「神」、「天」、「大いなる力」などと呼ぶ超時空無意識の世界「ゼロ・ポイント・フィールド」が存在し、そことつながることで良い運気が引き寄せられる。そのためには、人生の習慣、解釈を改め、覚悟を定め、心の姿勢を根本的に転換しなければならないというもの。
 「ゼロ・ポイント・フィールド」は仮説ではあるが、神秘の分野に科学的に切り込んだ。内容は緻密で説得力がある。私は浅学ながら同様の問題意識の本は多く読んできた方だが、この本は過去の言説、自らの経験など合わせ、突き詰めており、私から見て真実に近づいているように思える。本来とても「雑本」に分類されるような内容ではない。
 第2は、『なぜ、男子は突然、草食化したのか』(本川裕、日本経済新聞社)。著者は統計データの専門家で自ら「統計探偵」と名乗っている。本欄訃報で紹介した故赤羽隆夫氏が「景気探偵」を名乗ったのと似ており、統計データの検証で真実を発見しようというもの。表題になっている「男子の草食化」について、いつ頃から何を原因として起きているのかという疑問を抱き、日本生産性本部の「新入社員『働くことの意識』調査報告書」という調査にたどり着く。同調査から草食化は2000年以降進んでいることを確認。さらに草食化は、日本人のたんぱく質摂取量と相関して推移してきていることを発見する。
 完全に因果関係が解明されたわけではないにしても、可能性はかなりある。誰も注目しなかったデータからこのような推論を導くのは実に見事である。世の中には様々な統計があり、その中には貴重な情報が眠っていること、着眼と推理によって、新しい発見が可能なことを教えてくれる。
 第3は、『木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(北原みのり、講談社文庫)。同書は、2012年に単行本で出版され、13年に文庫化、さらに17年に改題された。木嶋佳苗は、ネット上で知り合った中高年の男性から大金を詐取、3件の殺人で起訴され、2017年に死刑が確定した。本書はその裁判の傍聴記だが、犯行の経過が克明に記され、事件の真相がうかがい知れ、非常に興味深い。2009年に発覚した最初の事件現場が私の家の近くであり、一連の犯行の舞台になるのも板橋とか池袋、東上沿線であった。著者の北原氏は女性であり、被告に共感を持つ部分もあったようだが、確かに被告には能力とある意味での魅力があったのだろう。しかし平然と嘘をつき人を殺す人となりは恐ろしい。高齢になっても女性を求めてしまう男のわびしさ、切なさと女性(女性に限らないが)のこわさを思い知らされる本だ。
 以下、『老後に住める家がない』(太田垣章子、ポプラ新書)、『籠池家を囲むこんな人たち』(籠池佳茂、青林堂)、『独ソ戦』(大木毅、岩波新書)も面白い。
 出版不況と言われる中、あるいはだからこそか、面白い本は次々と出ている。関係者の努力に感謝したい。雑本読みは、老後の趣味として悪くない。
 ちなみに私が、これらの本を仕入れる、お気に入り書店の第1は、御茶ノ水駅前の丸善である。病院に近いこともあるが、相性がよく、興味とマッチする本との出会いが多い。次が、紀伊国屋書店大手町店。古くなると、amazonで古本を買う。

2020年1月12日(日)
志澤孝さん

 また訃報ですが、志澤孝さんが昨年11月、お亡くなりになりました。92歳でした。志澤さんは元々百貨店の松屋から小田原にある文化堂印刷という印刷会社に移りました。1979年当時、印刷業担当であった私は取材先として志澤さんと知り合いました。以来40年、仕事関係ではもっとも長くお付き合いさせていただいた方でした。
  志澤さんは非常に交遊の幅広い方で、多くの人を紹介していただきました。その中には独自のテーマを持ち、社会に挑戦しているが、なかなか成功まではいかない、屈折した起業家のような人が多くいました。私の性格から、その多くの方に共感できましたし、人脈も広がりました。志澤さん自身も、いろいろなことに興味をいだかれ、晩年まで前向きに取り組まれていました。心あたたかい人でした。
  個人的な交友ですが、関係者もおられますので、訃報をお知らせさせていただきました。

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