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奥貫家

奥貫家長屋門
奥貫家長屋門

 富士見市東大久保から南古谷駅に向かう街道(川越新座線)から荒川方向に少しそれると、田園風景の中に突如、白壁の大きな長屋門が出現する。これは地域の大地主で、江戸時代に入間郡久下戸(くげど)村(現川越市久下戸)の名主を代々務めた奥貫家である。特に奥貫友山(1708~1787)は、江戸に出て儒学を修め、和歌を学び、諸学を終えて郷里に帰り寺子屋兼漢学塾を開いた。享保2年(1742)の大洪水では、友山は率先して持ち舟を出し、米蔵を開くなど罹災者の救助に当たった。その後も洪水のたびに慈善事業に尽くした。友山の墓は、長屋門前の一族の墓地内に立ち、埼玉県指定文化財(旧跡)に指定されている。

奥貫家現在の母屋
現在の母屋
奥貫家蔵
現在の蔵

 奥貫家と言えば、川越では霞ヶ関の発智家と並ぶ大地主、名望家で、たびたび川越藩主を支援したとも伝わる。時がたち、家と周囲の広い森は残っているが、住人はいないようで、さびしさを感じさせる。

発智家記事  発智床平記事

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東上沿線物語
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