渋沢栄一は埼玉の深谷出身だが、同じ県内の西部の入間、飯能とも縁がある。渋沢栄一を描くNHKの大河ドラマが放映されているのを機に、両市と渋沢との関わりについて記事を作成した。入間については、繁田(はんだ)家との関係が軸である。渋沢は世に出る前藍の商売をしている頃から繁田家を訪れていた。出世してからは黒須銀行の設立など折りにふれ繁田家を支援している。入間黒須地域の豪農・名主であった繁田家の力をうかがわせる。当時はこのように地域の有力者同士は付き合いがあったのだろう。飯能については、渋沢自身というより、従兄弟の渋沢成一郎(喜作)、尾高惇忠が飯能戦争に参加したという歴史がある。維新時の戊辰戦争で唯一埼玉県の戦場となったのが飯能である。渋沢成一郎は振武軍の頭取であり、尾高惇忠も幹部である。渋沢栄一の養子となった尾高(渋沢)平九郎も戦争に参加している(死亡)。渋沢一族は、攘夷から入ったが幕府側で最後まで戦ったメンバーであった。栄一は徳川慶喜に仕えたが後に明治政府に抱えられ活躍する。成一郎は函館まで戦い、後に実業家になる。尾高惇忠は富岡製糸場の場長になる。波乱万丈というか、転身の足跡である。
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