私は富士見市に住んでいるが、同市は鶴瀬村、南畑村、水谷村が合併してできた、南畑は元々「難波田」という地名で、そこには戦国時代難波田氏が拠点とした難波田城があった。難波田氏は戦国武将の難波田弾正善銀が有名である。今回難波田城跡にある難波田城資料館で難波田氏の歴史に関する展示が開かれているので紹介した。いろいろ面白い発見があったが、一番驚いたのは1868年、明治維新の時、富士見でも戊辰戦争の戦いがあったということだ。旗本難波田家の一家の当主であった千代虎という人が難波田弾正を名乗り当地を訪れ旧幕府軍として戦うことを宣言。聞きつけた新政府軍が、飯能の振武軍征伐に向かう前に立ち寄り、10名前後が処刑されたという。飯能の歴史記事で飯能戦争を取り上げたばかりで、飯能は戊辰戦争で埼玉唯一の戦場となったと聞いていたが、実はそうではなく、富士見市でも小さいが戦争が起きていた。まだまだ知らないことが多い。
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