連休の一日、小田原にドライブした 。東上沿線の地域を見ている立場で、興味深かった2点を紹介したい。
一つは、戦国時代の河越城の戦いのとらえ方である。小田原城の資料館には、(後)北条氏の歴史とともに「河越の戦い」の電動紙芝居コーナーが常設され、河越夜戦の模様が「実況中継」されている。その説明は、北条氏康軍が10倍の戦力を持つ連合軍を撃破し、関東支配を確固とした画期的な戦いということである。
つまり、小田原城を開いた(後)北条氏側から見ているわけだが、私自身、これまで不勉強だったことがあるが、この展示であらためて河越における攻防の歴史的な意味が理解できた。
川越にいると、「小江戸」をうたい、江戸から明治にかけての歴史に焦点が当たり、鎌倉から戦国時代にかけて中世期への関心が今一つのようだ。実は太田道灌が河越城を築き、上杉の拠点となった頃が川越の絶頂期ともいえるのかもしれない。東上沿線でも、中世の歴史をアピールする努力をすべきと感じた次第である。
もう一つ、似たような話で、松永安左エ門の扱いである。電力王で、「耳庵」の号を持ち茶人としても知られた松永は晩年小田原に住み、その住処が松永記念館として公開されている。関連資料が展示されているほか、趣ある茶室を含む建物にも上がることができる。
松永については、本紙第4号でも取り上げたが、松永が柳瀬山荘(所沢市)を建て、また平林寺を菩提寺とし山門も寄贈、現在睡足軒と呼ばれる茶室も置いた。地域の有力企業サンケン電気も松永が設立、志木駅前の今の慶応高校の敷地も松永が寄付したと聞く。松永の地域とのかかわり、貢献は小田原より東上沿線の方が大きい。
しかし、この地域にそもそも松永のことを知っている人は少なく、史跡は残っているが、松永についてきちんと説明のある施設はない。
やはり、地域の歴史をもっと大事にしなければいけないなと感じた小田原での一日でした
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