丸広百貨店の創業者である大久保竹治名誉会長が亡くなった。
私は、前職の新聞記者時代、今から30年ほど前に流通を担当したことがあり、当時の大久保社長に2、3度お会いしたことがある。当時の丸広は、「西のトキハ、東の丸広」と言われ、地方百貨店の雄であり、東京からわざわざ取材に行かなければならない先だった。
大久保社長は、私のような若造記者にも丁寧に誠実に応対してくださった。創業経営者にありがちなバイタリティあふれるタイプではなく、もの静かで奥深い印象を与える人だった。
一番記憶に残っているのは、丸広が成長するためにポイントとなったのは、店舗の周囲に広大な駐車場を確保できたことで、そのためには古くからそこに住んでいた方々に立ち退いてもらう必要があり、一軒一軒時間をかけて粘り強く説得して回った苦労話であった。
その後、一番街の蔵のまちの再興で観光地としての川越は脚光を浴びることになるが、川越の商業としてみるとそれをリードしたのは丸広であり、その波及効果を受けたペアモールの人通りであろう。
そのかげには、駅にそれほど近くはないが、平地の駐車場を早くから整備したという先見性と地道な努力があったのだろう。
時代は変わり、百貨店はどこもそうだが、最近の丸広は元気がない。大久保社長時代はあんなにフランクに話をしてくれたのに、私のような無名の地域紙など取材も受けてくれない。
大久保社長をなつかしみ、ご冥福をお祈り申し上げます。
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