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インターネット新聞

 昨日の新聞に、インターネット新聞「オーマイニュース」の日本版が配信をやめるという記事が出ていた。
 オーマイニュースは、韓国で始まり、市民記者の投稿した記事を掲載したネット上の新聞で、一時は大きな影響力を持ち、2002年の大統領選でノムヒョン氏当選に貢献したといわれる。このようなネット上の市民参加型のメディアが従来の職業記者による、紙・電波媒体にとって代わる日も近いとされ、日本でもソフトバンク出資でオーマイニュースが発刊された。
 それが数年で行き詰まったわけだが、この推移には地域紙という媒体を発行する身として無関心ではいられない。
 この問題は今後分析していきたいが、とりあえず現段階では、次のように考えている。
 第一に、書くということ、さらには客観的に報道するということには、やはりそれなりの資質、訓練、さらには第3者によるチェックが必要であるということである。
 今、ネット上にはブログをはじめ膨大な量の個人による発信情報がある。そのほとんどは、「書きたいこと」を書いている。「書きたいこと」は、事実もあるが、多くの場合、筆者の評価であり、主張である。評価や主張も貴重であるが、人間は千差万別、さらに言えば、自分勝手であり、極論すれば言いたいことを勝手に書く。好きなタレントや尊敬する政治家のブログを読むならいいが、客観的報道の分野で筆者の個性の強い記事を読まされるのはどうだろうか。
 オーマイニュースの市民記者の原稿料は300円だったという。これでは、記者は労力をかけて事象を調べることはせず、また編集者から修正を要求することも難しかったのではないか。
 以上のように、記事の質の問題がまずあったのではないかというのが、私の印象である。
 なお、私は長い間、全国紙の記者をしていたが、普通の新聞記者にも「書きたいこと」を書くという傾向がある。つまり、自分の主観で対象をゆがめ、ストーリーを「創り出して」しまう。私は、新聞が事実を伝えない根本的な原因はここにあると感じている。そのため、本紙では、インタビュー形式をとり、取材先のことばをそのまま紙面に載せるような編集方針をとっている。
 オーマイニュース停止の意味する、あるいは提起する、2番目の、より大きなテーマとして、インターネット情報の限界ということがあると思われる。この点はあらためて述べたい。

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