日本各地に、「ダイダラボッチ」(デイダラボッチ、デイラボッチャ、大太法師=ダイダボウシなど呼び方は様々)という巨人の伝説がある。巨人が山や湖沼を造ったという伝承が多い。ダイダラボッチ伝説は、民俗学の柳田国男が調査し著わして世に広まった。伝承は関東に多く、日高市の高麗郷にそびえる日和田山も、ダイヂャラボッチャという巨人が担いできたという説話が残っている。
(本記事は、日和田山の麓にある高麗神社で2023年6月11日開かれた「渡来人の里フォーラム」で、地域の文化遺産を研究する張大石さんが行った「日和田山をつくったダイダラボッチと高麗郷の未来像」と題する講演、及びその後のインタビュー、柳田国男の著書などにもとづき作成しました)
張大石(チャン・テソク) 1966年韓国生まれ。東京芸術大学大学院博士課程修了。東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター准教授、角川武蔵野ミュージアム学芸員を経て、現在は地質調査会社勤務。専門は地域文化遺産学。
巨人伝説は柳田国男が研究、世に紹介
ダイダラボッチという伝承を発掘し、世に紹介したのは民俗学者の柳田国男だった。昭和9年に刊行した『一つ目小僧その他』という本に「ダイダラ坊の足跡」(昭和2年)という論考が収められている。
柳田がダイダラボッチの研究を最初に本格的に始めたのは、大正9年の代田(当時は代田村)だった。現在の世田谷区代田である。江戸時代の古書の「ダイタ橋は大多ぼっちが架けた」との指摘をヒントに現地を踏査し、長さ約百間(約180m)の右足らしき窪地を発見、村の名「ダイタ」はこの足跡に基づいていると結論づけている。
柳田国男は全国に伝わる伝説を幅広く集め、整理し、その由来と歴史、そこに関わる人々の信仰や風習を跡付けた。「ダイタ」のように大きな池や窪地があって、巨人の足跡と伝えられ、関連する地名があるという例が多い。他に、巨人が山や島を造ったという築山の伝説がある。山については、「二つの土塊を担って一つが抜け落ちて山ができた」など説話が残るが、地名とは直接つながらない例が多い。
これらの巨人伝説について柳田は、元々は巨人による国拓き神話が起源だったが、人間以上の偉大な事業を成し遂げた者は、必ずまた非凡なる体格を持っていたろうというきわめてあどけない推理から、生まれたと述べている。元々九州が起源で、東の地方に移っていく過程で、やや滑稽な民間伝承に変わり、張大石さんは、柳田の言葉で「零落していった」神であると解釈している。
巨人伝説の背後には、人々の生活の根幹となる存在
個々の山や湖沼が巨人によって造られたという伝説がどうして形成されたのか。張さんは、「巨人伝説の対象は、山、湖、橋、井戸、土木工事など、人々の生活の根幹であり、地域づくり、国づくりのシンボルがダイダラボッチではないか」と言う。柳田国男は、関東に伝承が多い理由として、「武蔵野は混乱した地層と奔放な地下水の流れ泉の所在が移り動き、ダイダラ坊の所作として解釈される場所が多い」と述べている。
張さんの調査によると、奥武蔵で地名が残っているのは高山不動尊の北側斜面にある「大田法師」(ダイタボシ)、飯能市の高麗川流域の「ダイタナッチ」、入間川の「大星久保」(ダイボシ)などがある。周辺の地名に、「カマ」とか「ヤチ」など、火を起こして鉄を造ったりする関係の言葉があり、近辺では砂鉄もとれる。山の開発との関連でダイダラボッチの伝承もとらえられる可能性がある、とみている。
日和田山は関八州を統率できる司令塔
日高市の日和田山はダイダラボッチが造ったという伝承がある。
日和田山と巨人伝説:昔ダイヂャラボッチャという巨人が日和田山と多峯主山を天秤に懸けて担ってきた。高麗まで来ると疲れたので、担いできた山を下ろした。その時、日和田山はそっと置いたので高いが、多峯主山はぐっと下したので低くなった。
日和田山は高さ300mほどの低山だが、地域の人々の山を崇拝する気持ちが伝説を生んだのかもしれない。張さんは、日和田山は非常に重要な山だという。
「一番は展望、パノラマ。そこにすべての物語があります。上から見ると感じ取れます。麓には高麗郷が広がり、高麗王若光の物語。さらに関八州が見渡せます。この周辺では最も戦略的価値が高い。なぜ人々は山を大事にしたのか。水、燃料、食べ物を与えてくれる。生活の根源となる。敵が来れば守り、戦う場所にもなる。ここは秩父盆地への入口で、狼煙を上げれば狭山丘陵、加治丘陵、先の多摩丘陵からも見える。305mの高さだが関八州を統率できる司令塔です。
日和田山は眺望だけでなく、関東平野・日本列島の歴史、文化風土、いろいろなものが語り掛けてきます。単に登るだけでなく、様々な学びの場になればよいと思います」
張さんは日和田山の麓で「ダイダラボッチサミット」を開くという構想を披露した。
「『代田』のある東京・世田谷では先にやっているようですが、呼びかければ集まってくるでしょう。日和田山の麓に集まれれば、地元の文化的遺産のポテンシャルも上がると思います」
(取材2023年7月)