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渋沢栄一が貢献した 養育院から連なる 東京都健康長寿医療センター

東上線大山駅近く、車窓から、豊島病院と隣り合って、巨大な施設が見える。地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターだ。老人福祉施設のような名だが、550床、約千名の医師・職員を擁する大規模総合病院である。この病院は、明治時代に設立された救貧施設「養育院」の付属病院として始まった。養育院の発足時から50年以上にわたり院長を務め、事業の発展に尽くしたのが渋沢栄一だ。今日、健康長寿医療センターがあるのも、渋沢の貢献によるところが大きい。

現在は小児科と産婦人科以外あらゆる診療科

現在の東京都健康長寿医療センターは、小児科と産婦人科以外あらゆる診療科を有する総合病院である。550床、150名の常勤医師、90名の非常勤医師、500名の看護師を抱え、最先端の設備を備える。

2009年に、都立老人医療センターと財団法人老人総合研究所が統合し、地方独立行政法人として発足した。そのため、元々高齢者医療に力点が置かれ、現在も高齢者に多い、心血管病、がん医療、認知症、救急医療を重点分野としている。

また、老人総合研究所の役割を引き継いだ研究所を備えていることも他にない特徴で、診療と研究の連携が図られている。

老中松平定信により創設された七分積金が原資

前身の都立老人医療センターは1986年までは養育院附属病院であった。

養育院は、明治5年(1872)、維新後急増した窮民を保護するため設置された。設置・運営の原資は、江戸幕府の老中松平定信により創設された七分積金が明治政府に引き継がれた営繕会議所の共有金が充てられた。

渋沢栄一は、営繕会議所の運営・管理に関わり、初代養育院長となり、亡くなるまで50年以上院長を務めた。その間、財政基盤の確立に尽力、東京府会に一時高まった廃止論からも養育院を守った。

センター2階にある展示コーナー

近代医療・福祉の源流を形成

養育院からは、精神病、ハンセン病、結核、児童福祉、高齢者福祉など様々な専門施設が生まれ、日本の近代医療・福祉の源流を形成している。数ヵ所あった病院が統合して大正時代に発足したのが養育院附属病院で現在の東京都健康長寿医療センターに連なる。

養育院本院は、最初本郷の加賀藩邸跡に置かれたが、その後、各地を転々としたが、関東大震災後、現在の板橋に移転した。現在、病院の敷地内には、養育院本院の碑と、渋沢栄一像が建てられている。

養育院本院の碑

渋沢栄一像

同センターは、一般向け医療、研究情報の普及にも力を入れ、年4回、都内で老年学・老年医学公開講座を開催している。

東京都健康長寿医療センターHP

養育院記事はこちら

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