歴史

歴史

高島秋帆 独自の高島流砲術(西洋流砲術)築く 「高島平」の地名残す

  高島秋帆(しゅうはん)は、鉄砲を撃つ方法、砲術の専門家で、独自の高島流砲術(西洋流砲術)を開発し、幕末期に活躍した。天保12年(1841)には、徳丸原(現在の高島平)で大規模な調練を披露した。その史実を踏まえ「高島平」の地名が生まれ、板...
歴史

製紙王大川平三郎  坂戸の偉人 郷土に多大な貢献 渋沢栄一の娘婿

NHK大河ドラマ「青天を衝け」で、青年期の渋沢栄一や従兄の尾高惇忠らが剣術の稽古をする様が描かれた。師だったのが、坂戸で神道無念流の道場を開いていた大川平兵衛だ。平兵衛の孫大川平三郎は渋沢栄一の娘婿。渋沢を頼って後の王子製紙に入り、製紙業を...
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川越街道・ 松平信綱と平林寺(2) 川越街道の道程 小泉 功

川越街道が完備するのは、松平信綱・輝綱の時期で、平林寺が岩槻から新座の現在地に移転するのとほぼ同じ頃である。この街道の里程については、榎本弥右衛門の『萬之覚』に川越藩主松平輝綱(信綱の孫)が1655年に距離を測った記録が記されている。 ...
中世・武蔵武士

文武にすぐれた戦国武将難波田弾正、その子孫は江戸期には旗本難波田家、維新で戊辰戦争にも参加  難波田氏800年の歴史

戦国時代の武将ある難波田弾正善銀は、現在の富士見市南畑にあった難波田城を拠点にしていたとされる。難波田氏は源平合戦で活躍した金子十郎の一族を祖とし、難波田弾正の子孫は江戸時代には旗本になり、現在に至るまでいろいろな分野で活躍している。今年は...
歴史

飯能の歴史 飯能戦争には渋沢栄一の縁者が参加 天覧山は明治天皇ゆかりの山

埼玉県の西のはずれ、入間川と高麗川が流れ、北西に外秩父山地が控える飯能市。市街の背後に立つ天覧山は200mに満たない低山だが、眺望がよく、明治16年には明治天皇が近衛兵の演習視察で登っている。明治維新時、麓の能仁寺を含む町が飯能戦争の舞台と...
中世・武蔵武士

ふじみ野市亀久保の 三上家

戦国時代北条氏の家臣として松山城、鉢形城で戦い、江戸時代亀久保から所沢まで開墾 ふじみ野市の旧川越街道沿いに亀久保という地域がある。同地の旧家、三上家は近江(現滋賀県)の出で戦国時代北条氏に仕え、徳川の時代になり同地を含む広大な武蔵野地域...
歴史

渋沢栄一と入間 繁田家との深いつながり 黒須銀行設立、豊岡公会堂建設を支援

渋沢栄一は今の深谷市出身だが、同じ県内の入間市とも深い関わりがある。特に、旧黒須村の繁田(はんだ)家とは親密で、若い時期には家業の藍商売の際立ち寄り、明治33年に繁田家が設立した黒須銀行の顧問に就き、大正12年にできた県内初の豊岡公会堂の建...
歴史

越生に散った若き志士 渋沢平九郎展

渋沢栄一の従兄弟で養子であった渋沢平九郎は維新時、彰義隊・振武軍に参加、飯能で新政府軍に敗れ、黒山(現越生町)に逃れたが見つかり、奮戦・自刃した。大河ドラマ「青天を衝け」放送を機に、「越生に散った若き志士 渋沢平九郎展」が、越生町越生駅構内...
朝霞

朝霞キリスト教会付属白百合幼稚園、ヨルダン学園 牧師・園長 江川博和先生

朝霞市の朝霞キリスト教会付属白百合幼稚園の園長であった江川博和先生が2021年2月逝去されました。先生は、戦後基地に集まる売春婦の子供たちを預かり、その後も自閉症児など障害児を多く受け入れるなど、生涯を通じて幼児教育に尽くしました。白百合園...
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縄文時代のムラ  水子貝塚 (富士見市) 荒川沿い低地は海だった

富士見市にある水子貝塚。縄文時代の貝塚を伴う集落(ムラ)の跡だ。規模が大きく、当時のムラの様子がよくわかるということで国の史跡に指定されている。現在は海なし県の埼玉だが、縄文時代には遺跡の近くを流れる荒川・新河岸川沿いには、海が押し寄せてき...
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