日高市にある狭山茶専門店の備前屋。狭山茶を加工・販売する産地問屋だが、清水敬一郎社長はお茶の新しい味を求めて革新的な試みを進めている。ウーロン茶のような萎凋香(いちょうか)のお茶もその一つ。また、地元出身の製茶機械の発明者高林謙三の顕彰会の活動にも労をとり、高林謙三の銅像が市内生涯学習センター入り口に設置された。清水社長にお話をうかがった。
備前屋店舗と清水さん
狭山茶だけを仕入れる産地問屋
―備前屋さんは、茶葉の生産者ではなく、お茶の問屋さんなのですか。
清水 正式には産地問屋です。都内など大きな消費地で小売店に販売する問屋さんもありますが、私たちの場合は狭山という産地で作られたお茶を集めて加工して販売する仕事です。
―埼玉では、生産農家が自分で販売しているお店をよく見かけますが、農家が問屋さんに販売する場合もあるわけですね。
清水 狭山の場合は、農家が自園、自製と自販まで手がけるパターンが非常に多いです。日本の茶産地でも珍しいパターンです。それは生産地と消費地がほとんど同じであることによります。埼玉以外では、一部八女(福岡)にあるくらいでしょうか。
私どもは取引する生産者が入間、狭山、所沢、日高、飯能など広範囲に約10工場ありますが、その中には自園・自製・自販を主とする方もいますし、全部問屋に納めるという方もいます。
―備前屋さんは小売りもされるのですか。
清水 私ども産地問屋は、他に卸しもしますが、店で小売りもします。
―卸す場合、ブランドはどうなるのですか。
清水「備前屋」の名で売る場合と先方の小売店のブランドの場合と両方です。
―備前屋さんの特徴は何と言ったらよいですか。
清水 完璧な地元密着型ですね。他地域からの仕入れはありません。原発事故での放射能汚染問題などが起きると、うちの場合手も打ちようがないわけです。狭山茶以外売るものがありません
火入れのやり方にこだわり
―問屋業は、単に仕入れて売るのではなく、加工をするということですが、どのような加工をされるのですか。
清水 私どもは荒茶の形で仕入れます。荒茶は葉っぱから製茶機械を通ってお茶になった一次加工品ですが、正式には商品になりえない原材料です。それをこちらの工場で形を整えたり、熱加工処理をしたりして、煎茶という商品に仕上げる。それを袋詰めして納めたり、小売したりします。熱加工のことを火入れと呼びます。
火入れの機械
―火入れはどんなお茶でも必ず行うものですか。
清水 荒茶は水分含有率がやや高い。火入れの目的はその水分を飛ばすことですが、それ以外に熱を加えることでお茶の品質が向上します。私どもは問屋ですが、この処理をしないと煎茶になりません。メーカーでもあるわけです。
―火入れをしないとどうなりますか。
清水 普通の煎茶であれば、お客様は購入して缶に入れて保管すれば一ヶ月くらいは持つわけですが、火入れをしないと1週間でしけてしまいます。
―備前屋さんのお茶の味の特徴は。
清水 「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という茶摘歌がありますが、狭山は昔から味にこだわってきました。そのこだわりに火入れのやり方があります。10軒の問屋があれば10軒とも火入れの方法は違います。熱を加えることで付加される香りがあり、「火香」と言います。これが強い方がよいとする考えの方もいるし、私は、それぞれのお茶の個性を殺さないというやり方です。荒茶という原材料は様々です。早く摘めば収量は少ないですが、養分は多い。うまみ成分、新鮮な香りだとか、清涼感があります。良い香りがより鮮明になるように、適切な温度で火入れをするということです。
新茶が始まり時間がたつと反収が増えますが、茶葉の養分は減ってきます。うまみ成分や鮮度が落ちますので、その時は少し高めの温度に設定します。葉っぱの個性を意図的に曲げないようにと心がけています。
黄金色のお茶
―ことばで言うと、目指すお茶は。
清水 煎茶にもいろいろなタイプがあります。100グラム1000円売りというのは、進物にも使われるし、家庭でもお飲みいただく、非常にポピュラーな価格帯です。この場合、新茶が出始めて少しか経っていない時期の茶葉なので、あまり火入れ温度を上げず、鮮度感のある味と香りを失わないようにします。
―最近は深蒸茶が多いですが。
清水 深蒸系の細かいものを扱っている方は、火入香を大前提にしていることが多い。深蒸系のお茶は強く火を入れると、それが反映しやすい。
ただ、私は深蒸はやりません。今は珍しいかもしれません。深蒸にすると色が濃く出ますし、お得感があります。しかし、うちはお茶自体の香りを味わってもらうには、深蒸にしない方がよいという考えです。
―お茶の色はどういう色がよいのでしょうか。
清水 いかに濃い緑にするかが、昭和の後半からの風潮ですが、お茶の一番いい色は黄金色と言われています。
手摘み専用茶園の「野木園」
―明治初年の創業だそうですが。
清水 昭和初めくらいまでは、燃料や精米などもやっていたようです。今の形態にしたのは、父からです。父が6年前に他界し、私は4代目、56歳になります。
―「備前」の名はどうして。
清水 実はわかりません。岡山に縁はありません。一説には、飯能に青山備前守という方がいてその名をいただいたとも。
―「野木園」とは。
清水 かまぼこ型の通常の茶畑は、機械で摘めるようにしているわけです。野木園は、手摘み専用茶園です。通常の茶園は平均年6回ほど鋏を入れますが、野木園は一手摘みの終了後、一度刈り落とすだけで鋏を入れません。鋏が入らないから、根が深く、葉っぱも厚く、よい葉がとれるのですが、手でしか摘めません。これを仕入先にもやってもらい、またうちの茶園は全て野木園です。
―野木園の手摘み茶は生産量の一部ですね。
清水 全体の数パーセントというところですか。うちで一番高いお茶は100グラム3000円台で、次に2000円、1000円とありますが、2000円より上は手摘みを使っています。味がぜんぜん違います。
―品種は。
清水 7割がヤブキタですが、合計13種類の品種が入っています。
―最近の狭山茶の動向は。
清水 原発事故から3年が過ぎ、放射能を気にするお客さんはいなくなりました。ただ、以前に戻るには、まだ時間がかかりそうですね。お茶の機械が合理化され、お茶の生産量は上がってきています。ところが飲み物の多様化で日本茶の需要は頭打ち傾向。日本茶は超成熟市場です。
萎凋香(いちょうか)を生かした上級茶
―市場を切り拓くにはどうしたらよいでしょうか。
清水 今は火香がお茶のスタンダードだと思われていますが、実はお茶にはもっといろいろな香りがあります。
萎凋香(いちょうか)という香りがあります。お茶の葉はストレスを感じると香りを出すという習性があります。生葉を太陽の光に当てると紫外線ストレス、水分が減少してもストレスを感じる。紅茶やウーロン茶はみなこの萎凋香が香りのベースです。しかし日本の茶業界では品評会などで萎凋香があると減点されてしまいます。お茶の最上の香りは新鮮香であるという常識です。埼玉県茶業試験場で昭和28年にさやまみどりという品種が農林登録されました。これは萎凋香が優れています。そして、その特性を受け継いだ後継品種が開発されています。
萎凋香の説明
うちでは萎凋香を生かした上級茶を作っています。火入香を好んでいただける方もたくさんいますから、それにプラス、萎凋香を売り込んでいきたいと考えています。
―どのお茶が萎凋香を取り入れたものですか。
清水 手摘みのお茶はすべて。100グラム1500円より上のものは萎凋香のお茶を原料にしています。これからは、もっとPRしていきたい。これは茶産地狭山の大きな武器になるのではないかと考えています。
―萎凋香に興味をもったきっかけがあるのですか。
清水 5年ほど前に台湾に行き、「東方美人」というウーロン茶を飲み、世の中にこんな香りのいいお茶があるのかと思いました。その香りが萎凋香です。ぜひこの製法で狭山茶をつくってみたいと、台湾から機械を輸入し3年前から作り始めました。
萎凋香という香りは知っていたんですが、どうしてそういう香りが出るかはわからなかった。京大名誉教授の坂田完三先生が、萎凋香のメカニズムを解明された。たまたまご縁があり、いろいろアドバイスをいただきました。最初は三流のウーロン茶以下と言われましたが、2年目に、ひょっとしてこのお茶は世界の緑茶のスタンダードになる可能性があると認めてくれました。
―ウーロン茶も作っているのですか。
清水 製法は基本的にウーロン茶と共通です。ウーロン茶は福建省由来の品種を用います。私は埼玉県で開発された品種のみを使用します。色はウーロン茶ほど濃くない。「琥珀」という名で売っています。台湾で一番勉強になったのは、葉を攪拌して表面に傷をつけると、また違うストレスで香りが出るということです。普通の日本茶でこれをやると、「葉傷み臭」という香気になってしまい品質が落ちます。
お湯を冷まして淹れる
―お茶おおいしい淹れ方を教えていただけますか。
清水 紅茶やウーロン茶は熱湯を使います。しかし日本茶は、ほうじ茶などを別にすると熱湯を使いません。温度調整でおいしく飲める唯一のお茶です。茶釜の中の温度は90度くらい、湯冷ましに移し80度くらいにしてもらえば、タンニンなど渋みは抽出されない。お湯を冷ますのが一番大事ですね。
それと、均一に注ぐこと。複数の湯のみに注ぐとき、戻り注ぎと言いますが、行ったり来たりすることで、均一に注ぐことができます。
第3に、注ぎながら、濃さを調整していただければと思います。うすいかなと思えば待ち、濃いと思えば早める。
この3つがあれば、だいたいおいしく淹れられます。
製茶機械を発明した高林謙三
―高林謙三はどんな方だったのですか。
清水 江戸時代末期、現在の日高市の北平沢というところの生まれです。医者を志し、川越で医院を開業し、大成功をおさめました。当時日本は開港し輸出向けにお茶が売れたので、茶の生産拡大が急務でした。しかし、手もみ製法しかないので、量産化のためお茶製造の機械化に乗り出す。医者で築いた資産をすべて投じて機械開発にまい進、数々の困難と悲運を乗り越え、粗揉機の特許を取得、これを静岡県の菊川の事業家が買い取り、製茶機械普及の一歩となった。実はつい最近まで高林式粗揉機は後継機種が生産されていたのです。取引先の生産家は今でも稼働している工場がある。粗揉機の原理原則は百数十年たった現在でもまったく変わっていない。
日本全国の生産から販売までの茶業者で、高林謙三の恩恵に預かっていない人は一人もいないと言われています。それくらい偉大な恩人です。
―「高林謙三翁を顕彰する会」が地域にできたのですね。
清水 私の父(勇三氏)が日高ロータリークラブに入っていて、高林謙三という偉人が地元にいるという話をしたら、たまたま弁理士の方がおられ日本の民間人で特許認定の第1号であることを知っていた。それがきっかけで平成19年に顕彰する会ができました 20年に初代の会長である父が亡くなり、石井幸良二代目会長のご活躍で銅像建立が叶いました。
菊川市にある高林式の製茶機械メーカーの代表者は「埼玉の人は高林を静岡にとられたと思っているかもしれないが、静岡でも高林は正当な評価がされていない。しょせん埼玉から来たよそ者という扱いだ」。「高林謙三を顕彰するのはありがたい。ぜひ協力したい」と、百年以上前に製造された粗揉機を探し出し、完全に修復した上で寄贈してくれた。現在は「顕彰する会」を通じ正式に日高市に寄贈されました。
平成25年に高林謙三の銅像建立
―銅像を建てることにしたのは。
清水 高林謙三を顕彰し、その偉大な功績を一人でも多くの方々に知ってもらうには、銅像の建立が望ましいということになり、5年間準備、24年9月から募金活動をし、25年4月18日に序幕式を行いました。
建立された高林謙三銅像
―銅像建立の意義をどう考えますか。
清水 日高市では小学校の総合的な学習で高林のことを学んでいます。銅像ができたことで視覚的に認識でき学習のプラスになるでしょう。また、場所柄、市内外の人に高林謙三のことを知っていただく機会が増えると思います。また、茶業関係者のPR拠点にもなり得ます。
―本も出版されたのですか。
清水 『みどりのしずくを求めて-製茶機械の父高林謙三伝-』(青木雅子著・けやき書房という本があったのですが、絶版になっていました。著者にかけあい、自費出版しました。
―高林謙三の墓はどこにあるのですか。
清水 川越の喜多院にあります。曾孫姉妹が定期的にお参りに見えると住職より伺ったので、銅像除幕式に出席していただきました。
(取材2014年10月)
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