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歴史

100年の歴史  だんご「松山」

2010年3代目松山泰雄さんインタビュー 蓮馨寺境内にあるだんご屋「松山」。3代目の御主人松山泰雄さん(75=2010年)にお話をうかがった。 (聞き手 石橋啓一郎) ―お店はどれくらいの歴史があるのですか。 松山 始ま...
沿線歴史点描

沿線歴史点描⑭ 沿線団地開発小話(1) 押し寄せる宅地化の波

純農村地帯だった東上沿線に宅地化の波が押し寄せたのが昭和30年代である。その象徴ともいえるのが「団地」だ。それは人間だけでなく、都会のライフスタイルを東上沿線に持ち込んだ。今回は東上線の団地進出の様子を追ってみよう。 ●公団団地の進出 ...
沿線寺社めぐり

相撲にサーカス、 ボクシング 興行と庶民の憩いの場 蓮馨寺 (れんけいじ、川越市)

  川越市蓮雀町の蓮馨寺(れんけいじ)は、かつては露店が立ち並び、相撲やサーカスの興行が繰り広げられる、川越の庶民の夢、楽しみごとの拠点だった。今も、観光客の集まる蔵の街一番街の入り口に位置し、24時間オープン、憩いの場であることは変わりな...
まちづくり・行政

滑川町の人口増加 子育て支援で高い出生率

2020年国勢調査の結果、滑川町の人口は5年間で8.1%増加、増加率は埼玉県で1位、全国でも12位だった。多くの自治体が人口減少に見舞われる中、同町は2000年以降、一貫して高い増加率を維持している。その背景として、東上線つきのわ駅周辺の広...
歴史

「工都」板橋を興した 板橋火薬製造所  跡地を史跡公園化

板橋区の石神井川沿いの加賀地区は江戸時代加賀藩の屋敷があり、明治になり水車を利用し官営の火薬製造所が置かれた。それを核に様々な工場が立地し、板橋の工業発展の起点となった。火薬製造所は当時の遺構・建物が残り、板橋区では史跡公園として整備する計...
歴史

板橋を横断する石神井川 水車を動力源に工場立地 かんがい用水を供給

石神井川は、板橋区を西から東に横断する。川幅はそれほど広くないが、歴史的に重要な役割を果たしてきた。台地部でのかんがい用水として役立ったほか、水車を動力源とし軍需工場が興り、板橋の産業発展の拠点となった。元都庁勤務で、現在板橋に住み、『水辺...
おすすめスポット、お店

歌姫・本田美奈子の 想い出展示 本田美奈子ミュージアム (朝霞市)

2005年、急性骨髄性白血病により38歳という若さで亡くなった歌姫、本田美奈子.さん。1980年代にアイドルとしてデビューして以降、ロックバンドから、ミュージカル女優など、様々なジャンルで活躍をしてきた。そんな彼女が生涯の大半を過ごした土地...
歴史

板橋区の下頭橋 乞食の六蔵と 不思議な物語

東上線大山駅から賑やかなハッピーロード商店街を抜け国道254号に出てすぐに右に折れると旧川越街道に入る。しばらく行くと、環七通り手前、石神井川に下頭橋という変わった名の橋が架かっている(通りの通称も下頭橋通りだ)。橋には、江戸時代寛政年間に...
歴史

川越街道・ 松平信綱と平林寺(3) 川越城主が常用した下練馬宿、 旅籠屋跡が残る白子宿 小泉 功

下練馬宿(練馬区・当時は村) 当宿は、上板橋宿より26町(2834m)の所にあって、現練馬区内で唯一の宿場であった。練馬白山神社の地域と共に、最も人家が密集していた地域である。下練馬宿には、板橋方面から通称〝ねりま横丁〟といわれる道が通じ...
沿線歴史点描

沿線歴史点描⑬ 沿線地名・駅名を訪ねて その③  同一地名「福岡」、「松山」など 山下龍男

いきなり私事で恐縮だが、大学入学直後のこと、クラス全員の自己紹介があった。それぞれの姓名と出身高校を述べる簡単なものだが、私の「出身校は松山高校です」の言葉を受け担任は「お、はじめて四国の出身者が出たね」と声を上げた。すかさず私が「いえ、愛...
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