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サツマイモの収量を倍にする栽培法を編み出した赤沢仁兵衛

川越市今福(旧今福村・福原村)に、幕末から大正時代にかけて赤沢仁兵衛(あかざわ・にへえ、1837~1920)という農民がいた。サツマイモの増収栽培法を確立した、地域のイモ生産の功労者、「サツマイモ先生」だ。今年は仁兵衛の没後100周年にあたり、川越市のサツマイモまんが資料館の山田英次館長(川越いも友の会事務局長)は10月17日、同館で、「さつまいも裁判」と題する紙芝居を上演、仁兵衛の功績を紹介した。紙芝居は、仁兵衛の家は栽培研究によりイモの収量が驚異的に増えて、住民から盗みの疑いをかけられ逮捕されるが、濡れ衣を晴らし逆に賞賛されるというお話だ。

山田館長による仁兵衛に関する説明は以下の通り。

赤沢仁兵衛

「さつまいも裁判」紙芝居

川越の今福に、赤沢仁兵衛さんというサツマイモの先生がいましたが、その方が亡くなって今年でちょうど100年ということで、約40年前に作った「さつまいも裁判」という手作り紙芝居を久々に上演して、赤沢さんの功績を紹介したいと思います。

「さつまいも裁判」は仁兵衛さんの経験した実際にあった話で「埼玉県の民話と伝説・川越編」の中で、著者の新井博さんという方がまとめています。紙芝居は、文は吉田満、絵は山田英次が担当、原作をいくらか変えて、童話風に作りました。川越イモ博士の井上浩先生にもご協力いただいています。大変楽しい作品です。


紙芝居を上演する山田館長

借金を返済しようとイモ作りを研究

赤沢仁兵衛さんはどういう人でしょうか。

地域のサツマイモ先生というと、青木昆陽が有名です。幕府に言われてサツマイモを試作し栽培を普及させた。次に有名なのが、1751年に、川越地方にサツマイモを初めて導入した南永井村(現所沢市)の名主・吉田弥右衛門。その次に紅赤を発見した山田いち(木崎村=現さいたま市北浦和)です。

4番目に、赤沢仁兵衛さん。川越藩領の今福村に、幕末に生まれた農民でした。赤沢家の分家の3男で生まれましたが、本家の子が女性ばかりだったので28歳の時婿入りしました。ところが本家の方は、家も畑も山林もすべて抵当に入り大借金を抱えていました。かつ今福あたりは風で飛ぶような赤土の畑で、いい作物ができなかった。できたのはサツマイモと麦、雑穀、根菜類、お茶くらい。


その中で川越イモは、江戸・東京の町のヤキイモ用の本場のイモとして有名になっていて唯一換金作物でした。大借金を抱えた仁兵衛は、それをたくさん作って借金を返済しようと決心しました。イモづくりに人生をかけたのです。

翌年から一生懸命研究をした。非常に勤勉だった仁兵衛は苗の作り方から畑の作付けの仕方まで徹底的に研究をして、その成果が6年後あたりには出て、普通の農家の倍以上作る方法を編み出していました。

近所の農民にねたまれる

それを見ていた近所の農民があんなにたくさんイモができるのはおかしい、たぶん他の家から盗んできているのに違いないと妬み、当時の川越の役所に訴えた。仁兵衛は役所に連行されました。

それを見た2歳年下の妻、千代は、憤慨して、逆に直訴した。ちゃんと獲れているのだから見に来てくれと。役人が今福の仁兵衛の畑に来て、株の収量や問屋に出している帳簿も調べたら、収穫量に間違いないということに。その上、「この栽培法はよいのでもっと励むように」と激励の言葉までもらって釈放された。この話を元にしたのが、この紙芝居です。

こういうことがあり仁兵衛はさらに自信をつけましたが、りっぱだったのは、他の人より倍も作るような栽培法を編み出したのに、それを秘密にしなかったことです。教えを乞うものには現地まで行って指導する。そういう姿を見た福原村の村長や入間郡農会の技師の勧めもあり73歳の時、今から110年前、正式な講演会を開くとともに、「赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法」という本を出し、明治のすぐれた農書として評価されました。この本は今国会図書館のデータベースで検索できます。


「赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法」(国立国会図書館データ)

 

イモ作りで財を成した偉人

仁兵衛は自分の家の借金をすべて返すとともに、畑を今までの約4倍に広げ、雑木林も約2倍になった。さらに土蔵まで新築した。サツマイモ作りで財を成した偉人です。約50年間イモ作りに励み、84歳で亡くなりました。

赤沢家は今も続き、20数年くらい前に、仁兵衛の墓が川越市の指定文化財史跡になっています。川越いも友の会も30年ほど前に、その墓の脇に功績案内板を建てました。

仁兵衛について今では地元でも知らない人が多くなりましたが、もう少し見直してもよいのではないかと、没後100周年でもあり、紙芝居の上演、小冊子作成を行いました。川越にも、農民で偉人がいたということを知ってもらいたいです。

仁兵衛の栽培法の基本は現在でもとりいれられています。 一に、いい種イモとなるイモを残して、丈夫な苗を作った方がよい、二に、畝を高くして排水をよくする、三に落ち葉堆肥もたくさん入れる、などが基本です。

「つぼ焼仁兵衛」(紋蔵庵)は、赤沢仁兵衛の功績をしのんで、唯一名付けた川越のお菓子です。

つぼ焼仁兵衛

川越いも友の会の記事はこちら 

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