1月13日成人の日の祝日、皇居東御苑を散歩した。東御苑とは、旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部で、皇居に付属する庭園として整備され一般公開されている。今回の一番の目的は、江戸城の本丸跡、天守閣跡(天守台)を実際に見てみたいということである。
地下鉄大手町駅を降り、内堀通りを渡ると大手門がある。旧江戸城の正門にあたる。ここで荷物チェックを受け入場する。ずっと以前は整理券を渡された記憶があるが今回はなかった。大手門は枡形門と呼ばれる構造で、まず高麗門をくぐり、そこに石垣で囲まれた四角い広場があり、次に右側の櫓門をくぐる。敵の侵入を防ぐためとのこと。門を入るとすぐ右に比較的新しい大きな建物がある。三の丸尚蔵館という皇室の所蔵する宝物の美術館だ。入場料1000円のところ、高齢者は無料で、ありがたいが申し訳けない気持ちだ。展示室が2つだけでやや手狭なためか、現在増築工事が行われている。
その先は同人番所、百人番所と番所が続く。番所は警備兵の詰め所で、百人番所は長さ50㍍以上ある建物。ここには、毎日与力20人、同心100人が詰めていたという。
中之門は今は楼門は失われているが、左右の大きな石垣はそのまま残っている。往時は本丸に至るには大手門、大手三の門、中之門、中雀門と4つの門をくぐらなければならなかったが、今は大手門以外門の建物は失われている。登城ルートを進み中雀門のあったあたりで、現在は芝生の大きな空間が現れる。これが本丸の跡、先に見えるのは、天守閣の跡(天守台)だ。
本丸には、本丸御殿が1606年に建てられた。表・中奥・大奥に分かれ、表は将軍の謁見など公的な儀式を行う場所で、中奥は将軍が政務と日常生活を送る場所、大奥は将軍の正室や側室など女性たちの生活場所。しかし何度も地震や火災で焼け、1863年の焼失以降は本丸御殿は再建されずに、機能を西の丸御殿に移した。天守閣は、五重5階地下1階建て、地面からの高さ60㍍近い日本最大の建築だったという。ところがこの天守閣も明暦3年(1657)のいわゆる明暦の大火で焼け落ち、再建されなかった。それにしても火事のすさまじさ、明暦の大火は江戸中心部を焼き尽くし死者10万人、お濠や緑に囲まれた城の中心部も逃れられなかった。こうして今東京には本丸御殿、及び他の御殿の建物は残っていないが、川越の喜多院には西の丸御殿から「家光誕生の間」と「春日局化粧の間」が移築されている。
本丸の東側に下ったところが二の丸跡で現在は庭園になっている。「二の丸雑木林」は武蔵野の雑木林を再現した庭だが、これは昭和天皇の発案とのこと。昭和天皇は雑木林の魅力を理解する方だったようだ。さすが宮内庁の管理で、ここの雑木林は荒れることなくそれで野趣も残し非常に美しい。二の丸には元々二の丸御殿があり小堀遠州作の庭園があったが明治維新で焼け、それを昔の絵図を参考に「二の丸庭園」として復元している。皇居東御苑は、江戸城の歴史を見学するのはもちろんだが、庭園の美、日本の皇室の奥ゆかしさも感じられ、おすすめの散歩スポットだ。(参考文献『新発見!江戸城を歩く』黒田涼)