東武鉄道の社長であった根津嘉一郎は、並の事業家・資産家ではなく、とにかくスケールの大きい、破天荒な人だった。そんな根津氏が残した人を驚かせる事績の一つに大石灯籠がある。今、多磨霊園の墓所近くと、靖国神社の第二鳥居前に、日本最大級の大石灯籠が合わせて3基建っている。
多磨霊園の大石灯籠
根津家の墓は府中市の多磨霊園の正門から真っ直ぐ延びる「名誉霊域通り」沿いにあり、すぐ近くの通りの中心に当たる場所に「萬霊供養」と彫られた大石灯籠がそびえ立っている。高さ40尺(約12㍍)、圧倒される存在感がある。背面に「昭和十五年六月建立」、側面に「故根津嘉一郎 相続人根津藤太郎」と記してある。藤太郎は嘉一郎の長男で2代目根津嘉一郎を襲名し東武鉄道社長を務めた人だ。
朝霞遊園地で建立
この大石灯籠は元々根津嘉一郎が建設し、完成を待たずに軍に接収された「朝霞遊園地」で建造された可能性が高い。朝霞遊園地は昭和8年に用地が取得され、9年に大梵鐘が完成、12年にはいわゆる朝霞大仏の原型ができるが根津翁の気にいらず作り直し。そのうち戦時で銅の調達が難しくなり、根津翁は昭和15年1月に死去する(81歳)。遺言で遊園地は(財)根津育英会に寄贈される。そして同年8月、遊園地一帯は陸軍予科士官学校の移転用地として接収命令が出る。
大石灯籠が完成したのは、接収命令より前の6月であり、まだ遊園地計画は継続していたはずで、まず遊園地内に建立されたと考えられる。資料によると、多磨霊園に設置されたのは昭和16年4月で、霊園事務所の人の話では馬車で運ばれたとのこと。当初は霊園正門近くにあったが、2002年に現在地に移設されたという。
青銅製大灯籠
また、大石灯籠とは別に、朝霞大仏の前に据えるための、東大寺金堂と同型の青銅製大灯籠が昭和11年にできあがったと当時の新聞記事は伝えている。現在、東京・青山の根津美術館の庭園に東大寺八角灯籠(レプリカ)が建っているが、朝霞との関連は不明。大石灯籠と比べると、大きさが違う。
靖国神社 第二鳥居前の大石灯籠一対
東京・九段の靖国神社の大鳥居をくぐり進むと横断道路を挟んで第二鳥居、その左右に巨大な大石灯籠が建つ。この石灯籠は、昭和10年12月、富国徴兵保険相互会社(現在の富国生命保険)が献納した。徴兵保険とは男子が積み立て召集されると支度金が支払われる保険で、同社は大正12年根津嘉一郎が興した。昭和10年も根津氏が社長であり、朝霞遊園地より数年前に靖国神社に大石灯籠を建てていたことになる。
陸軍・海軍の戦闘場面絵図銅板
石灯籠は岡山県産花崗岩を用い、高さ13㍍、上層の火袋は電灯が点るように設計されている。現在多磨霊園にある石灯籠とほぼ同じ大きさである。灯籠は左右2基あり、社殿に向い左側灯籠に根津嘉一郎の名で趣意書を書いた銅板がはめ込まれ、「軍国内外多事ノ秋我社創立十周年ニ値フ我等ハ此ノ際皇運ノ進展ニ寄與セル盡忠靖国ノ士ヲ追慕シ其ノ遺烈ヲ景仰スルノ情轉タ切ナルモノ有リ乃チ社員□謀リ石燈壹雙ヲ祠前ニ献納シテ神恩ヲ敬謝シ」などと記されている。また左側灯籠には陸軍、右側は海軍の過去の代表的な戦闘の絵図銅板が各7面ずつ貼られ、小文の解説、作者名が付されている。
熱海起雲閣の巨石
根津嘉一郎は美術品の愛好家・収集家として有名だが、大きなもの、中でも石造物が特に好きだったようだ。熱海の三大別荘に数えられた起雲閣(その後旅館を経て現在は熱海市所有)は大正14年根津氏が買い取り、広大な庭園を築造。付近の山から気に入った大石を見つけては運ばせ、中には20㌧もあり運ぶのに2ヶ月かかった巨石もあるという。
<参考文献> ホームページ「朝霞大仏物語」(鈴木勝司編)、靖国神社社報「やすくに」 <取材>2024年12月